第22話 天使ちゃん、燃える水を手に入れる
冬が明け、春となった。
十六歳のティアマトはベッドの上に横になり、艶っぽい声を上げていた。
「ぁあ……良い、良いです……」
「ここか?」
「ん、っくぁ……はい、そ、そこです……」
「ここはどうだ?」
「ふぅぁ……んぁ、もっと強く……っくぁああ!!」
ティアマトの背中に、アダムは馬乗りになる形で乗っていた。
そして両手でその背中を――無論服の上からだが――揉み解していた。
アダムの手が動くたびに、ティアマトは熱い吐息とか細い声を漏らす。
「んぁ……駄トカゲの割には上手ですね。褒めてあげましょう……」
「それはどうも……」
悪魔で竜なのに、何で美少女の背中なんて揉んでいるんだろうか……
とアダムは自問自答しながら、黙々と背中を揉んでいた。
「次は足をお願いします」
「ああ、分かった」
アダムはティアマトの白い足に手を伸ばした。
細く長くそして柔らかい肉のついた足を指圧する。
「くぅ……効きます……良いですねぇ……」
「全く……大して凝ってもいないくせに」
ティアマトの足は驚くほど柔らかかった。
筋肉が殆どついていない。
まあ、日頃からぐうたら寝て過ごしているのだから当然と言えば当然なのだが。
「ここはどうかな?」
「ぁあ……ちょ、ちょっと……」
足の裏を押した途端、ティアマトは焦ったような声を上げた。
「そ、そこはダメです! ほ、本当に……くぅぅ……」
甘い呻き声を上げるティアマト。
普段は横暴な主人の意外な弱点を知ったアダムは、心の奥底から悪戯心が湧き出てくるのを感じた。
「ほう……痛いのか? それはつまり、凝っているということではないか? もっと、よく揉み解した方が良いんじゃないか?」
「ば、ばか……や、やめなさい! そ、そこは本当に、んぁ……び、敏感で……」
指圧するたびに体をビクビクと震わせるティアマト。
アダムは様々な足のツボを刺激し、ティアマトの弱い部分を探り当てていく。
「くぅ……そ、そこは……」
アダムがティアマトの足の指の間を押していると……
官吏の一人が部屋に入って来た。
官吏はティアマトとアダムを見て、何かを勘違いしたのか非常に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「も、申し訳ありません……また後で、伺い……」
「いえ、構いませんっく……あなたはいつまで押してるんですか!」
「ぎゃ!!」
後ろ蹴りで顔面を蹴られたアダムは悲鳴を上げた。
ティアマトはゆっくりと起き上がる。
「それで要件は?」
「以前、ティアマト様がご命じになられた『黒い水』が発見されました!」
「ここが『黒い水』が湧き出ている場所です」
羊飼いの少年に道案内してもらい、ティアマトとアダムの二人が訪れたのはエレク国の城壁部から約五キロ離れた岩場だった。
近づくにつれて、油の臭いが大気に充満し始める。
岩場からは黒い液体がとくとくと染み出ており、そして黒い液体からは時折気泡――ガス――が浮かび上がっては消えていた。
「あなたはどうやってこれを見つけましたか?」
「羊の放牧の時に見つけました」
「なるほどね」
エレク国周辺の土地は全て農地になっている。
そのため羊に食べさせる草を見つけるには、少し離れた場所に赴く必要がある。
ティアマトは口と鼻を布で押さえ、あまり空気を吸わないようにしながらその液体をコップに汲み取った。
そして岩場から離れた後、手で扇いでその臭いを嗅ぐ。
「……間違いありませんね。よく見つけました。あとで褒美を取らせましょう」
「ありがとうございます!」
羊飼いの少年は深々とティアマトに頭を下げた。
「ティアマト、その液体は何だ? 臭いからして、あまり体に良いものではなさそうだが」
「当たり前です。いくら飢えているからといって、こんなものを飲んだら死にますよ」
「いや、別に飢えていないが……」
「そうですか? まるで飢えた獣のような目を……まさか、この私を? やはり変態ロリコン触手黒トカゲですね、あなたは」
「そういう発想をする君の方が、よほど変態だと思うが……」
アダムはため息をついた。
「で、それは何だ?」
「石油です。地中から湧き出た油ですよ。非常によく燃えます」
「油? 菜種油や亜麻仁油とどちらが燃える?」
「当然、石油です。特に蒸留で不純物を取り除いた石油は非常によく燃える……というか場合によっては爆発します」
だから取り扱いには注意が必要だ。
と、ティアマは言った。
「ですが、上手く利用できれば非常に有用ですよ。まず灯油や冬に暖を取るために使用する薪の代わりとして使えます。それによく燃えて、高温を出せるので、ガラスや陶磁器を作るのにも利用できるはずです。料理をするときの燃料……には少し難しいかもしれませんが、できないことはないでしょう。そして薪が節約できるということは、その分製鉄に回せる木炭の量が増えるということです」
そしてティアマトは笑みを浮かべた。
「何しろ、岩場から染み出るほどです。少し掘るだけでも、かなりの量が採掘できるはず。城壁から五キロ程度しか離れていないのも僥倖でしたね」
それからティアマトは踵を返した。
「さあ、一先ず街に戻りましょう。この場所を守り……そして石油を採掘するための村に移住する人間を募集しないとなりませんからね」
それから数か月後。
石油がある程度安定的に掘れるようになったころ、ティアマトは意欲のある職人たちにガラス製造や陶磁器製造の技術・知識を、天使の力を使って与えた。
キエンギ地方ではガラスや陶磁器の製造は数千年以上前から行われてはいたが……その製法は原始的で、お世辞にも質が高いとは言えなかった。
職人と言っても多くは農作業の合間にやる副業に過ぎず、技術を研鑽している余裕などないからだ。
そのためティアマトにより、【アンキ】の文明の発展度に於ける最大限可能なレベルの技術が齎されたことは、大きなブレイクスルーとなりえた。
「真っ白い陶磁器に、美しいガラス細工……どちらもあのウルム国ですらも貴重で、加えてこれだけ高品質のものはありませんでした」
職人たちによって献上された陶磁器とガラス細工を手に取りながら、ティアマトはにやけ顔で言った。
「よし、あの素人童貞に送り付けてやりましょう。ふふふ……あの男が悔しがる顔が目に浮かびますね」
「しかし、まだ大量生産はできないのだろう?」
「あなたは本当に余計なことを言いますね。人がせっかく、良い気分になっているのに」
水を差されたティアマトは不機嫌そうな表情でアダムに言った。
アダムは肩を竦める。
「事実だろう?」
技術や知識を他者に頭に捻じ込むのにも、相応の天使としての力を利用する。
無駄遣いできないことを考えると、数人の職人にしか技術を与えることはできない。
つまり現状、陶磁器やガラス細工を造れるのはたった数人の職人たちだけだ。
それではとても国の産業とは言えない。
「うるさいですね……数年後には職人の育成も終わりますよ」
だが技術や知識は他者に教えることができる。
ティアマトはまずは弟子たちに積極的に知識や技術を教え込むように、職人たちに命じていた。
下手に弟子に技術を教えると自分のライバルが増え、場合によっては稼ぎが減るので難癖をつけて、教え渋るのが普通だが……
この技術は元を辿ればティアマトが教え込んだものであり、職人たちが自力で考え出したものではない。
そのため職人たちも“自分の”技術という感覚は薄く、ティアマトに命じられるままに積極的にその技術を公開していた。
「それに、大事なのは『エレク国でしか手に入らない物品がある』という事実です。それさえあれば、キエンギ地方全土からそれらの品を求めて商人たちが集まります。その宣伝効果こそが、狙いです。人が集まれば、それだけ国は豊かになります」
「そういうものか?」
「そういうものです」
ティアマトの言葉通り、それからエレク国に訪れる商人たちの数は加速度的に増加していった。
これは陶磁器やガラス細工による宣伝効果は無論、港を整備してモノの出入りが盛んになったこと、そしてティアマトが様々な国と通商協定を結んだことによる相乗効果であり……
つまりティアマトの努力が実を結んだ結果であった。
しかしティアマトは一つ、失念していたことがあった。
それはかつてトゥクルティがエレク国を襲ったように、豊かになればなるほど、その富を狙うものも現れるということだ。




