旅立ちと世界
「もう、行くんですか?」
祭りで散らかった明け方の村で、キャロリが名残惜しそうにそう聞いた。
「はい。早いうちに出発しようかと」
対するアトは、表情を変えないまま答えた。
アトはシャツとショートパンツ、革のブーツに、大きなマントを纏っている。全部、昨日の祭りで贈られたものだ。
「寂しくなるわね……」
「まあ、すぐに慣れるだろ」
「邪神様はいなくてもすぐに慣れますけどねー」
「酷くない?」
キャロリが「冗談ですよ」と笑った。その隣の村長は相変わらず肝を冷やしたような顔をしている。
「アト、これを」
村長は一枚の封筒をアトに差し出した。アトは不思議そうにそれを受け取る。
「これは?」
「紹介状だ。これを南にあるモールの街の、魔法使いギルドに持っていくといい。何かと頼りになるだろう」
アトは驚愕に目を見開いた。
「村長、魔法のこと、知って……」
村長はその問いに答えなかった。
「今、この国では国王の勅命で魔法使いを積極的に登用しておる。モールで実績が評価されれば、王都で働くことも可能かもしれない」
「村長、詳しいんだな」
「この十年、何もしていなかった訳ではありませんから」
疲れ果てた顔の村長を、初めて頼もしく感じた。この先も、この村はきっとうまくやっていくのだろう。
「アト、ひとつだけお願いがある」
「はい」
「いつの日か、旅を終えた時――――一度でいい、この村に帰ってきては、くれないか?」
アトはキャロリの元に寄ると、膝をついてそのお腹に耳を寄せた。まだ大きくなってはいないが、新たな命がそこにある。
「次は――――この子に、会いに行きます。必ず」
「うんっ……待ってる!」
アトとキャロリは互いに笑い合った。それだけで十分だった。
「この街道をまっすぐ進むとモールの街に着きます。二日ほどで着きますが、お気をつけて」
「あと……途中森と街道の分かれ道がありますが、絶っ対に!!森へ行かないでください!!街道を通ってください!!絶対ですよ!?」
キャロリがめっちゃ強調してくる。余程危険なのだろう。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと間違えずに進むから」
「お願いしますよ!!大事な……妹なんですから!!」
「ふふっ、大丈夫ですよ――――キャロリ姉さん」
「「それじゃあ、いってきます」」
そうして俺たちは、村を旅立った。
「いい天気だ」
ひたすらに広い草原を真っ二つに切る街道を、のんびりと進む。天気は快晴。絶好の旅日和だ。
「そうですね……ふわぁ」
俺の左肩で、アトが小さく欠伸した。小さいアトが歩くには非常に遠いので、移動は俺が担ぐことにしていた。
「眠かったら寝てもいいぞ?朝早かったんだし」
「いえ、大丈夫です。起きてます」
「そう?」
アトはぺちぺちと頰を叩いた。まあ頑張りたいお年頃なんだろうな。
ちなみに俺はというと、さすがロボットというか、全く疲れを感じない。この辺りは便利だなぁ、と思う。
「それにしても……やっぱすげえな、この光景は」
思えば、俺はこの異世界に来てからあまり異世界的なものを見てこなかった。せいぜいアトの放つ魔法くらいだろう。
しかし、外に出て、俺は初めて異世界を見た。それも、とびきりのやつを。
「まさか、天空大陸とはなぁ……」
見上げた空。燦々と輝く太陽に寄り添うように――――大陸がひとつ、浮いていた。
「あれかつて『西の島国』と呼ばれていたミーファス王国ですね」
アトは手持ちのバッグから取り出した地図を広げて、一点を指差した。
地図には大きな大陸がひとつとその周囲にいくつかの島が描かれており、アトが指差した場所は、その大陸の北西にある比較的大きな島だった。
「ミーファス王国はかつて有力な国家のひとつでしたが、魔法の発生から数年後に――――突如、浮きました」
「……何で?」
「不明です。一説には『太陽を追っている』と言われており、『陽の沈まない国』なんて呼んでる人もいるそうです」
「スケールでけえ……」
どんな国なんだろうか。いつか行けるといいな、とか思った。色々とヤバそうだけど。
「そういえば、俺たちがいるのは?」
「ここです」
アトが指差したのは大陸の南東、海に面した面積の広い国だ。
「エルメルト王国は大陸でもかなり大きい国です。土地が豊かで、作物が沢山採れます。海では魚も獲れるそうですが……海ってどんなところなんでしょう」
「そうか、海知らないのか」
そりゃそうか、と思った。この村だって草原のど真ん中にあるわけだし、海なんて知らずに行きていく人も多いのだろう。
「簡単に言えば『世界一でかい水溜り』だけど……まあ、旅をしてればいつか見れるんじゃないか?」
「そうですね……楽しみです」
アトの表情は変わらないが、その声は確かに弾んでいた。
「お、これが例の」
太陽と天空大陸がてっぺんを越してしばらく経った頃、俺たちはひとつの分かれ道に差し掛かっていた。
左側には、今まで進んだような草原を横切る街道が続いている。
対して真っ直ぐ進んだ方角には、鬱蒼とした広い森待ち構えていた。
……まあ、言われなくても進む方は分かっているのだが。
「あの……エクサ」
左肩のアトが、おずおずと尋ねた。
「どっち……行くんでしたっけ?」
「いや、キャロリが教えてくれたじゃないか。森は通らずに街道通れって」
「……本当に、ですか?」
ごくり、とアトが唾を呑んだ。
そんなもん当たり前――――いや、そうだろうか。
「あれ、どっちだっけ……」
何を疑っているんだ。確かに聞いたはずなのに。
「キャロリは『街道をまっすぐ進め』って言ってたぞ?」
「でも、そのまままっすぐ進むと、森ですよ」
「……確かに」
街道は森を迂回する形になっており、直進すると森だ。
「いやでも、街道は今までも曲がっていただろ?」
「でもこんなに曲がっていることは、ありませんでした」
「……確かに」
おかしい。俺はロボットだ。どうしてこんなに記憶が曖昧なんだ。
街道、森、森、街道……。二つの言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
その時だ。俺の脳裏に、キャロリの声が響いた。
――――絶っ対に!!街道へ行かないでください!!森を通ってください!!絶対ですよ!?
「アト!森だ!!」
「はいっ!!」
俺たちは意気揚々と森に突っ込んでいった。
……「どうしてロボットなのに記憶力悪いんだよ!!」と俺がキレるまで、あと数日。