リスクと嘘と宝石と
今こうして生きているということがどれほど幸せなことであろうか。考えようとしなければ考えないような話である。何人もの死を見送ってきたこの29年。気がつけば来年は40か。溜息ついでにタバコの主流煙で肺を満たす。夜だ。星明かりが宝石のようにチラつきタバコの煙を輝かせる。
「ヤァ、ここにいたのかイ。ゼータが探してタヨ。」
「…そうか。」
「ゼータがいるト、名前で呼び合えなくて寂しいナァ。ネ、ウプシロン。」
「うるせぇ。俺は全く寂しいとは思わない。むしろゼータがいてくれて安心だ。」
「…マァ、そうだよネェ。」
オメガはへにゃりと笑っているが、ウプシロンは一切表情を変えなかった。
明後日には嵐がくる。閏がここに現れても良いように備えておかねば。
「カレットといったか。あの小僧、こっちまで遊びに来ればいいのにな。」
「ダネ。10歳らしいし親近感湧くよネェ。」
「…イオタが大変か。」
「ンー、電報は送ってみてもいいと思うヨ。届くのは明後日になると思うケド。」
「電波悪いもんな。」
気がついたらカレットのことばかり考えている。毎日会って話をして、…とても楽しい。ローと違ってどこか紳士的だし、まだまだ小さくて弱いけどいつか大きく、強くなるんだろうな。今なら新しいシータとちゃんと話せるだろうか。…素直になるなら今しかない気がするの。
シグマの家にシータがいるとカレットは言っていた。次の嵐が過ぎたらまた自分の居るべき場所に戻るらしい。だから今しかないと思って思い切って彼女を訪ねた。ドアをノックすると、シータが出てきた。
「…イータさん。」
明らかに萎縮している。
「ホントにシグマのところで世話になってんのね。どう?あなたは強くなれる気がしてる?」
「は、はい!でも同じうさぎ族同士、イータさんに聞きたいことも多くって…その…。」
「…ごめんなさい。萎縮しなくて大丈夫よ。この数日、カレットと話していてやっと気持ちが落ち着いてきたの。やっとあなたを受け入れられるかもしれない。だから今日はいっぱい話しましょう。」
シータがパァッと笑顔になった。
「…はい!」
大きな可愛い声だった。
サンピとイオタはとある一室で向かい合って話をしていた。
「嵐が明日に迫っていますが、新たな予言はありません。」
「そうか。つまり明日は誰も死なずに生き延びることができるんだな。」
サンピは険しい表情を浮かべる。
「…ただ、生き残るというだけで大怪我や様々な懸念はあります。」
「生きていれば儲け話だと思おう。俺たちは今までそうやって生きてきた。」
「その自信はどこから来るんですか。」
「どこからも来ないから、言霊を信じるだけさ。大言壮語も実現すれば有言実行になるわけだ。」
サンピはさらに落ち込む。大きくため息をついた。
「僕がもし、もっと戦えたなら、カレットやシータの負担は減るのでしょうか。」
「…サンピの名前を調べるといい。ただ刀を振るうだけが戦いじゃないのだから。きっとサンピにはサンピの戦い方がある。まずは落ち込まないことだよ。」
今まで落ち込んでいたイオタに言われても。サンピはクスリと笑った。
一方、カレットとアイはシグマに捕まっていた。冷たい視線。その後ろではファイやタウこと仁がいた。
「ファイ、お前はアイちゃんの相手をしてやれ。犬と猫だしなんかいい戦闘訓練が出来そうだ。」
「はい。」
ファイはアイの腕を掴むと有無を言わさずに部屋の外へ引きずっていく。
「シグマ!明日に向けて俺も強くなったんだってとこカレットに見せたいんだよー!」
「そんなもん明日見せればいいだろ。」
「お前のおかげで強くなったのにぃ!」
「ハイハイ、行った行った。」
襖が閉じた。
「さて。タウ、カレットに剣術を見せ、少し教えたらしいが、見込みはありそうか?」
仁は嬉しそうな表情をして言った。
「ありあり!大あり!カレットはすごいんだぜ!なんと言っても観察眼が優れてる!いやぁ、もう少ししたら飛ぶ鳥を落とす勢いで伸びていくはず!!鳥って言ったら吾輩か!いやぁ撃ち落とされたくないなぁ!!」
カッカッカッと笑う仁の頭をシグマが叩いた。
「うるさい。そもそもお前はニワトリだから飛ばんだろうが。」
「いや、ニワトリでもないですよ。」
仁は本来は雄弁でとても賢い人物だ。しかしどうしてかシグマの前では馬鹿なふりを続ける。名前は教えてくれたというのに、ここだけは明かさない。
「クシーに聞いた限りでは、君は僕と似たような力を使える可能性が高い。今日は僕と射撃の練習をしてみよう。」
「はい!」
「でも明日直ぐに実戦に持ち込むのはリスクが高い。よって、弾となるガラス屑の出し方、僕の射撃の援護ができるかを見ていく。」
「シグマの射撃って役立つけど、命中率は低いもんなぁ。」
「うるさい。二度と救ってあげないぞ。」
シグマが怒った様子で仁に詰め寄った。
「助けてください。」
仁は即答した。
「よろしい。」
「僕の場合は空気中にふと弾となる宝石が現れるように出来ている。君の場合はどうだろうか。地中にあるケイ素が集積してできるか、僕と同じか。君はどうしたい?」
「なるべくリスクが少ない方がいいですよね。」
「…とりあえずやってみようか。まずはイメージ。何も無いところに弾を生み出す。何かが凝縮して、手元に。」
「……。」
言葉に導かれるままにイメージを続ける。
しかし、そう上手くいくことではない。
「難しいですね。」
「では、ガラス片に近いもの、割れた水晶を見てみようか。」
そう言うとシグマは何も無い空気中から水晶のクラスターを生み出した。そしてそれを割る。その行為もシグマの力のようだ。
バラバラに散る水晶はキラキラと美しいものだった。
「尖るように割ってみた。その方が威力もありそうだろう。」
「ですね。頑張ってみます!」
「…やはり先に命中率を上げるらしい呪文の練習をした方がいいかもしれない。少し予定を変える。」
急な話にカレットは驚く。
「なんでですか?今なら出来そうなのに…。」
「…リスクのない魔法なんて無いんだよ。」
「ではまず『誤差1cm』から。呪文系は一番楽だ。きっとできる。」
「は、はい!」
その辺に落ちている石で実験をすることにした。的は小さな赤い石。シグマが普段射撃の訓練に使っているのだそうだ。
「では、投げるぞ。」
まるで当たるはずもない程離れた場所へ石を投げる。弧を描く石に集中し、同時に的を意識する。
「誤差1cm!!」
石の軌道が変わった。石は的に引き寄せられる。そして1mほど離れた場所に落ちた。
「ふむ、初めてにしてはいいんじゃないか。極めれば凄い戦力になるな。後々は1mm、1μmを目指していこう。逆に10mや3kmもできたらいいかもしれない。きっと何かの役に立つ。」
「わかりました!」
「敵の首や心臓の真ん中から1cmの誤差で狙えたなら明日は大丈夫。だから今日は1cmを頑張ろう。温度については恐らくこの誤差のイメージさえ掴んでおけばできるようになるはずだ。」
「はい!」
ものの2時間でカレットはコツを得た。石は確実に的の中心の1cm圏内に入る。
「すばらしいじゃないか。これで明日は大丈夫。君は結構図太いらしいし、心配は無いな。」
「褒められてるんですかね、それ。」
「次はガラス屑を出す練習だな。」
誤魔化すような目をしてシグマは薄く笑った。
仁には1つ心配なことがあった。シグマが宝石の弾を出す際のリスクについてである。シグマが何を使って宝石を生み出しているのか、仁は知っているのだ。
「ただいま。彼、すごく筋がいいね。」
「だろー?」
「でも、彼の名前を聞いてないんだ。君…は聞いたか?」
会話が崩れた。やはりな。
「シグマ、お前の名前は?」
「ん?月星…」
「月星細石だ。そして吾輩は日昇仁。あの男の子はカレットだ。」
「そ、そうなのか。…なんで僕には名前を教えてくれなかったんだ。」
「スマンな。吾輩が忘れていたようだ!」
「…まったくお前は…。」
シグマは、記憶を犠牲にして宝石を作っているのだ。だからこういうことが起こる。彼の兄である前任のシグマもそうだった。初めのうちは記憶が削れていることに気づきもしない。しかしある時、何かを忘れていくことを自覚した彼は少しずつ気が狂い始めた。人間の機能のどこからどこまでが記憶と呼べるのか。それを考え始めた時、忘れていくことを恐れた彼は全てを失う前に自殺した。
だから今、仁はシグマが何を忘れているのかを直ぐに理解し、忘れているという事実を『知らない』ということに置き換えて、自分の伝達ミスがあったのだということにしている。その関係を保つためには普段から馬鹿なフリをしておく必要がある。戦闘以外、頭が悪いダメなやつ。そうしていなければ。
ガタガタと窓が鳴る。日が落ちた頃に風が強くなり始めた。
強い閏が来る。それぞれがそれぞれに明日を思う中、さらに風は強くなっていった。




