名無し
悲劇に前触れなどない。それは突然やってくるから悲劇であるのだ。
「クセロ…なんの冗談だよ。」
「こんなセンスのない冗談を僕が言うと思うかい。」
イオタが部屋を出た時、カレットとクセロは掴み合いの喧嘩をしていた。アイが止めようとするが、カレットは聞く耳を持たない。
何が起きたのか。
クセロがイータとローが死ぬという予知をしたのだという。
「カレット、落ち着いたか?」
イオタはカレットをどうにか自室に隔離し、ベッドのふちに座らせた。しかしカレットが落ち着く様子は無い。
「落ち着けると思いますか?」
「落ち着かないだろうな。」
イオタもその横に座る。
「カレットは、イータのことを本当に好きなんだな。」
「はい。」
「…辛いよな。俺もケオが死ぬって知った時はかなり荒れたよ。今まで当たり前にあったものが突然無くなるんだ。怖いよな。」
「…クセロがあんな予言をしなければよかったんですよ…。」
「…どうだろうな。俺も最初はそう思ったよ。あんな予言聞くんじゃなかったってな。でもな、いなくなることを知っていたから、出来たこともあったと思うんだ。その日が来るまでにできることを、カレットには成してほしいと俺は思うよ。」
俺は何も出来なかったから。
どうしてか、イオタはカレットよりも先に泣いてしまった。
イオタの話を聞いて、どうにか落ち着いたカレットはクセロに謝った。
「…さっきはごめんな。」
「いいんだよ。僕の方こそごめんね。」
「そうとなれば、どうしようか。」
カレットは頭を抱えた。
「カレットは、イータに伝えておきたい?」
そう問われたカレットは以前夢で見たケオのことを思い出した。生きていたいと泣きながら願っていた悲しい姿。
「…いや、伝えたくはないな。いつ死ぬかわからないけど死ぬって分かっているのはとても辛そうだった。」
「うん、カレットならそう言うと思ってたよ。じゃあ、カレットには何が出来ると思う?」
「その日が来るまで毎日イータのところに行くよ。」
「そうかそうか。それがいいね。」
「…そうだ名前、名前聞かないと…。」
「じゃあ僕はローさんを当たってみるよ。だからカレットはイータさんの名前を聞いてね。」
「あぁ。しっかり聞いてくるよ。」
カレットはイータに名前を聞くべく、彼女のもとを訪れた。イータはただカレットが来たことが嬉しいという顔をしている。
「カレット!今日も来てくれたのね!」
「うん。今日、夢にもイータが出てきてさ…。なんだかイータのことをちゃんと名前で呼びたくって、聞いてみたくなったんだよ。」
「…そう。トップシークレットって言ったのにな。」
「そうとは言ってたけど…聞きたいんだよ。」
「どうしても?」
「…どうしても。」
「そっか。…じゃあちょっと耳を貸して。」
カレットがイータのそばに行く。カレットの左耳に手を添え、囁く。
「あのね、私の名前は…─────」
今日の閏を2体撃退した報告が届いた。だからもう安心だろうからと、カレットは一度帰路につくことにした。
ゆっくり、歩いて帰る。
ずっとそばに居るのは明日からでも大丈夫。
なぜなら今日は涙が止まりそうにないからだ。
一歩歩けば一粒落ちていくほどの涙。
彼女はどうしても強くなれないと自分で言っていた。
今ならわかる。この世界においてはそれが普通だ。
彼女は強くなれるはずがなかった。
「あのね、私の名前は…」
その言葉を反芻してまた泣いてしまう。
三日月が綺麗なことにも気づけないほど景色が歪む。
すすり泣くのはもう限界だった。
カレットは立ち止まると膝から崩れ落ちて空を見上げるように大声で泣いた。
「あのね、私の名前は無いの。」




