81話 ヴェネツィアの眠れぬ夜
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出発の日の朝は駅に集合。高速鉄道でヴェネツィアを目指した。
この時点で、私以外の3人は軽く変装をしている。本格的な仮装自体はヴェネツィアのホテルについてからやるから、それまでの間で身バレしないための処置だ。
素顔では軽く遊びに行くのさえままならないのだから、有名人は大変だと思う。
そうしてたどり着いたのがヴェネツィア。
イタリア半島の付け根に位置している、アドリア海を臨む都市の1つだ。118もの島から成り立っていて、街の中には水路が走り、人々は小舟で移動して生活している。
――というのは過去の話。
年々上昇する海面に存続問題を抱えていた都は、海水が毒となる直前に周囲の湾を埋め立て、水の都の形跡を消し去っていた。
過去の面影なんて、中心街を本島と呼んだりするあたりにしか残っていない。――らしい。
お昼を過ぎてから着いたその街は、駅を1歩出た所からおかしかった。
古い街並みを闊歩するのは古風な衣装に身を包んだ仮面の人達。もしくは、とても派手なコスプレ集団。あとは、そんな人達を楽しそうに見物している観光客達。
そんな人達でどこもかしこもあふれている。
「なんか、想像以上に凄いね。謝肉祭」
そんな感想しか出なかった。雰囲気もだけど、人口密度も。ちらりとベリザリオを見たら、色々と諦めたような顔をしていた。目を輝かせて興奮しているエルメーテとは対照的だ。
「なんかテンション上がんな〜」
「私はげっそりだ」
「何でもいいから早く移動しましょ。これ、今からまだ増えるんでしょう? 多少なり人が少ないうちに動きたいわ」
「おー、そうだな」
エルメーテが動きだした。ディアーナが横に並ぶ。
「人が多いから離れないように気を付けて。あと、道が悪いから、荷物が転がしにくい時は言うんだよ」
いつもは横に並ぶベリザリオが、今日は私を少し先に行かせた。迷子になったり、荷物が石畳に引っかかったりのトラブルに備えてなのだと思う。実際、スーツケースは何度か石畳で跳ねたし、人の波に流されかけるし。予防線を引いたベリザリオ様様だ。
そんな道中だったものだから、ホテルに着いた頃には軽く疲れていた。
げっそりしている私達をロビーに置いてエルメーテはチェックインに行く。すぐにカードキーを4枚持って帰ってきた。
「お前達夫婦の鍵はアウローラに渡しとくな。で、アウローラ。ちょっと来い」
来いと言いながら私を引きずって、エルメーテはベリザリオとディアーナから離れた所まで移動する。明らかに怪しいと思うのだけれど、この人わかっているのだろうか。
「怪しまれるんじゃない?」
「問題ない。俺がおかしいのはいつものことだ。さすがのあいつらでも、何を企んで怪しい動きをしているのかは特定できないはずだ」
「それってどうなの」
自慢できる特性ではないと思うのだけれど。そんなことはどうでもいいとエルメーテは話を続ける。
「俺が準備をできる限り遅らせてこっちの出発時間を遅らせるから、お前達2人で先にどっか行け。それで問題なく二手に分かれられる」
「先に行く理由考えるのが、結構な難題の気がするんだけど」
「大丈夫だ。お前はベリザリオが嫁にしてもいいと認める程度には頭が回る奴だ。俺の期待にも応えてくれると信じてる」
「それって認めてるの馬鹿にしてるの、どっちなの」
「話は終わりだ! 頼んだぞアウローラ隊員!!」
エルメーテは私の手にカードキーを2枚押し付けてディアーナの方に駆けていく。抵抗している彼女の背中を押してエレベーターに押し込んでいた。扉が閉まる寸前に、こちらに向けて笑顔で手を振っていた姿がなんだかなぁと思う。
私が呆れながらその様子を眺めている間に、ベリザリオと荷物運びのボーイさんが横に移動してきていた。
「あいつ、なんの用だったんだ?」
「え、えーと。まだ内緒! 私達も部屋に上がって準備しよう?」
私は笑顔でエレベーターを指した。我ながら苦しい返事だなとは思うけれど、ベリザリオをごまかす妙案が浮かんでいないのだから仕方ない。幸いにもベリザリオは何も突っ込まず、カードキーを1枚回収しただけで動いてくれる。
エレベーターに乗って上階に向かった。
ベリザリオは何も言わない。ただ、何かを考えているように斜め上の方に視線が流れている。これは絶対内緒にした部分を考えている。契約内容がバレるのではないかと、私は気が気じゃない。
そうしているうちに部屋について、ボーイさんは荷物を置いて出ていった。
「あいつらの部屋番号知ってる?」
2人になった途端にベリザリオが尋ねてくる。
「ううん」
何も考えずに私は答えた。自分のスーツケースを開けて衣装を出していく。ベリザリオも衣装を出していた。
とりあえず仮装しなければならないので、それぞれに着替えを始める。
「エルメーテがディアーナと2人で祭りを楽しめるよう協力しろ。さしずめ、私をどこかに連れだせといったところか」
唐突にベリザリオがつぶやいた。
「え?」
私の笑顔が引きつる。振り向いたら彼と目が合った。目をそらしたらいけないと思うと目が乾く。何度もまばたきした。
「当たりだな。まったく人騒がせな奴だ」
ベリザリオが私の頭をぽんぽんとする。私は心の中でへこんだ。あんなにまばたきしたら、誰だって何かを感付く。知っていたけど、やはり私は嘘や隠し事が下手だ。
「あいつ詰めが甘いんだよ。私達にあいつらの部屋番号を教えていない時点で合流するつもりが無さ過ぎだし。バレて当然だ」
着替えを続けながら彼はぼやく。
「だいたいからして、偶然を装って別行動したいなら、ホテルも別にすれば良かったんだ。そうすれば廊下でばったりの確率も減るし。ホテルが混んでて予約が取れなかったとか、理由をでっち上げれば簡単だろうに」
早々に彼は着替え終わって、小道具のステッキで手遊びしだした。
気楽な彼と違って私はまだまだ大変だ。ドレスは着たけれど、今度は髪をセットしないといけない。アイロンを出して髪を巻いていく。
いい感じにウェーブがついたら1つにまとめて斜め上で留めて、スプレーで固めて。
なんて格闘していたら微妙な違和感があった。なんだろうと目を向けてみると、ベリザリオのステッキがドレスの下に入り込んでいる。それで、スカートめくりみたいなことをしようとしているように見えるのは気のせいだろうか。
「何してるの?」
「昔の医者は、病気をうつされないように、こうやって杖で患者の服をずらしたりしていたらしいぞ」
うんちくを披露しながら彼は手遊びを止めない。確かにベリザリオの仮装は医者だから、昔の医者の行為を真似してみせてもいいんだけど。今のそれは、ただのスケベ男の戯れだろう。
「お医者さんごっこ禁止!」
「あいたっ!!」
手加減無しで彼の頬に平手打ちしておいた。
頬が赤くなったベリザリオを床で正座させて反省させる。私は化粧に移った。今の化粧を落として、紫のドレスと合うようにシャドウや口紅を紫にする。
化粧が終わったら髪飾りをつけて、最後に目元だけを隠すタイプの仮面をつけた。
私の仮装は魔女。悪い女っぽい仕上がりになってなかなかに満足だ。
「それで終わり?」
「靴を履き替えて、マントをまとうだけかな」
「それじゃあ私も仕上げるか」
ベリザリオが立ち上がった。全身真っ黒の服に着替えていただけの彼が黒手袋を着ける。服の上から黒のインバネスコートを着て、長いくちばしのある真っ白な仮面をつけて、最後に黒のつば広帽をかぶった。
顔が完全に隠れたので、これがベリザリオだなんて全くわからない。数いる黒死病専門医の1人だ。
「なんか別人になったね」
「アウローラもな。というか、ヤバイなこれ。テンションが上がる」
いそいそと彼はマントを私の肩周りに回してくれる。靴を履き替える時も手を貸してくれて、私の準備も終了した。
ベリザリオが玄関扉を開ける。
「行こうか。この格好なら服装規定のあるイベントにも参加できるし」
「エルメーテは放置しておいてくれる?」
大丈夫そうな気はするけれど、私は一応確認することにした。ベリザリオからはすんなりと答えが返ってくる。
「放っとくさ。あいつ最近「俺も身を固めてー!」って言いまくってたから、この旅行で何か企んでるんだろう。それを邪魔するほど野暮じゃない。私達なんて、ディアーナを旅行に引っ張り込むための撒き餌だろうし。撒き餌らしく、仕事が済んだら無くなってやるのが優しさだ」
「私達もグルだってバレたら、ディアーナに雷落とされそうだけどね」
「それはその時に考える。それまではデートを楽しむさ」
ベリザリオが誘うように私の方に手を伸ばしてきた。
「だろう?」
「うん!」
私はその手に自らの手を重ねる。そのまま腕を組んで出発した。エルメーテのわがままで得られた2人の時間。とても楽しみだ。




