第30話 天使ちゃん、まさかの行動に移る
「元々、私は製鉄技術を公開するつもりはありませんでした。理由は……鉄は利益を生みます。そして同時に我が国にとって脅威ともなる。私にはこれを公開するメリットがなく、そして公開することによるデメリットばかりがあるように思っていました」
製鉄技術を公開すれば、エレク国産の鉄の価値は相対的に下がる。
同時に鉄という強力な武器を手にした敵によって、侵略されるリスクが上がる。
一見、鉄は独占し続けることが唯一の正解……のように見える。
「しかし今思えば、視野が狭かったと言わざるを得ません。我が国だけが鉄を独占し続けるということは、その他の国の嫉妬を一身に浴び続けるということになります。連合軍など組まれてしまえば、一たまりもないでしょう。そして……もし我が国が他国に侵略されれば、製鉄技術は無秩序に、より多くの人々に伝わることでしょう。……つまり邪悪な考えを持つ者に鉄が渡るかもしれない」
エレク国はキエンギ地方では大国ではあるが、ウルム国やニギシュ連合ほどの国力は持っていない。
にも関わらず鉄を導入したのは、今思えば失策だったのかもしれな。
と、ティアマトは内心で思っていた。
行き過ぎた技術は身を滅ぼすことがある。
「ですから……私は、我が国はこの鉄の技術を守るために同盟国を欲しています。ただの同盟国ではありません。共に製鉄技術という秘密を共有する、運命共同体と言える同盟国です。無論、ただの国では務まりません。大国であり……そして何よりも国王の人柄が重要です。その点、私はルガンナトゥム王様ならば信用できると思いました」
「私は?」
名前を呼ばれなかったシュルギは、自分自身を指さして言った。
ティアマトは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「……ええ、あなたも、信用していますとも」
ティアマトはシュルギのことは嫌いだが……
一応、認めてはいるのだ。
ウルム国の賢王として。
「なるほど……つまりエレク国は鉄の技術を対価に、ウルム国とニギシュ連合の双方から今まで以上の庇護を受ける。確かにそれはエレク国の安全を今まで以上に高めるでしょう。しかし、ティアマト殿。ウルム国とニギシュ連合の双方が軍事同盟を結ぶメリットがないように思えますな。少なくとも我が国はウルム国の支援を必要としてはいません」
ウルム国もニギシュ連合も大国だ。
相手の支援など必要としていないように思われる。だからこそ、今まで両国は互いを戦争で屈服させて、主従関係を結ばせたことはあれども対等な同盟など結んだことはなかった。
「いや、我々にも利益がありますぞ。ニギシュの王よ」
「……ほう、ウルムの王。それはどのような利益ですかな?」
「簡単です。視点を変えてみれば良い。……もしウルム国を滅ぼすことができるほどの大国、もしくは蛮族が出現し、彼らが我がウルム国から鉄を得たら。ニギシュ連合はその大国や蛮族に勝利する自信がありますかな?」
「……むむ」
「逆もまた然り、というわけですな。一方は一方の国に守ってもらう必要がなくとも、一方は一方の国を守る必要はあるわけです。ふふふ、小娘にしては中々考えたものだ」
つまり鉄という戦略物資を生産できる技術を独占する両国は、その時点で運命共同体となっている。
ニギシュ連合はウルム国を守らなければ自国が危うくなり、そしてウルム国はニギシュ連合を守らなければ自国が危うくなる。
「小娘は余計です。とにかく、鉄の技術提供と軍事同盟はセットです。これを双方が承諾していただけないと、技術を提供することは難しいと思ってください」
シュルギとルガンナトゥムは双方、顔を見合わせた。
最初に口を開いたのはシュルギだ。
「私は構わない。無論、私の一存だけでは決められないので、国へ一度持ち帰らせてもらうがね」
「私も前向きに検討させていただきましょう。ティアマト殿」
ティアマトは笑みを浮かべた。
これでエレク国の安全保障は当分の間は確保することができる。
「もう一つ、提案があります」
鉄と軍事同盟だけで話は終わりと思っていたシュルギとルガンナトゥムは意外そうに眉を一瞬だけ上げた。
「ご存じの通り、キエンギ地方は河川交通が盛んです。ウルム国はブラヌナ河下流域の中心地であり、また西方との交易が盛んです。一方ニギシュ連合はイディグナ河下流域の中心地であり、東方との交易が盛ん。……しかしこのウルム国とニギシュ連合、言い換えればブラヌナ河とイディグナ河を結ぶような水路は存在しません。もし、この二つを結ぶ運河ができれば、莫大な利益を生むと思いませんか」
ブラヌナ河下流域とイディグナ河下流域はそれぞれ別々の経済圏を構築している。
この二つは陸路で繋がってはいるものの、陸路ではどうしても限界がある。
もしこの二つの経済圏を結ぶ運河が誕生すれば、ブラヌナ河下流域とイディグナ河下流域を合わせた、キエンギ地方全土を覆う巨大な経済圏が出来上がることになる。
そしてその運河をウルム、ニギシュ、そしてエレクの三か国で管理することができれば、三か国はキエンギ地方を経済的に支配できる。
【三国鉄血同盟】を合わせれば、政治的・経済的・軍事的な覇権を三か国が握ることができる。
「ふむ……それは誰もが一度は考えることだな、ティアマト。私もそれができればと、若いころに構想したことはある。しかし何しろ百キロを超える大運河だ。技術的にも資金的にも労働力的にもそれは非常に難し……」
「いや、できますぞ……あれを利用すれば!」
ルガンナトゥムは震える声で言った。
ここ数百年、いや千年を超える歴史の中で誰もが構想はするが、実行には移せなかった大事業を、容易に達成することができることに気付いたルガンナトゥムの声は、感動のあまり震えていた。
「……あれ? あれとは、何ですかな。ニギシュの王よ」
シュルギが首を傾げると、ルガンナトゥムは目を輝かせて言った。
「ティアマト殿が、悪魔を倒す時に切り裂いた大地の裂け目です! あ、あれはニギシュ連合の近くから南西……丁度ウルム国とエレク国の中間地点ほどにまで達している!! 両端から十数キロ掘るだけで、ブラヌナ河とイディグナ河を接続できる!!」
無論、それでも大事業であることは変わらない。
だが……ウルム国とニギシュ連合の労働力と、エレク国の鉄製の道具があれば、十分に実現可能なレベルの事業だ。
「なんと……」
シュルギは驚きで目を見開き、ティアマトを見た。
ティアマトはどや顔を浮かべ、胸を張った。
「ふふん、私を崇め奉って良いですよ?」
「……奉りはしないが、なるほど。さすがに今回ばかりは小娘とは言えんな」
「それはつまり、私の勝ちということですか?」
「……まあ、そういうことにしておこう」
今回ばかりはティアマトに花を持たせてやろうと思ったシュルギは特に否定はしなかった。
ティアマトはシュルギに認められたのが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべる。
「運河建設の件も含めて、各々持ち帰って検討して頂けるともらえると嬉しいです」
ティアマトが最後にそう締めくくると、シュルギとルガンナトゥムは頷いた。
「これほどの大事業、手を掛けない方が愚かというものだ。約束しよう……全面的に協力すると」
「私も……必ず国民を納得させてきましょう」
それから一月後。
両国王はティアマトに対し、【鉄血三国同盟】への加盟。
そして運河建設事業の全面的な協力を伝えた。
ある日の夜のこと。
「なるほど……君があの時、体調が悪そうにしていたのは、悪魔を倒すついでに溝を掘ったからか」
「そういうことです」
エレク国の神殿の塔の上で、ティアマトとアダムは夜空を見上げながら、二人っきりで話をしていた。
それは以前、ティアマトがリリス――あのときはリリトゥ――を打ち倒した後、倒れ込んでしまった時のことだ。
天使は悪魔を倒すことに関しては【世界】から全面的なバックアップを受けることができるので、体調を崩すことはなく、そして疲労することもない。
にも関わらずティアマトが倒れてしまったのは、悪魔を倒すという純粋な目的以外に、運河建設という雑念を抱いて剣を振ったからだ。
事実、ティアマトは丁度良い具合に威力を調整しようとしていた。
つまりインチキ、イカサマである。
一応悪魔を倒すためという名目があったが……しかし別の目的を抱いていたのも事実。
それがティアマトの体調を一時的に悪化させたのだ。
「ところで、ティアマトよ。製鉄技術を教えてしまって……本当に良かったのか?」
「ええ、何の問題もありません。何しろ……」
ティアマトは笑みを浮かべた。
「鉄鉱山は我が国の領内にありますから」
キエンギ地方は資源が少ない。
そんな資源の少ないキエンギ地方で見つかったエレク国近くの鉄鉱石が採れる山は、まさに奇跡の産物。
少なくともエレク国の鉄鉱山以外に鉄鉱石が掘れる山はキエンギ地方にはない。
つまりウルム国もニギシュ連合も、エレク国から鉄鉱石を輸入しなければ鉄が作れないのだ。
無論、砂鉄という手段もある。
そしてキエンギ地方の外側から鉄鉱石を輸入することも、両国の国力ならば可能だろう。
もしかしたらキエンギ地方で別の鉄鉱山が見つかるかもしれない。
しかしそれは今すぐではない。少なくとも五年の歳月は掛かるだろう。
その間、エレク国は鉄鉱石を輸出し続けることができる。
「ウルム国、ニギシュ連合への鉄鉱石の安定供給のためという名目で大規模な鉄鉱山の開発に必要な技術と労働力の支援も、両国から捥ぎ取ることができました。運河を使えば、ガンガン鉄鉱石を輸出できます」
「……君は悪女だな、全く」
アダムは呆れ顔で言った。
ティアマトは肩を竦める。
「資源の有効活用ですよ。そもそも、鉄を作るためには木炭や石炭が必要です。我が国にはそれだけの燃料を仕入れる国力はありません。下手に独占するよりもある程度技術を公開して、鉄鉱石を輸出した方が儲けは多いんですよ」
石炭は中々仕入れることができないということもあり、製鉄には莫大な木炭……木材が必要だ。
エレク国周辺の山や森林が丸禿になる事態を防ぐためにも、製鉄技術は公開するべきだったのだ。
「全く、とんだペテン師だな」
「ええ、私はてんしですよ」
ティアマトがお決まりのセリフを返すと、アダムは笑った。
「まあ、そこが君の良いところでもある」
「……急に気持ち悪いですね」
「……君は相変わらずだな」
それから会話が途切れる。
二人はぼんやりと夜空の星々と月を眺めていた。
そして……幾何の時間が過ぎたころ。
「そうだ……お礼をしていませんでしたね」
「……お礼?」
「ええ。あなたにはいろいろと、助けてもらいましたから。あなたがいなければこの国は建国できませんでしたし、ニギシュ連合に行った時も兵士に切り殺されていたでしょう。リリスを倒した時も、受け止めて貰いました」
割とアダムがいなければ死んでいたなと、回想するティアマト。
アダムは思わず頬を掻いた。
「いや……まあ、私は、その……君に酷い要求をしたからな」
酷い要求。
つまりかつて、ティアマトに対して「自分の妻になれ」と要求したことだ。
アダムはそのことで少し負い目があったのだ。
「ええ、全くですね。この強姦ロリコン変態触手黒トカゲ」
「……ロリコンだけは、否定させてくれ。それと強姦は……未遂だ」
そしてアダムはため息混じりに呟く。
「今思えば、なぜあんなことを要求したのか分からん。……どうかしていた」
「悪魔ですからね。仕方がありません」
「……悪魔だから、仕方がない?」
「ええ、悪魔は……生物、特に人間の欲望を糧に具現化しますからね。人間の欲望というのは、邪悪なものです。元々邪悪な存在として生まれたあなたが、邪悪なのは仕方がありませんね」
悪魔は生物の欲望や欲求を糧とする。
特にあらゆる生物の中でももっとも知性が高い人間の影響は非常に大きい。
悪魔が人間と同等の知能を持っているのは、主に人間の欲望・欲求を糧としているからである。
当然、それによって悪魔はその思考を汚染される。
いや、元から汚染されているというのが正しい。
「まあ、私の使い魔になることで、弱体化と同時に清められたということです。感謝しなさい」
ティアマトはそう言うとアダムに向かい合った。
「それで、お礼です。何か、欲しいものはありますか?」
ティアマトが尋ねると、アダムは肩を竦めた。
「主人を守るのは、駄トカゲとしては当然のこと。礼など要らぬよ。それとも、あれかね。キスしてくれと言えば、してくれ……」
「なるほど、それが望みですね」
その時、アダムは自分の唇に何か柔らかいものが押し当てられたのを感じた。
それだけではない。
何か、水気を帯びたものが口の中に入ってきた。
「んぐ……」
「っちゅ、んく、ん……」
それがティアマトの唇と舌であることに気付いたアダムは、思わず体を硬直させた。
ティアマトはそんなアダムの頭を両手で抱えて自分の唇へ強引に引き寄せ、下から上へと深い深い接吻をする。
数分の時間が経過した。
ゆっくりと、ティアマトは手を離した。
上から下へ、重力に従って唾液の橋が架かり……それはティアマトの舌へと落ちていく。
「ん……今のは日頃からよく献身してくれた駄トカゲへの、ご褒美です」
ティアマトはそう言うとアダムへ、背中を向けた。
まるで顔を隠すかのように。
「……別にあなたのことが、好きというわけではありません、何となく、そういう雰囲気に、気分になっただけですから。勘違いしないように」
ティアマトはそう言うと無言で走り去っていった。
一人残されたアダムは思わず唇に触れる。
そこにはティアマトの唾液がまだ残っていた。
「……たまげたな」
それが心の底からの、アダムの感想だった。
キリが良いので、一先ずここで完結にしておきます
気が向いたら続きを書こうと思います




