第24話 天使ちゃん、罠をかけられる
ティアマトがエレク国を立ってから、一週間ほどの時間が経過した。
すでに馬車はニギシュ連合の勢力圏に入っており、さすが大国ニギシュ連合と言うべきかある程度の道路が整備されていて、馬車の揺れは小さかった。
「ニギシュ連合はウルム国と並ぶ強大国の一つですからね、仲良くなっておくにこしたことはありません」
ウルム国がブラヌナ河の制河権を握る覇権国家であるならば、ニギシュ連合はそのブラヌナ河に並列して走るイディグナ河の制河権を握る覇権国家だ。
「ウルム国とニギシュ連合ではどちらの方が強いのですか?」
ニンリルがティアマトに尋ねた。
ティアマトは少し考え込んだ様子を見せてから答える。
「そうですね。単純な国力だけを考えれば……ニギシュ連合の方が上と言えます」
「それは君の私怨を含めずにかね」
アダムが訝しげに言った。
ティアマトがウルム国の王、シュルギを嫌っているのはもはや周知の事実である。
本当はウルム国の方が上だが、シュルギは顔が気に入らないのでニギシュ連合の方が上。
などとティアマトならば言いかねない。
「失礼ですね。……私怨は含めずに、ですよ。ニギシュ連合は複数の都市国家が連合して作られた国です。一つ一つの国の国力はエレク国以下ですが……それが複数集まっているわけですから、純粋に領土も人口もかなりのものですよ」
ただし……
とティアマトは続ける。
「ニギシュ連合は連合国家であるが故に、一枚岩ではありません。連合の長である王の権力はそれぞれの都市を支配する氏族長たちを完全にコントロールするほどではなく、そしてまた氏族長や王に匹敵するだけの権力をもった神官たちもいます」
「つまり烏合の衆ということか?」
「まあ、そうなりますね。……ニギシュ連合と比べれば、ウルム国はまだ一枚岩です。……認めるのは癪ですが、シュルギ王はあれでも【賢王】と讃えられているだけあって、上手く国内をまとめ上げています」
つまり戦争になればウルム国が勝つ。
少なくともティアマトはそう判断しているし、またそう判断する国も多い。
それはニギシュ連合よりもウルム国の方がキエンギ地方ではヘゲモニーを握っているということを意味する。
どちらか選べと言われれば、地理的な影響を抜きにすれば喧嘩が強い相手に決まっているのだから。
「そんなニギシュ連合がどうしてティアマトを招くのかね? 何か、心当たりでもあるのか?」
「鉄器関係だということは、何となくわかりますよ。最近、鉄の作り方を教えてくれと言われて、断ったばかりですから」
ティアマトは別段、鉄器の技術を独占することにそこまで拘っていない。
どうせいつかは流出するものだと思っている。
だから流出するならば、価値が高いうちに売りつけるべきであり……製鉄技術を教えろという要求には一考の余地がある。
が、しかし少なくともそれは今ではない。
「まあ、感情を抜きにすれば我が国がウルム国を切ってニギシュ連合につくメリットはありません。距離は遠いですし、何より我が国とウルム国は同一経済圏の中ですからね」
「では、君はどうしてニギシュ連合の誘いに乗ったんだ?」
「え? そりゃあ、美味しいご飯を用意してくれるって言われたらいくでしょう? 断る理由がありませんからね。散々食べさせてもらってから、適当に色の良い返事をしてはぐらかせば良いのです」
別に好きでもなんでもなく、本命は別にいるがご飯に誘われたから行く。
ご飯は奢ってもらい、美味しかったら今後も奢ってもらうために、そして本命がダメだった時のためにキープ君として残す。
そのために脈アリな、色の良い返事をしつつも回答ははぐらかす。
完全に悪女の発想だ。
「今更だが、君はあまり性格が良くないな」
「そんなことありません。誘いに乗ってあげただけ、優しいですよ」
そう言ってからティアマトは真剣な表情になった。
「……ニギシュ連合は東方のエリム地方、そしてさらにその先のシンド地方の国々とも朝貢・通商関係を結んでいます。仲良くなって損はないのは本当です」
そして声を低くし、続けて言った。
「二人とも、注意してくださいね。相手が何らかの強硬手段に訴えてくる可能性がありますから」
ニギシュ連合が鉄器に関することでティアマトと再交渉したがっているのは明白だ。
無論、ティアマトはよほどのメリットが提示されない限りはそれに乗る気は今のところない。
しかしそれで相手が諦めてくれるかどうかは話は別だ。
「私を強引にこの国に押しとどめ、そして無事に故国に帰りたければ製鉄技術を持つ職人を寄越せ……と脅してくる可能性がないわけではありません。そうなればあなたたちにも、相手は危害を加えようとするでしょう。……場合によってはアダムの背により、ニギシュ連合から脱出します。良いですね?」
「はい!」
「承知した」
エンリルは元気よく答え、アダムは真剣な表情で頷いた。
「はむ、んぐ……」
「どうかな? ティアマト殿。我が国自慢の料理は」
ニギシュ連合の王、ルガンナトゥムは自分の隣で料理を一心不乱に口に運んでいる金髪紅眼の美少女――ティアマト――に声を掛けた。
ティアマトの身長はあまり高くなく、自然とルガンナトゥムはティアマトを見下ろす形になる。
「美味しいです。香辛料が効いていて、刺激的な味です。これほど、香辛料を利用した料理は初めてです」
ティアマトは指をフィンガーボールで洗いながら――キエンギ地方では食事は手掴みで食べる――答えた。
それから杯に注がれた葡萄ジュースを飲む。
……要するに美味しいには美味しいがちょっと自分の舌には辛すぎたと、遠まわしに表現しているのだが、ルガンナトゥムはそれに気付かず笑みを浮かべた。
「そうだろう、そうだろう……他の国ではこれほど贅沢に香辛料は使えまい」
ここで言う「他の国」はたった一国のことを示している。
つまりウルム国だ。
「はい。他の国の料理は、香辛料はもう少し控えめでした」
香辛料を山のように使えるということは、つまりそれだけ豊かであることを意味する。
純粋な国力ではニギシュ連合がウルム国を上回っている証拠だ。
もっとも……香辛料の豊富さは国力だけが要因ではない。
「ニギシュ連合が東方と大規模な交易をしていることは聞いていましたが、これほどとは知りませんでした」
香辛料は東方の産物だ。
ニギシュ連合はキエンギ地方の東に位置する国で、また外港も有している。
それにより香辛料をウルム国よりも大量に仕入れることができるのだ。
「宮殿に来るまでの間、街を少し見させていただきましたが……とても賑わっていました。それに異民族の方々も大勢いた。これも、きっとルガンナトゥム王様の徳高い統治によるものなのでしょう。私も見習わなければならないと思いました」
ニギシュ連合の政治制度や法律には参考になる部分があるので、見習わなければならないと感じたのは本当だ。
もっともルガンナトゥム個人に対しては、そこまで尊敬の念は湧かなかった。
ルガンナトゥムを持ち上げたのは「十六歳の可愛い女の子に褒められれば、中年おじさんは嬉しくなって、自分への態度も甘くなるだろう」というティアマトの悪女的な発想によるものだ。
事実、ルガンナトゥムはティアマトのお世辞を真に受けたようで一瞬表情をだらしなく緩めた。
(ふん……ちょろいもんですね)
そんなことを思いながらティアマトは新たに運ばれてきた料理に手を伸ばす。
それはヤギの丸焼きだ。
キエンギ地方では非常にポピュラーな宴会料理である。
(脳味噌が美味しいんですよねぇー)
ティアマトはヤギの脳味噌を手ですくい、口に入れる。
濃厚な味が口いっぱいに広がる。
「ところでティアマト殿」
「はい。何でしょうか、ルガンナトゥム王様」
ティアマトの機嫌が良くなってきたと判断したルガンナトゥムは本題を切り出した。
「我が国と同盟を結んでいただけないかな? 見ての通り、我が国は大国だ。損はさせない」
「……すでに朝貢関係は結ばせていただいておりますが?」
無論、ティアマトもルガンナトゥムの言う「同盟」が単純な朝貢関係ではないことは分かっている。
つまり形式上の主従・同盟関係ではなく、より本格的な同盟関係を求めているのだ。
特に「対ウルム国」という一点に関して。
「そうではない。今までよりも、より密接な関係を結びたいと思っている」
「……そうですね。今までよりも、よりいっそう貴国と、そしてルガンナトゥム王様とは友好関係を結びたいと思っています」
曖昧にはぐらかすティアマト。
仲良くはなりたいが、「密接な関係」にはなりたくはない。
脈ナシと判断したのか、ルガンナトゥムは若干落胆の表情を浮かべつつも頷いた。
「では友好関係を互いに深めよう。……ところで、だ。我が国としては、以前あなたに申し上げた通り、製鉄技術を教えていただきたいのだが……」
ルガンナトゥムは少し間を置いてから続ける。
「貴国もそう簡単に根幹産業の中身を明かすことができないことは、分かっている。しかし我が国としてはより多くの鉄が欲しい。それで……どうだろう? 鉄の取引を拡大したいと考えているのだが? ああ、無論、対価は支払うとも。我が国の富を分け与えよう」
「……」
ティアマトは少し考え込んだ。
ウルム国との関係を考えれば突っぱねるべきだが……しかしウルム国とだけ仲良くしても仕方がない。
そもそもティアマトはウルムの王が個人的に嫌いだ。
まだ、このちょろそうな中年おじさんの方が好感が持てる。
「分かりました。可能な限り、貴国との鉄の取引を盛んにしたいと思います」
ティアマトがそう答えると、ルガンナトゥムは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! では、具体的な話は後日ということで……今日のところは楽しんでくれ」
「はい」
ティアマトは笑みを浮かべた。
宴会後。
ティアマトは宮殿から少し離れた場所にある離宮へと案内された。
精々来客用の部屋が宛がわれる程度だと考えていたティアマトは、巨大な宮殿を前にして少し驚いた。
「我が国の宮殿よりも大きいな」
「さすが大国です……」
「二人とも、のまれないでください」
ティアマトは離宮の大きさに圧倒されているアダムとニンリルを連れて、案内に従い離宮の中へと入った。
そこでは……
「「「ようこそおいでくださいました! ティアマト様!!」
美男美女がティアマトを待ち構えていた。
人種もキエンギ人だけではなく、肌の色も様々で、中にはエルフやドワーフ、獣人の姿もあった。
そして誰もが薄い布地の服を着ており、露出が少し多いように見えた。
美男美女の中でも一際、容姿の優れた美青年がティアマトのところへ進み出た。
「今後、しばらくの間我々がティアマト王様のお世話をさせていただきます」
そういってニコリと微笑んだ。
割とタイプのイケメンに、脳が溶けそうな笑みと声を向けられたティアマトは一瞬だけクラっとした。
(ああ、なるほど。そういう方向なんですね)
ティアマトはルガンナトゥムの意図を察した。
つまり……
ハニー・ロミオトラップだ。




