不調
合宿からしばらくして三月になった。卒業まであと一週間とちょっと。まだまだ寒いが、夕暮れの時間は徐々に遅くなって来ている。もうすぐ春が来る。そんな予感を漂わせている。
推薦入試は優梨華と二人揃って無事に合格した。合格してからすぐに、ブランクを埋めるために部活の練習に参加させてもらえないかと顧問に交渉してみた。
進路でかなり揉めたから断られることも覚悟したが、意外にもあっさりと快諾してもらえた。先生曰く、それとこれとは別の話ということだ。
そういうことで、顧問の厚意のお陰で、練習に参加させてもらってる。
こんな形で、進路に関しては上手く進んでいる。
しかし、優梨華との関係はおかしくなってしまった。
合宿が終わって、あの時の寝言が本心なのかどうか。それを知るために寝言について色々と調べた。それで調べた結果、寝言だから本音を言うわけではないということがわかった。
だとすると、あれは本当に寝ぼけていて、そういう意識がなかったから言った言葉なのかもしれない。だけど、あの時の声のトーンとかが嘘だったと私は思えない。
直接聞けばいいとは思うが、何故かその気になれない。それに、あいつが本心を簡単に話さないだろう。ブラコンを必死に隠しているように。
だから、どう接していいのかがわからない。仲良くしたいのなら、私もそうしたい。嫌っているのなら、今まで通りに接すればいい。でも、本心がわからない。あいつがどちらなのかがわからない。
そのせいで、合宿以降私が一方的に避けてしまっている。話をするにしても事務的なやりとりをするくらい。これがいいとは思えない。だけど、それを解消する方法が思いつかない。
おかしくなったのは、関係だけではない。優梨華自身もだ。三日前までは至って普通の状態だった。ところが、一昨日からどうもおかしくなったのだ。
完璧超人の優梨華が提出物を忘れたり、体育でボーッとして顔面にボールが当たったりと、とにかくおかしい。体調を崩したとか、そんな次元の話じゃないレベルだ。部活の時もそんな感じでありえないミスが目立っている。
そして今。部活が終わった放課後の帰り道。冷たい北風に当たりながら、頭の中でこの二つの問題について考えながら歩いている。
色々と考えてみるが、いい考えは何も浮かばない。むしろ、どんどん底なし沼にはまるように、どんどんと出口が見えなくなっていった。
その時だった。
チリンチリンと、自転車のベルが鳴った。私は素直に左の方に避けた。そう言えば、前にもこんな感じのことあったような。
そう思い、後ろを振り返る。やはり、優梨華だった。
「こ、こんなとこで会うなんて、珍しいな」
今までの気まずさもあってか、声が震えてしまった。以前なら、何か軽口を返されそうだが、何も返ってこない。ただ、悲しく、覇気の無い顔で私を見ているだけだった。こんな表情。今までに見たことがない。心配はしていたが、それがより一層強くなった。
「なあ。最近どうも変な感じだが、どうしたんだ?」
出来る限り、優しく声を掛けてみた。
「……別に。ちょっと体調を崩してるだけ」
生意気にも強がった答えを言っている。しかし、声に力が全くない。表情も、さっきと全く変わらない。
「そんな顔して、ちょっと体調を崩してるだけなわけないだろ。正直に言え。私も調子が狂う」
何も飾らない、普段の地声で優梨華に尋ねる。すると、優梨華は自分のスマートフォンを取り出し、私に突きつけて来た。普段なら絶対こんなことしないだろう。それくらい、優梨華が追い詰められているのだろう。
私は驚きながらも、そのスマートフォンを受け取った。画面には、ネットニュースの記事が表示されている。
“ドラ1ルーキー、美女との昼間の極秘デート⁈”
タイトルを見た瞬間、何が原因なのかを察した。
優梨華のお兄さんである幸長さんは、秋のドラフト会議で一位指名を受けプロ野球選手になり、現在は神奈川にいる。
記事に目を通すと、街中を女性と歩いている所を目撃したらしい。その証拠と言わんばかりに、その時の写真が貼られている。その女性が幸長さんの恋人なのではないかと記事内で騒ぎ立てられているのだ。
周知の通り、優梨華は大のブラコンだ。なので、この記事の女性が本当に彼女なのかが気になって仕方がない、と言うのがこの不調の原因だろう。
だったら、この問題を解決する方法はただ一つ。直接聞くことだ。
「なあ。聞いてみたらどうだ?お兄さんなら、正直にいってくれるだろうし」
スマートフォンを突き返しながら、私は優梨華に提案してみた。優梨華はスマートフォンを少し乱暴に受け取ると、何か操作しだした。
「…………じゃあ、聞いて」
うつむきながら、優梨華は風の音で消えてしまいそうな声で言った。
「聞いてって、私が?」
私の質問に対し、優梨華はコクリと頷く。
「だって、怖いんだもん……」
優梨華の幼い声は微かに震えていた。俯いていて表情は見えないが、きっと物凄く怯えた顔をしているに違いない。それもそうだ。自分の好きな人が、別に好きな人がいるかもしれないっていう状況。怖いと思わない訳がない。
「しゃあないな。スマホ、渡せよ」
そっと、優梨華に向けて手を差し出した。優梨華は俯いたまま何も言わず、右手で突き出した。私は何も言わず、スマートフォンを受け取り、優梨華に聴こえない位置まで動いた。
右耳にスマートフォンを当てると呼び出し音が鳴っている。そう言えば、プロ野球はオープン戦をやってる時期だったような気が。
「あっ……」
思わず声が出てしまった。私は致命的なミスをしてしまったかもしれない。幸長さんのチームが試合中とか練習中なら、電話に出られない。当たり前のことだが、優梨華の方に意識が行き過ぎてしまい完全に忘れていた。
あんなことを言った手前、電話が繋がらなかったらどうしようか。というか、優梨華はそれも含めて電話ができなかったのではないか。頭の中が色々とこんがらが中、呼び出し音が途切れた。
あっ、終わった。そう思い絶望していると
「もしもしー、優梨華。元気かい。急に電話してくるなんてどうしたんだい?」
爽やかで明るい声が耳に入ってきた。なんと、奇跡的に繋がったのだ。これで、あの話の真相を聞ける。ただ、声のトーンがテレビで聞いた声の数段以上高い。間違いなく、妹と電話をするのを楽しみにしてたに違いない。なんだか、申し訳ない気分になった。
「その……、ごめんなさいっ」
自分でもよく分からないが、思わず謝ってしまった。
「えっ、何事⁈」
幸長さんも突然のことに、声が乱れていた。
この後、なんとか落ち着き、自分のことと電話を掛けた理由を説明した。一通り話を聴くと、幸長さんは申し訳なさそうな声で事の顛末を語ってくれた。
話によると、その日は休日で買い物を楽しんでいた時、たまたま球団職員の方と会って、少しの間雑談をしていたらしい。その時に、その近辺にいたカメラマンにその様子を撮られて、それが今回の記事にされたらしい。
つまり、よくあるゴシップ記事のネタにされてしまったということだ。
「ということなんだよぉ」
「それは災難でしたね……」
私はただ同情するしかなかった。有名人だから仕方ない面もあるだろうけど、それでも流石にやりすぎな気がする。
「大変ですね、有名人になると」
「そうだねえ。まあ、僕が困る分のはいいけど、優梨華にいらない心配までかけさせるのはね。本当にとんでもないことに巻き込まれちゃったよ」
疲れた声で幸長さんは答えた。
「すいません、こんな時に電話して。優梨華にはちゃんと伝えときますので」
これ以上長電話するのはどうかと思い、電話を終わらせようとした。その時だった。
「あ、そういえば笠野さんだったよね。優梨華のことこれからもヨロシクね」
幸長さんは、優しく声を掛けてくれた。幸長さんは知らないのだろう。私と優梨華の仲の悪さを。そう思うと、申し訳ない気分になった。
「あ、はい……」
私は、気まずそうに声を絞った。ただ、幸長さんはそんな私の気持ちを知らずに、ヨロシクね、と同じ声の調子で言った。
「こうやって、優梨華の言ってた笠野さんとお話できて良かったよ」
優梨華の言ってた?あいつ、私のことを家でどんな風に言ってるのだろうか。
「あのー、優梨華は家で私のことどんな風に言ってますか?」
「そうだね。バスケが上手くてカッコよくて、それでいてとてもいい人だって言ってるね。笠野さんの話をする時は、すっごく目を輝かせているんだ。それがまたとても幸せそうなんだ。だから、本当にいい人に巡り会えたんだなあって僕は思うよ」
私の質問に、幸長さんは上機嫌に答えてくれた。
「そうですか……。なんか、嬉しいですね」
私は胸の奥から湧き上がる感情を堪えながら、照れ臭さを演じるように答えた。
「今後も優梨華のこと、よろしくね」
「こちらこそ」
「うん。それじゃあ、このまま優梨華に渡してくれるかな」
私はわかりましたと、手短に答え優梨華の元に駆け寄った。
優梨華は話を耳に入れたくなかったのか、下を向いたまま両耳を塞いでいる。私は優梨華の前に、スマートフォンを差し出した。
「優梨華。お兄さんから。せっかくだから話しなよ」
優梨華に聞こえるよう、少し大きな声を出す。優梨華は上を向いて、スマートフォンをそっと震える手で受け取った。
「も、もしもし。お兄ちゃん?うん、元気だよ」
最初は強張った表情だったが、話が進んで行くにつれ、顔全体が緩んでいった。それに連動するように、声もどんどん幼くてかわいい声に変化していった。
これをもしも、私以外のクラスメイトとかに見られていたら絶対にイメージが変わるだろう。いい方向に。そのくらい、今の優梨華は輝いて見える。
私のことも、こんな感じでお兄さんに話していたんだろうな。あれだけ喧嘩したのに。私から嫌われていたのに。それでも優梨華は、私のことをずっとよく思ってくれていたのか。
なんで、気づけなかったのか。そのせいで、どれだけ優梨華の想いを踏みにじってきたのか。どれだけ、優梨華を傷つけてしまっていたのか。
私は今までの自分を強く恥じた。そして、私の中の優梨華への迷いは消えた。
この電話が終わったら、優梨華と話し合おう。ちゃんと優梨華と向き合おう。そして、友達になろう。
私は決意で満たされた。




