シラサギの話
イオタの容態も落ち着きつつあるとある日の朝、カレットは1人で走り込みをしていた。ほとんど毎日やっているが、少しずつ速くなる実感があるとたまらなく楽しい。だから今日も走っている。
そういえば今日から実戦練習だったな。
カレットの胸は踊るようだった。
しばらく走ると、誰かと閏が戦っている現場に出くわした。未だ何も出来やしないカレットは大人しく様子を伺う。嵐はまだ来ていない。だからきっと弱い普通の閏だろう。
カレットは何も出来ないなりに、観察は怠らないようにしていた。特にシグマの戦闘を参考にすることが多かった。
だから目は肥えている自信があった。しかし、攻撃を受ける閏しか見えない。
速すぎて見えないのだ。
じっと目を懲らす。それでも見えないからさらに。閏が倒れて消滅してもその人の姿は見えない。
「どこだ…?」
「ここよ。」
カレットは声を上げられなかった。その代わり腰を抜かして驚いた。その人は全く気づかないうちに自分のすぐ後ろに立っていたのだ。
そう、この女は…
「イータ…。」
「先輩のこと呼び捨て?そんなに私が嫌いなのかしら?」
この前の冷酷な女。
カレットはすぐに立ち上がる。
「……。」
「呼び捨てでもタメ口でも構いはしないわ。あなた10でしょ?私は15歳。大した差じゃないわ。」
「……。」
「…この前のこと、まだ怒ってるの?私は当たり前のことを言っただけなのだけど。」
「イータは、悲しくないのか?」
「イプシロンが死んだこと?悲しいに決まってるわ。ただ、泣いてる時間は無駄だと知ってるだけよ。泣いていいのは誰かに護られてれば生きていける子供と、本当に余裕のある強者だけ。…仲間を奪われたんだからみんな弱者だけどね。」
「…あんたも人間らしいところがあるんだな。冷静過ぎて怖いけど。」
「人間だもの。胸を張って言えるわ。」
じゃあもう帰るわね。イータはそう言うとその場を去った。
「何?イータのこと気になるの?」
カレットはまた腰を抜かした。
「ありゃ、驚かせてしまった。」
「た、たた、タウさん!びっくりしたじゃないですか!」
「ごめんごめん。」
カッカッカッと笑い声を上げる。気配も無く近づいていたこの男はタウ。ニワトリのような男。つまり少々馬鹿である。と、シグマには言われている。
「イータは努力家なんだよ。そして本当は優しい子だったんだ。」
「ホントですか?」
カレットは信じられないという様子で声を上げた。
「本当さ。でも、本当のところは彼女の口から聞いてほしいな。カレットがその話を聞ける頃にはきっとイータも心の整理がつくだろうから。」
「まずは素振りからいこうか。」
「はい!」
カレットの剣の師範はタウに決まった。カレットの剣は特別なものとなるため、鳥が舞うようなたおやかさを持つタウの剣術が良いと考えられたのだ。
「シグマの剣はこの地に差す月光のように真っ直ぐが基本。しかし吾輩の剣術は様々に応用を利かすことが出来る。描き起こすは鳥と太陽!イメージは大事だぞ。」
「タウさん、馬鹿って本当ですか?そうには見えませんけど。」
「…シグマの前では馬鹿だと言ってくれ。吾輩も馬鹿のフリは疲れるのだ。あ、ちなみにファイは本当におバカだぞ。喋ると露呈するから喋らないという発想が愚かなもんよ。可愛いやつだろ?」
「そ、そうですね。」
タウはカレットに自分の剣術を見せようと、手頃な岩を探し出した。タウと比べて1.5倍程の大岩。一体どうするというのか。
「まさか岩を切るだなんて言いませんよね?」
「…まさか。もう少しで新しいものに取り換えとはいえ今までを共にした吾輩の相棒を刃こぼれさせてなるものか。」
「じゃあどうするというのですか?」
「まずは剣術の1つ、『羽休め』。」
剣を構え、姿勢を低くとる。一気に脚に力を込め、ふわりと岩より少し高く舞い上がると、その身を空中で横にスライドさせ、剣先を下にして、音もなく岩の頂上に着地した。
「どうだ?」
「え、剣は関係ありましたか?」
「不可解な点があったろ。そこが極意さ。」
「空中で横滑りしたとこですか?」
「ちゃんと見てるな。アレは剣を振る遠心力で動いている。岩の上に着地できる程度の力を込めて、ほんの一瞬のうちに剣を振る。その時、体の力を抜いて剣に身を任せるんだ。」
「うへぇ、出来ますかね?」
「…吾輩も、ふぃーりんぐで身につけたからな…。父上の弟の説明は下手だった。」
「お父さんの弟ということは…」
「吾輩の父もこの地で食われたらしい。強い剣士だったと言うから、日昇家には大きな損失だった。」
タウがさらりと言った。思わず気になって聞き返す。
「日昇?」
「日昇仁、吾輩の名前だよ。」
「え、俺に言ってしまって大丈夫なんですか?」
「人は時に予言を超えて死ぬ時は死ぬ。自分の危うきや救いには自分で対処せねば。」
「……あの、」
カレットは、積もり積もった疑問を投げかけた。
「俺って、ここに来て良かった人間ですかね…」
仁は驚いた顔をしたが、直ぐに笑って
「それは自らの生まれた意味を問うほどに不毛な話だよ。つまりは疑問に思う必要もない。しかし思ったのなら解決したいよな。だから答えを教えてやろう。吾輩は君と出会えてとても楽しく、嬉しく思う。以上。それ以上も以下も無い。」
「…そうですか。」
「カレットは墓作りができる。それがなんだ。みんなが愛してるのは君の能力ではなくて君のことだよ。能力なんてものはただの付属品、要はおまけ。あったら嬉しいけど無いことを責められるべきではない要素だよ。だから安心して、胸を張って、あわよくば強くなりなさい。」
「…はい!」
「じゃあ次!八咫烏がいいかな。」
ふわりと岩から飛び降りる。が、着地までの間に剣を構え、岩の下の下、まさに地面のスレスレを切った。ここまで音はない。切断の際に少し剣を振り上げたか、切られた岩は宙を舞う。さらに、岩の浮いている間に、縦に真っ二つにした。割れた岩が地面にズンと落ちた。それが唯一の音。
「道を開くための剣術。それが八咫烏。この術は様々なもので練習して応用力を高めるとより力を発揮するだろう。」
「す、凄いです…!」
「鍛錬すれば君だってできるようになるぞ。なぜなら今の君は11歳の頃の吾輩よりも強いのだ。」
仁はふふんと鼻を鳴らした。しかしカレットはあることに気づく。
「あの、岩は切らないって言ってませんでした?」
「さて、なんのことだか。」
嘘を問えば白を切る。
「シラサギ…てことですか?」
「正解、よくわかったな!」
仁はまた大声で笑った。対してカレットは少し呆れたのだった。
次の日のこと、またカレットはイータに遭遇した。イータは木刀で素振りをしているようだ。
「イータ、何やってるの?」
「見てわからない?素振りよ。」
「それはわかるさ。でも、すごく振りが速いから。他の誰よりも速いかも。」
「…だからなに?役に立たなきゃ意味がないわ。」
「そんなことないだろ。じゃあなんで役に立たないと思ってるのさ。」
イータは思わず黙った。その様子を見てカレットも首を傾げる。
カレットは待った。そして、しばらくの重い沈黙に耐えきった。
「…あんたに教えたところで、なんにもならないわ。」
「この世において変わらないもの、不変のものは存在しないって、父さんに言われたよ。」
その言葉を聞いてシータは何かを言おうとした。しかし、もう一度口を閉じた。
「どうしても話したくないことなら俺からは聞かないよ。でも、誰かに話したくなったら、イータさえ良ければ俺に話してくれよ。」
優しく笑うカレットを見て、イータはもう少しだけ話がしたいと思った。
でも、
「修行の邪魔だから、早くどっか行きなさいよ。あんたも暇じゃないんでしょ?」
「…わかったよ。」
素直になれなかった。カレットが立ち去ろうとする。
呼び止めてみようか。そう思った時、カレットがこちらを見て
「また明日」
そう言って微笑んだ。
カレットはどこまで過去のことを聞いたのだろうか。どこまで、私のことを知っているのだろうか。嫌な奴だと、思われてるだろうな。
素直になれないイータは、後ろから迫る影に気が付かなかった。
「イータっ!!!」
「っ!?」
その声に振り返った時、イータのすぐそばには既に首のない閏が立っていた。ローが切ったのだ。
「なにボーッとしてんだ!危ないだろ!!」
「…ごめんなさい。」
「シグマに用があるから来てみたら…。オレがいなかったら死んでたぞ!!」
「ごめんなさいって言ってるじゃないの!!うるさいわね!!」
険悪な空気が流れる。
二人同時に思ったことは「シータさえいれば」だった。ふと4月と似た香りの風が吹き抜けた。
嵐は近いのかもしれない。