進路
文化祭が終わって二週間ほど過ぎた今日の放課後。私はバスケ部の顧問の先生に呼び出された。多分進路の話だろう。
実を言うと、私には県内外含めて十以上の高校からスポーツ推薦の話が来ている。どれも寮費と授業料全額免除が基本だから、本気のオファーだ。
まあそれ自体はありがたい話だし、うれしいのには違いない。だけど未だにどこに行くのか、いや、それ以前のスポーツ推薦を受けるかすら決めかねている状況だ。
期限が決まっていないのなら、まだ悩んでいてもいいと思う。だが、どの高校からも今月中には返ことが欲しいと言われていて、今はその期限の三日前。どう考えてもリミットギリギリだ。
そんな中で決まっていません、なんて言ったらうざい説教をしてくるんだろうなあ。ただでさえ会いたくないくらい嫌いな人なのに、自分から怒られに行かなければいけないのか。
夕日が明るく照らす廊下が、今は暗くて重苦しい地獄への道のように感じた。
「笠野。推薦の話、どうするつもりなんだ」
職員室に入るなり、先生は判を押したようなことを言ってきた。
「えっと、まだですね」
気まずさからか、語気を濁してしまう。それを見て、先生は大きくため息を吐いた。
「まったく。もう三日前だぞ、三日前!こんなのパパっと決めろよ。何をそんなに悩んどるんだ。正直に言ってみろ」
先生は呆れたような顔をしている。正直に言えとは言うが、言ったらもっと呆れそうだ。とはいえ、ここで嘘をついてもどこの学校はこうだとか面倒な話が続くのも確実。
「じ、実はそもそも推薦を受けるかどうかのところですね……」
愛想笑いで誤魔化しては見たが、案の定、首を横に振って呆れ顔をしている。
「どうしてそんなことで悩むんだ。自信がないからか」
「え、ええ。実は……」
さらりと、私は嘘をついた。正直に答えたほうがいいのはわかっている。わかってはいるけれど、この人に本当のことを言っても理解すらしてもらえないだろう。だから言わない。言えない。
そのことを悟られないよう、少しだけ目線を先生からそらした。
それを見てか、先生はまた大きくため息を吐いた。嘘がばれたのか、本当に信じてしまったのか。どちらにせよ、毒にも薬にもならないお言葉が聞けそうだ。
「自信がないなんて誰でもそうだろう。どの高校も全国レベルの選手を集めてるんだから」
先生は本当に信じてしまったらしい。この人だから仕方がないことか。私が内心呆れていることにも気づかず、先生は熱弁を振るう。
「いいか。お前は我が校のバスケ部の将来を担うんだぞ?そんな選手がやってける自信がないから推薦を受けないとかはダメだろ。お前はとにかく、黙って推薦を受ければいいの。わかったか?はあー。お前に期待した私が間違いだったか」
先生は嘆くように頭を抱えた。私は言葉を返す気さえなくなった。
その後も先生は何か話し続けているようだったが、私の耳には一切何も入ってこなかった。ただ、やかましく言われてるんだろうなあ。そのくらいの感じだった。
それが先生にもわかってしまったのか、
「もう今日はいい。とにかく早く決めろ。じゃねえと面倒なことになるからな」
椅子を回転させ、私に背を向けた。それを見て私は、何も言わずに職員室を出た。
とぼとぼと重い足を上げて教室に戻ると、誰もいない。長くなりそうだから先に帰ってと言った以上、仕方がないか。
無人の教室には私の鞄だけがポツンと取り残され、西日に照らされている。もうちょっと心に余裕があれば、ロマンティックだー! とか言ってはしゃげそうだが、あいにくそんな気分じゃない。
私はなんの面白みもない動きで鞄を取り、黙って教室を去った。
期限まであと三日か。時間のなさに頭が痛くなる。早く決めて楽になりたいなあ。上を向いて呟いた。
私が悩んでいる理由。それはあいつ、優梨華がいないからだ。勘違いはしないで欲しい。あいつのことは嫌いだ。ただ、バスケになると話が違う。
技術は私よりも間違いなく上だし、身体能力もさほど変わらない。唯一身長が勝っているだけで、もしも同じ身長なら、優梨華の方が高い評価をされていたと思う。そのくらい、選手としてはあいつをリスペクトしている。
それに優梨華は、どんな時でも私が出して欲しいコースにパスを出してくれる。さらに、そのパスの質も最高にいい。誰のパスよりも取りやすいし、なによりも手に馴染む。だから、次の動きに移りやすい。
そんなパスを出すのは優梨華だけだ。県選抜の練習でも、強豪校の練習に参加させてもらった時でも、こんなパスは一球もなかった。
これはパスだけに限った話ではない。オフザボールとか連携でもそうだ。こう動いてほしいって思ったら、それを知っていたかのようにそう動いてくれる。
とにかく、バスケットボールプレイヤーとしての優梨華は最高の選手でもあり、最高の相棒だ。出来ることなら一緒のチームでプレーをしたい。
だけど、私が推薦をもらった高校は優梨華に推薦を出していないし、優梨華も博多女学院とへの進学を決めていた。
私がそこを受ければいいのかもしれないが、そこからの推薦はない。一般枠で入ろうにもお嬢様学校。うちの家計じゃ間違いなく学費が足りない。特待生で学費免除になれば行けるかもしれないが、それだと部活に入れない。
だから、優梨華と一緒の高校に入るのは不可能なのだ。
だったら、もう優梨華のことは諦めて推薦を受ければいい話だと思う。他の人だったら百パーセントそうしている。でも、私の気持ちが乗らない。
優梨華のいないところでバスケをするなら、正直に言ってどこも変わらない。そんな気持ちが頭を埋め尽くしてしまっている。
だから、未だに決めきれていない。どんな選択でも後悔する気しかしない。こんな状態で、三日以内に判断ができるのだろうか。
解決策のない悩みに体中を支配されながら歩いていると、誰かに名前を呼ばれた気がした。
振り返って誰かいないか見てみたが人の気配はない。多分、気のせいだろうと思い無視して歩いていた。すると、左からすっと黒い物影のようなものが近づき、
「笠野さん」
と、私の苗字を呼んできた。
「ひゃっ?!」
これにはたまらずびっくりしてしまい、自分らしくない声をあげてしまった。一体なんなのか。目線だけを左側に向けると、クスクスと笑う優梨華がいた。
「あなたもかわいい声を出すのね」
「うっ、うっせーな!」
かわいいと言われたことが恥ずかしくなり、思わず顔を赤くしてしまった。それを見て、優梨華はなにやら勝ち誇ったような顔をしていた。
「ふふふ。これで文化祭の分は返したわ」
これはあの時の仕返しってことか。あの時は私も悪いことしたと思うから、今回は不問にしてやろう。私はこのことについて、何も言い返さないことにした。
「そう言えば、あなた私が声を掛けるまで間抜けな顔していたけど、風邪でも引いてるの?」
「いや。風邪は引いてねえよ。ただ、進路で悩んでいただけだ」
私はぶっきらぼうに答える。すると、顎に軽く手をあてながら
「進路ねえ……」
と小声でささやいた。
お前は決まってるけど、私はお前のせいで決めきれないんだよ。心の中で優梨華に、八つ当たりをしていた。
「ねえ、あなたは決めているの?」
私がむしゃくしゃしていると、優梨華が珍しく、私に質問をしてきた。
「いや。受けようとは思うけど、色々ありすぎて悩んでるとこだ」
あの理由を本人の前で言えるわけがないので、嘘をついた。
「そう。だったら、聞いてもらっても構わないわね」
優梨華は何やら意味深なことを言い出した。
まあお前は決まっているんだから、私に何を言おうと知ったこっちゃないだろうけどな。また、意味もなく頭の中で優梨華に当たり散らしていた。
そんなことを微塵も知らない優梨華は、何も言わずに目の前に立ち、私をじっと見つめていた。その表情は覚悟を決めた王女のような顔だった。
「私決めたの。明林に行くって」
優梨華のとんでもない言葉に、耳を疑った。明林は田舎にある普通の共学の公立校。スポーツ推薦なんてものはない。
それに比べて博多女学院は優梨華のことを相当買っていた。その証拠に、あそこの監督はよくはうちの中学に足を運んでいた。待遇は間違いなく明林よりいいはずだ。
それに、あいつは私のように何かに固執するようなタイプじゃないはずだ。学校生活でもバスケでも、確実に利益がある方を選んでいた。
そんな優梨華がなぜ、明林に行くのだろうか。私にはわからない。
「ちょっと待て。お前は博多女学院に行くんじゃなかったのか?!」
「それはやめたわ。だって、博多じゃ私のやりたいことは何一つできないし」
私が驚きのあまり早口になっているのに対し、優梨華は淡々と答えた。私は興奮が収まらない。というより、理由に納得がいかない。
「わけわかんねえよっ。博多の方が設備整っているし、監督だって優秀な人だろ。明林よりやりたいことはできるはずだろ? それにお前はそんな選択をするような奴じゃなかっただろ。一体どうしたって言うんだ?」
私はさらに声を荒げた。本当はあの顧問みたいなこと言いたくないし、未だに進路を決めきれてない自分に言う資格はない。それでも、バスケットボール選手としての将来を案じてしまうと、言いたくて言いたくて仕方がなかった。
だが、優梨華の表情は何も変わらない。力強い目つきで私を見続けていた。
「あなたは、私のお兄ちゃんのことを知っているでしょ」
優梨華は前を向きながら、私に問いかける。もちろん知っているからうんと頷いた。優梨華はこちらを見ることなく、語り始めた。
「お兄ちゃんは自分を磨くために、何もない厳しい環境に身を置いて、自分を磨いていった。確かに、思い通りにならないで苦しんでいた時期はあったわ。それでも、逃げずに自分を磨いていった。だから、自分をより成長させられた」
優梨華の言っていることは本当のことだ。幸長さんは今年の夏、打者として甲子園で歴代の記録を次々と塗りかえる活躍をし、明林高校を準優勝に導いた。その結果ドラフト一位指名を受け、プロ野球選手になった。
優梨華はその時の努力と、成功体験を間近で見てきたんだ。そのやり方を自分になぞらえてしまうのもわからなくもない。
ましてや、愛してやまないお兄さんがやってきたことだ。自分だってこうなってみたいと思うのも頷ける。らしくない行動だと思ったけど、これなら納得できる。
「別に、お兄ちゃんになりたいわけじゃないわ。お兄ちゃんは世界一の天才だから、絶対になれっこない。でも、お兄ちゃんに近づくことならできるかもしれない。だったら近づいてみたい。お兄ちゃんが見ていた世界に」
やっぱり、思った通りの理由だ。私は優梨華の背中を見つめ何も言わず、ただ話を聞き続けた。
「そのためには、お兄ちゃんが超えてきた課題を乗り越えないといけない。そうでないと、見えないと思うの。だから私は明林に行くの。そして、明林から全国を目指そうと思うの。お兄ちゃんと同じようにね」
優梨華の表情は見えない。でも、力のこもった声と立ち姿だけでその覚悟だけは十分に伝わってきた。私も覚悟を決めた。優梨華と一緒に明林に行こうと。
どんな理由でも、一緒にバスケができるなら明林を選んでいたと思う。それに加えて、明林から全国なんていうおもしろすぎる話を聞かされたんだから、ますます明林に行きたくなった。
そんな私の決意を知る由もなく、優梨華はまた話し始めた。
「あなたにこの話をしたのは、別にあなたを誘いたかったからじゃないわよ。ただ、これからは敵同士なんだから、宣戦布告の意味で話したかったの。あなたには絶対負けな――」
「誰が敵同士だって?」
私は話を遠慮することなく遮ってやった。優梨華はやはり、虚を突かれたような反応を見せてくれた。
「いや、あなたのことよ。だってあなたは推薦で別の高校にいくんじゃ……」
声は冷静さを保っているが、表情と仕草からは慌てふためいているのがありありと伝わってくる。それを見ながら私はほくそ笑んだ。あいつをこうやって慌てさせるのは、なんか気分がいい。
「明林から全国っておもしろい話を聞いたら、それに乗っかりたくなった。それだけ」
「で、でも。あなたはもっといいところでプレーできるじゃない」
「お前だってそうじゃんか」
私が指摘すると優梨華は口をつぐんだまま、顔を紅潮させた。
「こう言うのもなんだけど、バスケットボールプレイヤーとしてのお前になら、手を貸してやってもいい。お前の夢、叶えさせてやるよ」
ちょっと低い声をだしてカッコつけてみた。特に意味はないが。それに対して優梨華は、なぜか顔をさらに赤くしていた。
「わかったわよ。あなたも一緒に来ることを許可するわ」
顔を赤らめたまま、優梨華はプイっと首を右にそらした。上から目線のような言い草でムッときたが、あいつとプレーできるんだから、何も言わないでやろう。私はその感情を胸にしまい込んだ。
「はいはい。それで、他の面子はどうすんの?どこか当てでもあんの?」
そんなものが優梨華に無いことは知っているが、あえて聞いてみる。優梨華は少し間を置いて、
「そんなのあるわけないじゃない。メンバーは私とあなただけよ」
と自信あり気に答えてくれた。
こんなこというくらいだからと、期待してみたが予想通りすぎる回答に、がっくりと肩を落とすしかなかった。しかし、落ち込んで何もしないわけにはいかない。私の人脈に頼ってみるか。
「しゃあない。私から声かけてみるわ。時期が時期だから、来てくれるかは微妙だけどちょっと頑張ってみるから、期待して待っててくれ」
私はスマホを見ながら、来てくれそうな子を探してみた。
「あ、ありがとう。感謝するわ」
優梨華は頬を赤くし、腕を組んだ。まったく、こういう時くらい、偉そうな言い方をやめればいいのに。まあ、それをこいつに求めても無駄か。
「それはどうも」
私は軽く受け流した。
それから優梨華と別れて一人家に帰り、他校の知り合いの選手を片っ端から電話とメールで誘ってみた。この時期だから期待はしていなかったが、案の定、行くところが決まっているからという理由で、大多数の子からは断られた。
それでもなんとか三人ほど誘うことに成功した。その上、誰一人ポジションが被らないし、みんな自分に近いレベルの選手だ。誰もいないことも覚悟してたから、かなり上出来、というか奇跡だと思う。
一方で、推薦は全て断るわけなので、そのこともすぐに両親と顧問と担任に話をした。両親と担任は、自分の人生だからということですぐに納得してくれた。ただ、顧問はそうもいかず、二時間くらい話し合ってようやく説得できた。
こうして、優梨華と同じ高校に進学することができるようになった。後は受かるのみ。多分大丈夫だと思うが。




