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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Vatican編 手を携えて
82/83

82話 ヴェネツィアの眠れぬ夜2

 ホテルから出て少し歩いた所でベリザリオが道の脇に寄った。そうして言ってくる。


「どこに行こうか」

「行きたい場所があって向かってたんじゃないの?」

「私達がいつまでもホテルにいるとあいつが動きづらいだろうと思って、とりあえず出てきただけなんだ。アウローラに希望があるのならそちらに行こう」

「ベリザリオは行きたい場所ないの?」

「4人もいたらやりたい事だらけだろうと思って、最初からあまり考えていなかった。だから、アウローラが提案してくれると嬉しい」


 言われて私は考える。

 エルメーテが言っていた嘆き橋に行きたいけれど、あそこにジンクスがあるのは日没時だ。今の時期だと、ヴェネツィアで陽が沈むのは17時くらいのはず。あと2時間少しあるから行くには早過ぎる。


 第2案となると、ベリザリオと2人になれそうな場所として選んでおいたあそこだろうか。私以外絶対に興味がなさそうで、運が良ければベリザリオだけついてきてくれるかなと思っていた場所。


「あのね、行きたい所があるの。レース博物館」

「ヴェネツィアンレースの展示とかしているあそこ?」

「うん、そこ。綺麗なレース製品なんかも周辺で売ってるらしいから、ちょっと見たいなって。でも、興味ない……よね?」

「興味はないけれど行こう。行きたいんだろう? あそこまで少し距離があるから路面電車トラムだな」


 ベリザリオが動きだした。路面電車乗り場に向かっているのだろうけれど、それにしても道選びに迷いがない。思いだしてみれば、レース博物館のことも知っていたし、行き方もすんなり出てきていた気がする。


「ベリザリオ、ヴェネツィア詳しいね?」

「仕事で来たことがあるし、下調べだけは一応しておいた。アウローラが何かしたいって言った時に応えられないと嫌だから」

「そんなに勉強してきたの?」

「任せてくれ。全ての要望に完璧に応えてみせよう」


 軽い声が返ってきた。見えないけれど、仮面の下では笑っているのだろう。

 ただ、行き方はわかっていても、肝心の交通機関が混みに混んでいる。路面電車にもなかなか乗れなくて4本待った。10〜15分間隔て運行しているもの4本だから、なかなかの待ち時間だ。


 そう、この交通渋滞。これが最高に予想外だった。

 なにせ、こんなに混んでいる状態に普段出くわさないものだから、乗れないなんていう事態は考えていなかった。レース博物館から動く時も待つのだろうことを考えると、移動時間だけで2時間を超える。嘆き橋のジンクス体験は無理だ。


 これなら最初から嘆き橋に向かっても良かったかもしれない。完全に判断ミスだけれど、今更どうしようもない。橋なんて見なくても今泣ける。


「どうかした? 元気ない気がするけど」

「そう? 気のせいだと思うよ」


 意地は張っておいた。さっさと諦めればたぶん大丈夫だから。勝手に期待して勝手に悲しんでいる事実は知られたくないし。路面電車に揺られている時間を気持ちの切り替えに使った。


 でも、そんなことをしなくても良かったかもしれない。

 博物館に展示されていた緻密なレース柄が凄すぎて感動して、近所のお店でレース商品を見ていたらとてもテンションが上がったから。気に入った物をお義母様とイレーネちゃんと自分用のお土産に買って、家に送ってくれるように手配する。

 嘆き橋のへこみなんて吹き飛んで、私はほくほくだ。


「隣の区でヴェネツィアングラスを作ってるんだが、少し見に行っていいか?」


 そこにベリザリオが言ってきた。もちろん承諾する。綺麗なヴェネツィアングラスは私も見たかったから。


 こちらは2人とも楽しく見れた。ランプシェードを自分達の部屋用に、お土産にとワイングラスを買った。ワイングラスはデッラ・ローヴェレとメディチの家族全員分。もちろん宅配で。


 どれも現地でないと見れないような品だったので、買い物にはとても満足できた。

 代わりに、周囲はすっかり暗くなってしまったけれど。謝肉祭カルネヴァーレならではのイベントをいくつか逃したのは間違いないと思う。


「なんか、わざわざ今日行かなくてもいい場所ばかり行ってるね」

「本当だな。まぁ、行きたい時に行くのが一番だし。それで、他に行きたい場所は?」

「んー。あとはあんまり考えてなかったかな」


 日没の時に嘆き橋でキスして、あとは流れでいいかなと考えていたと申しますか。


「それじゃあここからは私がエスコートしよう。何かやりたい事ができたら言ってくれ」


 そう言った彼は路面電車乗り場に並んだ。歩くには遠い場所に行くのだろうか。


「どこに行くの?」

「着いてからのお楽しみ。そうふくれないでくれ」


 教えてもらえない不服を表すために頬を少しふくらませたら、指で潰された。

 彼、仮面の下で笑っている気配がする。私の感情は完全にバレているのに、ベリザリオのものは仮面のせいでわかりにくいからズルいと思う。

 言っても仕方ないのだけれど。


 少し長めに路面電車に揺られて停留所で降りた。目の前には大きな白亜の教会が見える。


「教会に行くの?」

「聖堂には行かない。マナーで帽子を取らないとならないから。格好悪いだろう? 私の服で帽子がなくなると」


 歩きながらベリザリオが帽子を上げた。その下にあるのは頭巾だ。頭からすっぽり被って、髪や口元、首まわりを隠しているタイプのものなのだけれど。

 なんというか、帽子がないと、そこはかとなくダサい。


「重要問題だね」

「そうなんだ。だから、あそこにもいくつか美術品は収蔵されているんだが、それは今は諦めてくれ。見たければ明日にでも仮装無しで来よう」


 教会に入った彼は宣言通り聖堂への道からは逸れる。通路の先にあるエレベーターに乗った。鐘楼へと昇るものらしい。

 すぐに籠は止まった。ベリザリオが外に出るから、何も考えずに私も続く。眼下に光の絨毯が広がっていた。


「ここや、時計塔の上からならヴェネツィアの景色がよく見えるんだ。時計塔でも良かったんだが、あれは祭りのメイン会場ただ中にあるから」

「少しでも空いてるこっちにしたの?」

「そう。それに、こちらの方がヴェネツィアの端だから、夜景が綺麗に見えるかと思って」


 ベリザリオは私を伴って鐘楼の端に行く。周囲には私達みたいなカップルが何組かいた。それでも数は少ない。


「穴場だね」

「だろう? こういう場所があってくれて助かる」


 どのカップルからも適度に離れた場所に私達は落ち着いた。ぴったりと腕をつけて寄り添う。闇の中に煌めく街の明かりはとても綺麗だ。空に目を向ければ、ヴァチカンより多くの星が見える。

 結婚してからも、昔と変わらずにこういったシチュエーションを作ってくれるベリザリオが私はとても好きだ。


 キスしたくなった。けれど、隣の彼の顔は仮面で覆われている。

 どうにかしてくれないかなと思っていたら、手が勝手に彼の服を引いていた。

 ベリザリオがこちらを向く。中途半端な角度で止まったのは、長いくちばしがぶつからないようにだろうか。


 そんな仮面が外された。半日ぶりくらいにベリザリオの素顔が現れて、そっと唇を重ねてきた。

 嬉しくて私は彼の背に腕を回す。

 だったのに、キスは軽くで終わってしまった。


「え?」


 疑問の声だって漏れる。


「もっと欲しいの?」


 ベリザリオが悪戯っぽい目で笑っていた。

 私の気持ちをわかっていながら焦らすのだからずるい。

 私は軽く背伸びして彼の耳元で囁いた。

 ベリザリオがとても満足そうに笑う。だったのに、素顔を仮面の中に隠してしまった。


「なんで!?」

「本気でキスして口周りの化粧を落としてしまったら困るだろう? 何か食べにも寄りたいし、夜のイベントも色々始まっているはずだよ」

「あ」


 自分のことなのにすっかり失念していた私である。


「夜景に満足したら食事に行こうか。特設舞台でオペラがあったりもするらしいから、それを観に行ってもいい。アウローラの続きはホテルに帰ってから頂きます。エルメーテと2人部屋なんて地獄に放り込まれなくて良かったよ」


 耳元でベリザリオが言う。物欲しそうに彼の指が私の身体を這うから、心地よい悪寒が私の背筋に走った。

 続きは楽しみだけれど、夜景もまだ捨てがたいし、言われてみればお腹もすいてきた。この混沌とした雰囲気の街で観られるオペラにも興味がある。


 全部欲しくて、なんだか気持ちがごちゃごちゃだ。ベリザリオは狙ってやっていて、私で遊んでいるのだろうけれど。

 そんな彼の遊び心に腹が立って、それ以上にとても幸せだから、許してあげよう。

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