第19話 天使ちゃん、大国に挨拶に向かう
臣従する。
つまり家臣として仕えろという意味であり、己の部下になれということだ。
キエンギ地方に於いて、大国の臣下に下ることは悪いことではない。
というよりも、むしろメリットしかない。
そもそもだが、臣下や部下はあくまで人間同士の関係であって、主人と奴隷ではないからだ。
要するに「お互い仲良くしよう。ただし、どっちが上か下かはお互いのためにはっきりしようね」程度のことでしかないのだから。
また小国は大国に対して貢納の義務を負う。
が、しかしまた大国はその貢納に対する返礼をする義務もまた存在する。
そして基本的には『貢納』と『返礼』では後者の方が質が良い。
相手に対して、「俺の部下になれ」と言うのであれば相応の対価を用意するのは当然と言えば当然だ。
また、小国は複数の国と主従関係を結ぶこともできる。
つまりAの国に臣従したからといって、Aの国と敵対しているBの国とすぐに敵対関係に晒されるというわけではない。
Aの国に臣従した後、Bの国とも臣従関係を結び、両属関係を維持することも可能なのだ。
もし仮に大国の臣下に下ることのデメリットが存在するのであれば……
それは「プライドを傷つける」くらいなことしかない。
そして多くの国の君主は、体面よりも実利を重視する。
安全保障を確保できる上に、富も手に入るのだから、頭を下げる程度は安いものだろう。
しかし……中にはプライドの高い君主もいる。
その代表的例は……
「正直、ウルム国の王に頭を下げるの嫌です」
ティアマトは氏族長たちの前で仏頂面で言った。
改めて粘土板を読んだアダムは不思議そうな表情を浮かべた。
「読んだ限り、何の問題もなさそうだが……」
もしここで「ティアマトよ、我の妻となれ!」などと不遜なことが書かれていればティアマトが臍を曲げる理由も分かる。
しかし粘土板の内容は極めて丁寧なもので、「うちの従属国になりませんか? よろしければ我が国にご挨拶に来ていただけると幸いです」というような、こちらの意思を大変尊重したような内容だ。
「ふん、外面だけは良いのです。あの男は! 良からぬことを企んでいるに決まっています」
「顔見知りなのか?」
「一度、お母様――イナンナ――に連れられて、ウルム国に訪れたことがあります。旧ウリグ国はウルム国の従属国の一つでしたからね。あれは……五歳の頃でした」
ティアマの母親、イナンナは旧ウルグ国の神殿娼婦であり、また神官長だった。
外交使節として、一度だけウルム国へ赴き、ウルム国の王シュルギと顔を合わせた。
その場に幼いティアマトもいたのだ。
「あの時は、シュルギは、今のウルム王は、王子でした。彼が王位継承権争いに勝利し、王位を継いだのはそれから一年後ですね。丁度、母が亡くなったころと同じころです。まあ……それはともかく」
ティアマトは不愉快そうに眉を潜める。
「一目見た時から、思いました。こいつとは相容れないと。だから、ウルム国に移住しないか、などという申し出も断りました」
「そんな申し出があったのか?」
アダムの言葉にティアマトは頷いた。
「丁度、母が亡くなった頃でしたからね。当然断りました。私はあの男が生理的に受け付けません。あれに頭を下げるなど、虫唾が走ります」
酷い人物評だ。
元々ティアマトは男性に対して――ブダンやアダム、トゥクルティなど――当たりが強いが、それ以上にシュルギのことを嫌っているようだ。
「……シュルギというのはそんなに酷い人物なのかね?」
アダムが呟くと、ブダンは答えた。
「ぶひぃ……今代のウルムの王は名君と聞いております。戦争も防衛戦争以外はやらず、取った税金も人々のために適切に運用しているとか。当然、同盟国に対しても横暴な態度は取らないと聞いておりますぶひぃ」
ブダン曰く「良い奴」らしい。
ティアマトとブダンの人物評ならば、まだ後者の方が信用できる。
「ティアマト、挨拶に行った方が良いんじゃないか? エレク国の立場も悪くなるだろう」
「……」
「いや、そんなに嫌か」
拗ねたように頬を膨らませるティアマト。
ティアマトも、ちゃんと挨拶くらいは行った方が良いとは思っているのだ。
自分が我儘を言っているということも分かっている。
だからこそ不機嫌なのだろう。
ティアマトは自分に「行かなくても良い」と言ってくれる家臣がいないだろうかと、氏族長たちの顔を見渡す。
しかし誰もが「行った方が良い」と口にする。
ティアマトは深いため息をついた。
「ふん……まあ、良いでしょう。顔くらいは拝んできてやります」
斯くしてティアマトのウルム国行きが決まったのだ。
ウルム国とエレク国との距離は、約八十キロほど。
徒歩で移動すれば、健脚ならば二日もあれば辿り着く。
が、しかし今回はエレク国の国王兼神官長の正式な訪問であり、そして使節団だ。
当然、相応の貢納品も持ち運ぶ必要があるし、護衛や召使も同行する。
そうなれば移動速度は当然落ちる。
ティアマトらは約七日ほどの時間を掛けて、ウルム国へと訪れた。
「アダムの背に乗れば、一時間もあれば辿り着くのに」
「まさか竜に乗って訪問するわけにはいかないだろう」
長旅で疲れたのか、それともウルムの王に会うのが嫌なのか、非常に不機嫌な様子で馬車に揺られているティアマトをアダムは必死に宥める。
「しかし大きな街だな。……どれくらいの人が住んでいるんだ?」
アダムはティアマトの興味を外へ促すために、馬車の窓を開けて遠方に見え始めた街を指さして言った。
「三十万を超えるほどだと、聞いたことがありますよ」
ウルム国は、その城壁の外周部近くの村落に住む人間まで含めて三十万を超える人口を抱えている。
無論、直接的・間接的統治下にある遠方の都市も含めればその人口はさらに跳ね上がり、旧ウリグ国のような同盟国も加えれば百万は軽く超えるだろう。
「ウルム国の特産物は何だ?」
「我が国と変わりませんよ。穀物やナツメヤシなどの農産物です。青銅などの金属や無論、石材や木材すらも貴重ですから、それらは輸入で補っています。その辺も我が国と同じ……というよりキエンギ地方ではみんなそんなものです」
キエンギ地方は大河に挟まれた非常に豊かな土地だ。
しかし資源には恵まれていない。
そのため外の地方との交易が必要不可欠だ。
そして……
「ウルム国はキエンギ地方有数の港町です」
「港?」
「近づいて行けば分かります」
だんだんと街に近づくにつれて、街に隣接する大河との距離も近くなっていく。
そしてアダムは気付いた。
大河の中に船がいくつも浮かんでいることを。
「なるほど……川を使った水上交通か」
「そういうことです。ウルム国は城壁内部に港を持つ、交易都市でもあります。農業生産力も、工業力も、経済力も……我が国より上ですね」
そういうティアマトは少し悔しそうだった。
自分の治めている国が、自分の大嫌いな男の国に負けていることが我慢ならないのだろう。
しかしそもそも建国から三年しか経っていない国が、百年以上前からキエンギ地方の大国であるウルム国と同等になれるはずがないので、当たり前といえば当たり前なのだが。
それから馬車は活気溢れる街を通り、そして街の中心部にまで到着したところでティアマトとアダムは馬車を降りた。
そして少数の護衛と召使を引き連れ、ウルム国の官吏の案内のもと宮殿にまで赴く。
「ここが謁見の間です、ティアマト様。我らの王がティアマト様をお待ちになられています」
「そうですか」
ティアマトが短く返答すると、官吏たちは扉を開いた。
ティアマトとアダムは扉を潜る。
扉の先は広い部屋となっており、下には美しい絨毯が引かれていた。
そして数段高い場所には一人の男が座っていた。
黒髪に青色の瞳、整った容姿をした中年の男性で、玉座に座っているわりには質素な服を着てる。
「お久しぶりですね、ウルムの王、シュルギ王。相変わらず、趣味の悪い服を……いえすみません。よく見れば服は悪くありませんね。趣味が悪かったのは着ている本人でした。服が可哀そうですね」
しょっぱなからティアマトはシュルギを罵倒した。
これにはアダムたちエレク国の家臣も、そしてウルム国の家臣たちも面食らう。
「ふふふ……」
しかしシュルギは愉快そうに笑った。
そしてティアマトを上から見下ろしながら言った。
「相変わらず、口の悪い小娘だ。それに目つきも悪い。何だね、その腐ったような目は。全く、目上の者に対して礼儀というものがまるでなっていないな」
「失礼……不愉快なものを見てしまったせいで、私の目が腐ってしまったのかもしれません」
「おや、そうなのかね? では目を瞑ってくれないかな。君のその腐ったような目を見ると、胃がむかむかするのだよ」
「こんなに小さくて可愛らしい女の子の目に怯えるとは、大国ウルムの王のくせに情けないですね」
「小さくて……可愛い、女の子? っふ……」
「……今の笑いは何ですか?」
「おや、失礼。不快に思われたかな? いや、全く……親の顔が見てみたいものだな」
「私の母を侮辱しましたか、このゴミ。いくらゴミだからといっても、言って良いことと悪いことがありますよ」
「おお……それは大国の王に対する態度かね? 鏡を見せてやりたいことだな。言って良いことと悪いことの区別がまるでついていない。ふふ……容貌以外はまるで母親に似ていない。よほど質の悪い種だったのだろう。父親の顔が見てみたいものだな」
実はこいつら仲が良いんじゃないか?
アダムはふと思った。




