第13話 天使ちゃん、裁判をする
「しかし、バッタとは恐ろしい生き物だな。エレク国を境に、大地の色が全く異なっていたぞ」
一月ぶりにエレク国の宮殿を訪れたトゥクルティはティアマトにそう言った。
バッタの群れがやってきた方角の大地は、根こそぎ草を食べつくされ、茶色くなっている。
一方エレク国の背後はティアマトがバッタを捕らえたおかげで、青々と緑豊かな土地が広がっている。
「そんな見ればわかることよりも、近況を報告しなさい、駄犬」
「相変わらずつれないな、ティアマトよ。もう少し、俺様にデレてくれても……」
そう言いながらティアマトの体に触れようとするトゥクルティだが、その手はあっさりと跳ね除けられてしまう。
「早くしなさい」
「分かったよ、全く。……草原では今、戦いが激化している。残された牧草地を争っているのだ」
「それは大変ですね。……勝てますか?」
「無論だとも。必ず返り討ちにし、彼らを服属させ、お前に捧げようとも」
「それは頼もしい限りですね。私の足にキスをする権利を与えましょう」
「本当か!」
すると嬉しそうにトゥクルティはティアマトの足の甲に口づけした。
すっかり躾けられている。
「ところで……妙に人口が増えたように感じたが気のせいか?」
「いえ、気のせいではありませんよ。実際に増えましたから」
「それは……バッタが理由か?」
「ええ、流民を受け入れました。食料は余っていましたから。バッタですけど」
ティアマトは食料を求めてやってきた流民たちを歓迎し、迎え入れた。
何しろ、バッタだけは数億匹分の余裕があるのだ。
ここ何日も食べることができていなかった流民たちは、涙を流しながらバッタを食した。
「二万人ほど増えて、今の人口は六万です。この調子で流民を受け入れれば、七万になるでしょうね」
「ほう、七万か。俺様たちを含めて九万。その規模になると、もう小国とは言えないな」
キエンギ地方では五万未満が小国。
五万以上十万未満で中堅国。
十万以上で大国……という認識が大まかにだがされている。
もうすでにエレク国は中堅国だ。
ちなみに多くの国は複数の都市を従えて、国を構成している。
都市の規模だけならば、エレク国は大国並みだ。
「しかしティアマト、そんなに流民を受け入れて大丈夫か」
「どういう意味ですか?」
「人が増えれば、それだけ好からぬことを企む者が増える。俺様の目から見て、お前は甘すぎではないか?」
「それは自覚していますよ」
ティアマトは甘い。
いろいろと打算はあったものの大洪水で路頭に迷う人々を助け、トゥクルティたちを許し、そして今は蝗害によって食料を失った者たちを助けている。
「これは私の質ですから、治せません」
「そこはお前の魅力の一つだが……しかし、甘すぎるというのは考え物だ」
「あなたが心配することではありません、駄犬」
ティアマトは余計なお世話だと、トゥクルティを睨む。
ティアマトの言う“質”とはただ性格のことを言っているわけではない。
天使としての、本能のことを指しているのだ。
人々を導く存在であるティアマトはどうしても、人を助けざるを得なくなる。
また同時に物事の解決手段の一つとして、人を害するということが浮かびにくく、常にできるだけ人を殺さずに解決する方法を考えてしまうのだ。
(まあ、私が本当の意味での“天使”であれば、もっと冷酷に振る舞うこともできるんですけどね)
天使にとって最も重要なことは【世界】を維持することだ。
人間を助けることではない。
そもそもだが、普通天使は人間に活動に介入などしない。上位者である天使が人間の活動に関与することは、天使たちにとっては自然破壊と同じだ。
“自然”の存在である人間は自然に成長しなければならず、それに人工的――もとい天工的――な介入はあってはならない。
ましてや人間を手助けするために“悪魔”を利用するなど、あってはならない。
そのため現状、ティアマトがアダムを見逃していることは天使の本来の生態から考えれば異常だ。
つまりティアマトは“天使”としては、誤作動・故障を起こしていると言える。
故障しているから【アンキ】へと追放されたのか、それとも人間に堕とされたことで壊れたのかは分からないが。
「もし、反乱など起こされて国を失ったときは……俺様のところに駆け込むと良い。妻にしてやろう」
「ふん、それよりもあなたは自分の部族の心配をするべきですね」
トゥクルティが立ち去った後、玉座の間にやってきたのはアダムだった。
「あの蛮族との謁見はどうだったかな? ティアマト」
「普段と同じですよ。あなたが気に掛けることではありません……それよりも私はあなたに治安維持を任せたはずですが」
何サボってるんだ、この駄トカゲ。
と言いたそうな目でティアマトはアダムを睨む。
アダムは肩を竦めた。
「少し困った事態が発生してね……君の判断を仰ぎたい」
「裁判ですか?」
エレク国の司法を司っているのはティアマトである。
官吏たちが調べあげたことや被害者、そして加害者の証言を聞き、最終的な判断を下す。
エレク国はまだ人口が十万にも達していない国だ。
一日に起こる犯罪など、たかが知れている。
「裁判というよりは、純粋にどう対応したらいいか迷っていてね」
「何が起こったんですか?」
「乱闘騒ぎだ」
ティアマトは眉を潜めた。
今までエレク国では、大きな暴動というものは起きたことがない。
「誰と誰が?」
「新しく来た住民と、元々いた住民だ」
「はぁ……だと思いました。分かりました、現場に向かいます。移動しながら、詳しいことを教えてください」
ティアマトは玉座から立ち上がった。
アダムによると、原因は一週間ほど前にエレク国に移住した住民がティアマトのことを“侮辱”したことが原因のようだ。
その“侮辱”に怒った、元々いた住民が殴りかかり、暴動へと発展した。
それだけなら自体は単純だが……問題は“侮辱”の内容である。
少なくとも“侮辱”した側はティアマトのことを“侮辱”したとは思っていないということが、自体を複雑にしていた。
「確認しましょう。あなたは『ティアマトは偉大な王で、優れた神官だが、神などでは決してない。あれはただの神殿娼婦の娘であり、人の子だ』と言ったのですね?」
ティアマトは自身を“侮辱”したという男に対して尋ねた。
すると男は緊張した面持ちで、顔を真っ青にさせながらも頷いた。
「は、はい……そうです」
「一つ聞きますが、それは私を侮辱する意図で言ったのですか? つまり、私が売春婦の娘で、どことも知れぬ男の種から生まれたと。そして、私もまた淫売だと」
「ま、まさか!」
男は首を左右に振った。
「お、俺はティアマト様を尊敬しています! 俺と、俺の家族が、今、こうして生きているのは、ティアマト様のおかげです! た、ただ……お、俺は事実を言っただけです」
「ふむ、そうですか」
男が嘘を言っているようにはティアマトは思えなかった。
ぶっちゃけ『神殿娼婦の娘』と言われるのはティアマト個人としては割とイラっとするが、『神殿娼婦の娘』なのは紛れもない事実であり、また多くの人間はティアマトが邪悪竜を沈め、浄化するために体を捧げたと思っているのも事実だ。
(まあ、何気なく言ってしまったんでしょうね)
エレク国に馴染んできたことで、油断したのだろう。
何気なく、ぽろっと言ってしまったのだ。
そもそもティアマトは自分が神だとは一言も言ったことはない。
勝手に人々が神だと思っているだけだ。
それなのに「ティアマトが神ではない」と言っただけでは、罪に問うことはできない。
「とはいえ、事実だからと言っても、物事には言い方というものがあります。私も真正面から『お前は神殿娼婦の娘だ』と言われれば、あまり愉快な気持ちにはなりません」
「そ、それは……」
「それに、あなたは彼と殴り合いをした。あなた自身もまた、彼を暴力で傷つけている。目撃者の証言によると、あなたの行動は正当防衛の域を超えています」
「……はい、申し訳ありません」
落ち込んだ様子を見せる“侮辱”した男。
(取り合えず、もう一方の言い分を聞いておきましょうか)
ティアマトはティアマトを“侮辱”した男を殴った方の男の方を向いた。
「あなたはどうして彼を殴ったのですか?」
「その男が、ティアマト様を侮辱したからです! 神であるティアマト様を神ではないと言い、それどころか娼婦の娘などと侮辱しました!」
男は赤らんだ顔で言った。
今にも“侮辱”した男を殴りかかろうしている。
ティアマトとしては、自分のために怒ってくれたことそのものはあまり悪い気はしない。
しかし、だからといって甘い判決を下すわけにはいかない。
「ふむ……なるほど」
ティアマトは殴った方の男に尋ねる。
「なぜ、あなたは私は神だということを知っているのですか?」
「え? いや、だってティアマト様は……」
「私は自分自身を神とは、今まで一言も言ったことはありません」
殴った方の男は顔を硬直させた。
ティアマトはすぐに殴った男をフォローするように言った。
「もっとも、私は自分が人であるとも言ったことはありません。私が神か、人か……それともその中間か、それともどちらでもないのか。それはあなたたちが決めることです。ですから私を『神である』と思うあなたは間違いではありません。ですが、同時に私を『神ではない』と思う者もまた、間違いではありません」
ティアマトは殴った方の男をそう諭してから、さらに問い詰める。
「ところで……あなたは私が『娼婦の娘』と言われたことにも、怒ったそうですね」
「は、はい……その男はティアマト様を侮辱……」
「『娼婦の娘』であることは、侮辱に当たりません。そして娼婦……『神殿娼婦』であることもまた、侮辱ではありません。私は神殿娼婦であった母を尊敬し、そして育ててくれたことに感謝しています。私は自身の出自を、父親がいないことを恥じたことはありません」
淫売や尻軽、頼めばやらせてもらえる。
そういうニュアンスで『神殿娼婦の娘』と言われるのは腹立たしいことだが、ティアマトは自分自身が『神殿娼婦の娘』であることを否定したことはないし、恥じたこともない。
確かにティアマトは元々天使だ。
しかし邪悪竜に捧げられ、記憶を取り戻す前まではごく普通の女の子として育った。
そういう意味ではティアマトは自分のことを人だと思っているし、そして当然人の子として自分を産んでくれた親に感謝している。
ティアマトの母親はティアマトが幼い頃に死んでしまったが、母親がティアマトを大事に思ってくれたこと、愛してくれたことは覚えている。
『神殿娼婦の娘』であるせいで、いろいろと言われ、嫌な思いをしたのも事実だ。
だが『神殿娼婦の娘』であることを否定したりはしない。
それは自分を産み育てて、愛してくれた『神殿娼婦』を侮辱する行為だ。
(というか、一生に一度は必ずお世話になるくせに、よくもまあ、『神殿娼婦』を馬鹿にできたものですね)
ティアマトは内心で思った。
「わ、私は……」
「ですが、あなたが私のために怒ってくれたことは事実です。それは嬉しく思います。ありがとうございます」
ティアマトは殴った方の男に優しく語り掛けた。
それから大きく咳払いをする。
「さて、裁定を下しましょう」
この裁定はかなり難しい。
何しろどちらも自分がしたことは間違っていないと思っているのだから。
もしどちらか一方を贔屓すれば、大きな軋轢を生むだろう。
ティアマトは慎重に言葉を選びながら口を開いた。




