邪神様と少女
俺は二人目からの生贄を止めることには成功した。しかし、一人目の生贄を救うことは出来なかった。理由は簡単、俺は動けなかったからだ。
助けを呼ぶことも、外側からかかっている入り口の鍵を開けることも、何も持たずにここに入れられた生贄に食事を与えることもできず。
ただ、日に日に衰弱していく彼女の話し相手になってやることしか、出来なかった。
やがて彼女は事切れた。それからしばらくしてまた村長が次の生贄を連れてきたが、俺は激昂してそれを止めた。
その生贄は、エメラルドをはめ込んだような翠の瞳と、白銀に煌めく髪が特徴的な、美しい女性だった。
名前は、ナノ。
そして今、ナノの面影をはっきりと残した少女が、俺の目の前にいた。
席を外してくれ、とキャロリにお願いし、だだっ広い遺跡には俺とアトだけが残された。
「……」
「……」
アトは翠の瞳で俺をボンヤリと見つめ続けているが、決して何かを話そうとしなかった。俺も人払いはしたが、正直何を話せばいいのか分からなくなって、結局だまっていた。
(気まずい……)
理由は、アトがナノの娘だからだ。
俺が直接手を下した訳ではないが、間接的にナノの死因を作ったのは俺の存在と、その目覚めだ。そこに何の後ろめたさが無いかと言えば、嘘だった。
キャロリの話だと、アトは今年で12になるそうだ。俺が目覚めてナノが生贄に連れてこられたのがちょうど10年前だったので、アトは二歳で母を失ったことになる。
俺はそのアトの存在を、知らなかった。ナノは自分の家族のことを一度も話さなかったし、世話役達もアトの存在を語らなかった。恐らくは、ナノについて話すことが村の中でタブーになっていたのだろう。
アトは、俺のことをどう思っているのだろうか。それが気になった。
「……アト、と言ったな。まずは俺の世話役を受け入れてくれたこと、感謝する」
アトは表情を崩さないまま、じっと俺の顔を見つめ続けている。
「俺はこうして話をすることくらいしか出来ないが、相談とか、話し相手とか、そのくらいの手助けはしてやれる。ここにいる間は、好きなことを話すといい」
アトに何か話すように促してみる。その結果、俺が糾弾されることも、覚悟していた。
「なにか、話したいことはあるか?」
「……」
アトはそれでも無言を貫いた。
翠の大きな一対の瞳が、じっと俺を見つめていた。それが、俺を余計に気まずくさせた。
やがて、アトはほっそりとした白い両腕を持ち上げた。そして、それぞれ人差し指を立てて――――それを交差させた。
「そのバッテンは、なんですか」
「――――は?」
バッテン?
分からない。彼女は何の事を言っているんだ?
……いや、待てよ。もしかして彼女は、俺の頭部のX字のラインのことについて聞いているのか?
いや、まあ確かにXもバッテンも意味としては同じだけど、少しだせえな……。
「あ、ああ。多分これはメインカメラ……つまり、目だな」
「目、なのですか。私たちのものとは、違うみたいですが」
「形は違っていても、機能は対して変わらない。君は虫の目を見たことがあるか?虫は人間と違う目の構造をしているが、『見る』という機能は変わらない。それと同じだ」
「なるほど、では……次に。邪神様は、生きていらっしゃるのですか」
難しい質問だと思った。俺自身、この身体について分かっていないことが多すぎるから。
「どうだろうか。肉体としては生き物とは違う存在だろう。だが、思考している、という面においては人間と大差ないと考えている」
俺は思っている事を素直に伝えた。その後で、何でこんな質問に回答しているんだと思った。
「いや、それはいいんだが……どうして、そんな質問を?」
「好きなことを話していい、と仰られたからですが」
何故そんな当たり前のことを?と問うように、アトは首を傾げた。
「いや、そうだな。確かに言った。だが……」
「では、次の質問を。その目ではどこまで見えていらっしゃるのですか」
「……この遺跡の中は余すことなく見えているぞ。前も、左右も、後ろも」
「後ろも見えていらっしゃるのですか」
「目以外の感覚器が沢山付いているみたいでな。周りのことはかなりの精度で知覚できているようだ」
「なるほど。では――――」
それからアトは矢継ぎ早に質問を繰り返した。
物は食べるのか、身体は何でできているのか。嗅覚はあるのか……。
表情も声のトーンも一切変わらないのに、翠の瞳だけがギラギラと輝くのを、俺は質問に答えながら眺めていた。
(この子もしかして好奇心旺盛なのか……)
随分変わった子に育ってるなぁ、と思ってしまった。
しかし、思えばナノも……。
――――邪神様、ずっと立っていらっしゃいますけど、疲れません?
そういえば、ナノも随分と変わり者だった。
生贄になったというのにおっとりとしていて、変な質問をダラダラと繰り返していた――――最期の瞬間まで。
もしかしたら、似た者親子なのかもしれない。
そんなことを回想している間に、アトは次の質問を思いついたようだった。
「……邪神様はどうして動かれないのですか」
「正確には、動けないんだ。エネルギー……要するに、食事のようなものだな。それが足りていないんだ。幸いこうやって会話をする程度のエネルギーは十分にあるんだが、動こうとすれば十秒も保たない」
「食事で解決はできるのですか」
「無理だ。別の種類の食事が必要になるし、多分それは手に入らない」
この身体がロボットであるなら、そのエネルギー源は恐らく……電力だろう。そして、それが普及している時代でないことは、この存在が『邪神』と言われていることからも、明らかだった。
一度内部のプログラムに問い合わせてみたところ、感覚器と会話機能だけに能力を絞れば、あと百年前後は普通に稼働できるらしい。しかし、動こうとすればその残留エネルギーは即座に尽きてしまうという試算も同時に示された。
「まあ、こうやって人と話しているのも存外楽しいからな。悪くはない」
「そう、なのですか」
「他に質問は?」
「では、最後にひとつ」
アトは振り向いて、遺跡の広いだけの空間を見た。
「邪神様は、これをご存知ですか」
アトの表情は崩れない。
だけど、身体のどこかに付いている集音マイクが、その声の僅かな震えを感知した。
『定義――――其は天より降り落つ光の雨』
瞬間、薄暗い遺跡の中に光が満ちた。ゴォオンッ!!と爆裂音が轟き、空間が大きく震えるのがハッキリと分かった。広間は煙に包まれ、床には焦げ跡が残っている。
それは、俺もよく知る自然現象のひとつだった。
「――――雷」
でも、こんな室内で、どうやって?
そう疑問に思い、だがその疑問は即座に晴れた。
「アト、今のは……」
「私の、魔法です」
再び俺を向いたアトが、おずおずと頷いた。