愛する名前
お姉様の夢を見た。地獄へ向かう感覚の中、あのお姉様の夢。
本当は大好きだったの。でもお姉様、身体が弱かったでしょ?だから心配で心配で、気がついたら私の心配に気づかないで危険を冒そうとするお姉様が嫌いになってしまったの。
でも、そんなことを思う自分のことも嫌いになってしまったのよ。
元素の国、サヴァン。ここに暮らす人々の中には宝石を出す力をもつ者がいた。その内の一つが私の家系。本来はノーリスクで宝石を生み出せるのだけれど、私の家系はどうしてか記憶を削って宝石を生み出していた。その分強かったから、王様の護衛をよく任されていたわ。お姉様が行くこともあったけど、心配だった私はすぐにお姉様からその任務を取り上げて、自分が護衛についていたわ。何もすることのなくなったお姉様は日の国に渡って素敵な旦那様を捕まえちゃったわ。名前も変えて、幸せそうだった。ある日、お姉様は私にお土産をくれたの。それが「月星雅」という名前。
嬉しかった。こんな素敵な名前を貰えて。
嬉しかったわよ。私の心配する必要のない場所でお姉様が幸せになってくれて。
お姉様がいない生活は苦痛だったわ。
とても寂しいの。今まで一番大切にしてきた人がいなくなるんですもの。
ある任務でのことだったわ。黄金郷、エルドラド。そこで私は帝釈天様に出会った。
帝釈天様の偉大な計画を聞いて、正直引いたところもあったわ。でも、私を必要としてくれるんだもの。嬉しくなってしまったわ。
不老不死になれる。
身体の弱いお姉様も旦那様と一緒に不老不死になれば、ずっと幸せでいられるんじゃないかしら。
でも、お姉様はそれを断った。
「死なないって、とても辛いことなのよ。」
そうお説教までされた。
腹が立った私はその後二度とお姉様のもとを訪れることは無かった。
馬鹿だったのはどちらだったのかしらね。
たどり着いたのは地の底。
その先には門が見える。
神様なんて信じてないのに。
そう思った瞬間、門は消え、辺り一面、だだっ広い闇に変わってしまった。
彼岸花も咲かない。何も無い。
だからなんだと言うのだ。
これが罰なんだろう。
何も無いほど怖いものは無い。
カレットはイオタに話しかけた。
「それにしても、怖いですね…サンタマリア病なんて。」
「昔あった花の国で流行った奇病だ。これが原因で戦争も起きたらしい。」
「花元戦争ですか?」
「あぁそれだ。10歳で習うのか。」
「そうですよ。」
「そうなんだな…。」
兵士たちは倒れた3人の容態を見る。
「助かる見込みがあるのがファイさんとタウさん。シグマさんについては外傷も少ないのにどうして…。」
そう言うとタウこと仁が目を覚ました。
「シグマは持てる記憶のほとんど全部を使い切ったんだと思うぞ。」
「タウさん、傷に障りますから…!」
「あー、吾輩はもう平気だ。鳥言葉 ベニハチクイ、これさえあれば吾輩は元気さ。」
「そうですか…。」
「シグマは恐らく不随意筋と一部の随意筋の使い方しか覚えていないはずだ。」
「どうしてわかるんですか。」
「日昇家は月星家の対となる家系だ。だから月星家にまつわる伝承も受け継いでいるのだ。だから知っている。」
「なるほど。」
仁は平気だと言い張るため、ここに残ることにした。ファイと細石は担架に乗せられて運ばれていく。
「回復すると良いんだが…。」
イオタは心配そうに見送った。
「定期的に連絡をしてくれるそうだ。吾輩が連絡を受ける。」
2人の背中は寂しそうだった。
アダムとアイの会話が耳に入る。
「アイちゃん、そういえば強くなったらしいね。」
「うん!でもいざとなると怖くて動けなかった…。」
「そうかそうか。でも逃げるのも戦いだよ。少しずつ強くなろうね。」
「うん!!」
アダムはアイの頭を優しく撫でた。
「アイちゃんは人間に戻ったんだから、これから大きくなって、いつか私よりも背の高い、かっこいい青年になっていくんだろうなぁ。それが見れるだけで私は幸せだよ。」
「そのくらい大きくなれば俺もパパを護れるかな?」
「そんなこと考えてくれてたんだね。でも私は大丈夫。私だって強いからね。」
「パパが?」
アイは首を傾げた。いつもギリスに良いようにされていると知っているからだ。
「うふふ、強いんだよ。どう?手合わせしてみるかい?」
「パパより強くないといけないからなぁ…。やってみる!」
「そうかい。じゃあ、カレットくん。君は観察眼に優れているみたいだし、良い所と改善点を見てあげておくれ。」
「は、はい!」
アダムさんに、俺の長所を教えたことは無いはずだけど…
カレットは戸惑いながら観察を始めた。
「さぁおいで、アイちゃん。」
「わかった!」
アイは俯くと、何か呪文を唱えた。
「ザ・ビースト!」
最後の部分だけ聞こえた。ビースト?
どういうことだろうと思っている間にアイは煙幕に包まれた。煙が晴れた先にいたのは、閏の時のアイだった。
「雑魚くんじゃないか!」
思わず叫んだ。
「雑魚とはなんですか!!」
アダムが怒った。かなり溺愛してるなこの父親。
「ファイさんに色々学んだんだ…。」
アイが構える。クラウチングスタートの姿勢。一気に駆け出した。砂埃が舞う。繰り出したのはパンチ。
「おや、パンチができるようになったんだね。」
ふわふわと笑うアダムに全力で殴りかかろうとした。
「パパ、痛かったらごめん!」
「ふふふっ」
目の前にきた拳を叩いた。その勢いでアイは地面に叩きつけられた。
「はぇ?!」
「うーん、まだまだ遅いよ。ファイくんと同じくらいのスピードが出せるようになったのかもしれないけど全然遅い。これじゃまだ一般閏くらいしか倒せないだろうね。」
「そ、そうかなぁ。」
「そうだとも。じゃあ私がお手本を見せようか。私に勝ちたいならまず私の力を見せておかないとね。」
「ね、イオタさん、カレットくん。」
ギョッとした。1秒どころじゃない、ほんの一瞬で
アダムはイオタとカレットの間に移動した。
「ねぇ、アイちゃん。」
アイに向かって話しかけると同時に、腕でイオタとカレットの首を捕まえた。かなり力が強く、振り解けない。
「パパ!離してあげて!」
「そうそう、焦るよね。でもアイちゃん、スピードが無いということは、こんな状況に陥った時に誰も助けられないということなんだよ。わかるね?」
アイはかなり困った表情をした。
「はい、そこで諦めない。無理ならできることを探す。できることを重ねて解決の糸口を探す。」
パッと手を離した。
「はい、ここでネタばらしをしようか。」
笑顔で手をパンと叩いて言う。
「実は私は自分の足で移動したわけじゃない。蓮の花びらを使って瞬間移動をしたんだよ。先に撒いておいたんだ。」
「そ、そうなの…?」
「そうだよ。アイちゃん、大事なのはスピードやパワーを覆す、自分の名前に対する知識だよ。アイちゃんのアイは愛情のアイ、自分のアイ、そして遭遇のアイ、他にも沢山あるんだよ。もちろん私とイブが付けた意味は愛情のアイだけどね。」
「なんだ…怖かったぁ…」
「でも、これからどうすれば強くなるか想像ついた?アイちゃんはまだまだ身体は5歳なんだから、無理せず護られていたっていいんだ。これからどんどん大きく強くなっていく。それが私はとても楽しみだよ。」
「で、でも、護られるだけは嫌だよ…。」
「そうかな?それならやっぱり強くなるしかないね。アイちゃんならなんでも出来るよ。私とイブの可愛い一人息子なんだから。」
日が落ち始めた。
「そろそろ帰りますね。アイちゃんをよろしくお願いします。」
ヒビの上に立つと、アダムはフッと姿を消した。
「お父さん、強かったな…」
「うん。でも、俺…もっと強くなってパパを守らなきゃ。」
「一緒に頑張ろうな。」
「うん。」
「お、やっと帰ってきたか!待ってたぞ!」
シグマの家に戻ると、仁が笑顔で待っていた。
「本当に傷…大丈夫なんですよね?」
「あぁ!吾輩は強いからな!もうすぐ夕飯もできるぞ。」
ちょいちょいと手招きをするから、さっさと靴を脱いでみんなでついて行く。
ちゃぶ台の上には肉と野菜がたくさん入った鍋があった。
「今日は鍋にしてみた!もう少しで10月だ。まだ少し早いかもしれんが、ちゃんと美味しくできたぞ。いっぱい食べるといい。」
「…シータは?」
「今日からイータの家にお世話になるそうだ。女の子同士、話したいことがあるのかもな。」
そんな話を他所に、カレットとアイはちゃぶ台の前に座る。
「あとの用意はイオタに手伝わせるからお子様ふたりは先に食べておいて。」
言われたとおり、鍋から具をよそって目の前に置いた。
「いただきます」
2人で一緒に食べ始めようとしたが、突然涙が出てきて止まらなくなった。
カレットはシグマのこと、アイはファイのことと自分の弱さ、それぞれがそれぞれの悔しさを持って泣いていた。
それに気づいたイオタが驚いた。
「大丈夫か?何かあったか?」
「シグマさんのことが悔しくて…」
「俺が動いてたらファイさんが怪我をしなくて済んだのに…」
イオタは一つため息をつくと、泣き止むまで2人に肩を貸して好きなだけ泣かせた。
4人で食べて、鍋は空になった。アイとカレットは畳に横たわって眠っている。
「はぁー、すっげぇ痛い。」
「あんた馬鹿だろ。どうして治療を受けないんだ。」
「さぁな。この家を空っぽにしたくなかったからかもな。」
仁はお気に入りの焼酎を呷る。イオタはそれを眺めるだけ。
「そういえば、カレット宛に電報が届いていたぞ。ちょっと見てみるか。」
「あぁ。」
かなり重いパソコンを開く。本当に電波だけでもどうにかならないか…
「ウプシロンとオメガからだ。」
「珍しいな。」
「えーと、『会ってみたいからおいで。美味しいお菓子も用意しているよ。』と…。多分打ったのはオメガだな。」
「あの二人か…少し苦手なんだよなぁ…。」
「それなら、ついていかなきゃいいじゃないか。」
「そうもできないだろ?道中でカレットたちが殺されたらどうする。」
「そうだな。まぁ、我慢して行ってこいよ。あの二人40と50のおっさんだからなんとなく苦手なのもわかるけどな。」
「そ、そうだな。」
イオタは少し苦笑いをした。
ガララッと戸が開いた。
「サンピ、どうした?」
サンピが無表情で立っている。
「今からミューさんとプシーさんのもとへ行きます。カレットには内緒にしておいてください。」
そう言い残すとさっさと出て行った。
「止めないのか。」
「あれは止まらない歩き方だ。」
「…1杯くらい飲んでみろよ。美味しいぞ。」
「いや、俺は飲まないよ。」
イオタはまた申し訳なさそうに笑うのだった。