第17話 天使ちゃん、バッタを倒す
「ティアマト様……バッタは飽きましたぁ……」
「我儘を言わないでください。まだまだバッタは残っているんですから」
ティアマトはニンリルを咎めた。
未だにエレク国はバッタを消費しきれていない。
無論、そのおかげで食糧危機とは縁遠いものにはなっているのだが……もう数か月はバッタを食べているので、さすがに飽きる。
「でも、もうそろそろバッタの季節も終わりですよ」
「そうですね……もうすぐ秋になりますし。……これだけバッタを食べれば、もうしばらくはバッタは湧かないかもしれませんね」
ティアマトが軒並みバッタを捕まえたため、来年以降はバッタの数が著しく減ることが予想できる。
バッタの数が回復するまでは、あと数年の時間が必要となるだろう。
ここしばらくはキエンギ地方の住民は蝗害に悩まされることはなくなりそうだ。
「つまりバッタを食べれるのも今だけです」
「いやぁ……ぶっちゃけ、もう一生分は食べたので正直良いかなぁ……と思ってるんですけど」
「まあ、それは私も同感ですが」
バッタと豚・羊肉ならば後者の方が美味しいというのはエレク国民の総意である。
ちなみにバッタはすべてがエレク国民の胃の中に入ったわけではない。
一部は肥料や飼料になり、小麦の収穫量や豚肉の生産量の増加に貢献している。
バッタのおかげでここしばらくの食生活は非常に豊かになったのは間違いなく事実である。
バッタ様様だ。
「美味しい虫を作った方が、今後のためにはいいかもしれませんね」
「え? どうしてですか? 虫って、正直好き好んで食べたいものでもないじゃないですか」
蝗害がよく発生するキエンギ地方ではバッタを食することはよくある。
だがそれはバッタしかない状態になるため、仕方がなくバッタを食べているだけであり、食べたくてバッタを食べているというわけではない。
「緊急時のためですよ。虫は効率が良いんです」
「効率?」
「肉の生産コストのことですよ」
基本的に小さな動物ほど、与えた飼料から得られるたんぱく質の割合は高くなる。
バッタなどの昆虫は人間が食べることができない草を餌として、たんぱく質を作り出せるので最良の家畜となる。
と、ティアマトがバッタの品種改良を考えていると……
「大変だ! ティアマト!!」
「アダムですか、騒がしいですね」
ティアマトの私室にアダムが飛び込んできた。
ティアマトはゆっくりと、ベッドから起き上がる。
そして若干、跳ねている髪の毛を手櫛で整えながら尋ねる。
「どうしましたか?」
「外に来てもらった方が話は早い」
「はぁ……分かりました。行きましょう、ニンリル」
「はい!」
「……」
「……」
外に出て空を見上げたティアマトとニンリルはあんぐりと口を開けた。
ティアマトたちだけではない。
エレク国の民、そしてエレク国に訪れた商人や旅人たちもまた驚きの表情で空の、ある一点を見上げていた。
「……あれ、ぱっと見どれくらいの大きさ、あると思います?」
「一番小さいので、百メートルはあるな」
空からエレク国の方角へ飛んできたそれは、十匹ほどのバッタだった。
無論、たった十匹のバッタなどに驚く必要はない。
そのバッタは……なんと、とてつもなく巨大だったのだ。
最小サイズでも百メートル、最大サイズで三百メートルほどの巨大バッタがエレク国周辺を旋回しており、今にもエレク国と農地に襲い掛からんとしていた。
今はこちらを警戒しているようだが……
彼らが食事をし始めるのは時間の問題だ。
そして彼らが食事を始めれば、エレク国は食べつくされるだろう。
群生化したサバクトビバッタは共食いをすることがあり、それは彼らが場合によってはたんぱく質を食べることがあることを意味する。
硬い繊維を噛み砕く強靭な顎なら、人間を噛み砕くことも可能だ。
「あ、あんな大きなバッタがいるんですか!?」
「そんなわけないでしょう。……あの大きさ、どう考えても自重を保てるとは思えません。飛翔など、なおさらです。どう考えても、イカサマです」
物理法則的に百メートルを超えるサイズのバッタが生存するのは無理がある。
つまりあのバッタたちは、“世界”の法則から外れている。
そこから分かることはただ一つ。
「魔獣か魔物……いえ、力の大きさ的に下級悪魔ですね」
魔獣も魔物も悪魔も、広義の上では悪魔であることは変わらない。
だが一応の区別は存在する。
悪魔は“世界”の歪みが顕現した存在であり、つまり腫瘍そのものである。
強大な力を持っていて、知能もそこそこ高い。
一般的に中級悪魔ほどで人間並みの知能となる。
魔物はその悪魔が生み出した使い魔のような存在だ。
意図して悪魔から生み出されて使役される存在もあれば、悪魔から意図せず生み出されて独立して行動するものもいる。
腫瘍から転移した小さな腫瘍という認識で問題ない。
成長すれば悪魔となる可能性がある。
魔獣は魔物が自然環境に適応、定着した存在だ。
つまり良性に転じた腫瘍、または毒性が極めて弱くなった細菌やウィルスという認識が正しい。
ティアマトが糞尿問題の解決のために導入したスライムは、この魔獣に当たる。
もっとも天使からすれば、魔獣も“腫瘍”であることは変わらないのだが。
今回出現した巨大バッタはどう見ても魔獣ではない。
あの大きさで暴れ回れば自然環境が破壊されるのは目に見えている。
つまり魔物か悪魔であり、力の大きさから判断すればどちらかといえば下級悪魔に分類できる。
「……どうする?」
アダムが尋ねた。
するとティアマトは笑みを浮かべて答えた。」
「そんなの、決まっているでしょう?」
そう言ってティアマトは右手を大きく横に振った。
右手に黄金に輝く剣が出現する。
同時に背中から白銀に輝く翼が、頭上には輪が出現した。
紅玉色の瞳は爛々と輝き、そして全身からほんのりと黄金の光を放ち始める。
そのあまりの神々しい姿にアダムもニンリルも、そしてエレク国の民もただただ圧倒される。
「害虫駆除は天使の仕事です。駆逐します」
そういうとティアマトは空へと飛びあがった。
巨大バッタたちは突如出現した天使を、その強靭な顎で噛み砕こうとする。
バッタの顎がティアマトを捉える。
「ティアマト!」
「「「ティアマト様!!!」」」
アダムが、ニンリルが、エレク国の民が叫んだ。
それに応えるかの如く、ティアマトは巨大バッタの腹部を突き破って、バッタの体内から現れた。
そして白銀の翼で空を飛び回り、黄金の剣でバッタたちを滅多切りにしていく。
「これで終わりです」
ティアマトは大きく翼を広げた。
広がった翼が燃え上がり、灼熱の炎が大気を揺らす。
その炎は吸い込まれるように黄金の剣へと集まる。
「燃やし尽くせ!!!」
紅蓮の炎が巨大バッタを包み込んだ。
バッタは灰すらも残らず、空から消滅した。
ゆっくりとティアマトは大地へと降り立った。
足が地面に着くと同時に翼と輪は消滅し、黄金の光も消える。
「体調は大丈夫か?」
「ええ、すこぶる良好です。悪魔を倒すときに限れば、力を振るうのに何の弊害もありませんよ。むしろ、調子が良くなるくらいです。やっぱり、定期的に体を動かさないとダメですね」
気分爽快という表情でティアマトはいった。
アダムはほっと息をつく。
力を使うと倒れてしまう。
アダムはティアマトに対し、そんな病弱なイメージを抱いており、非常に心配していたのだ。
「あ!!!!」
「どうした、ティアマト!? やはり体調が?」
突然大声を上げたティアマトにアダムは駆け寄る。
ティアマトは頭を抱えた。
「私としたことが……何という失敗を!!」
「失敗? なんだ、それは」
「燃やし尽くしてしまいました……」
「?」
アダムは首を傾げた。
アダムだけではない。ニンリルも、エレク国の民も不思議そうな表情でティアマトを見つめる。
「燃やし尽くしたら、食べられないどころか、肥料にも飼料にもできないじゃないですか!! ああ……やってしまった……」
酷く後悔した表情のティアマト。
アダムたちは巨大バッタを食べさせられる可能性がなくなったことに安堵し、胸を撫で下ろした。




