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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Vatican編 手を携えて
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80話 白封蝋の手紙

 ヴェネツィア旅行の1週間前のとある日の夕方。

 エルメーテに呼び出しを受けた私は小さな喫茶店に来ていた。後ろめたくはないのだけれど、なんとなくサングラス着用。のんびりと珈琲を飲みつつ雑誌を読む。


 そうして時間をつぶしていたら前方に気配がした。雑誌から顔を上げると、カツラなのが丸わかりな不審人物が見える。その人は私の前の席に座った。


「俺俺。俺さんですよ」


 そうして、わざとらしくサングラスを下ろしたりする。

 いや、わかるから。エルメーテでしょ?

 これ以上主張されるとうるさいので、私は上半身をぐいっと前に出した。


「それで何の用なの? わざわざ外に呼び出して、絶対にベリザリオに知られるなだなんて、ろくでもないこと考えてるんでしょう?」

「俺が悪い奴みたいな言い方するなよ。お前にも美味い話なんだからさ」


 エルメーテが自信満々に笑う。私の警戒度が上がった。エルメーテの美味い話には気をつけた方がいい。どこかに穴があることが多いから。


「一応聞くけど、話って何?」

「今度のヴェネツィア旅行、俺はディアーナとイチャつきたい。お前も俺と同じ側の人間のはずだ。イチャつきたいだろ? ベリザリオと。だからよ、途中で、偶然を装って分かれようぜ」

「……」


 呆れた。なんともエルメーテらしい、欲望に忠実な提案で呆れた。けれど悔しいかな。その提案は私を強く誘う。


「例えばだ。ヴェネツィアには嘆き橋っていう橋があるんだが、日没時にその橋の下で恋人とキスすると、永遠に結ばれるらしいぜ」

「私もう結婚してるんだけど」

「それでも好きだろ? こういうの。そんで、やりたいだろ? いいんだぜ、やりに行っても。ただし、俺もいたらガン見するけどな」


 エルメーテが私を見てくる。言いたいことはわかるな? とでも言いたげに。

 わかるよ、とっても。それまでに2グループに分かれられていれば、エルメーテの目を気にすることなくキスできるよって言いたいんでしょう?


 けれど、すんなり承諾するのはしゃくなので、他の話題にも触れてみる。


「ベリザリオに話を持っていかなかったのはなんで?」

「なんでって。ベリザリオもディアーナも腹黒だけど糞真面目じゃん。あいつらのことだから、4人で旅行と決めたら寝る時以外4人で動きそうじゃん。絶対却下される」


 ありそうと思ってしまった。ベリザリオのことだから、2人でイチャつくのはヴァチカンでもできるから、旅行の時くらいみんなで楽しもうとか言いそうだ。


「エルメーテ」


 私は手を差しだした。エルメーテが無言できつく握り返してくる。契約成立の瞬間だった。



 * * * *



 1月の第3週、金曜日の夜。

 明日あさっての旅行のために、私とベリザリオは荷造りをしていた。

 大きめなスーツケースの中に仮装用の服、靴、髪飾り、その他お泊まりに必要なこざこざを入れる。ともかく服がかさばるものだから、たった1泊なのに、1人1つずつスーツケースが必要になった。


「凄い荷物だな。これ、衣装を何着も用意する連中もいるんだろう? どうやって持ち込むんだ?」

「泊まる予定のホテルに先に荷物だけ送って、預かっておいてもらうとか?」

「できるのか? それ。みんながやったら、ホテル側がパンクしそうだが」


 とかなんとか、私達では永遠に答えに到達しない疑問が話題に上る。そこに、遠慮がちに爺やが声をかけてきた。


「失礼します。坊っちゃま、手紙が届いているようですが」

「こんな時間にか?」

「はぁ。先ほどポストを見たら入っておりまして。ですが、差出人も消印も無いのです。不審物ですので、不要でしたら私の方で処分しておきますが」

「一応見ようか。ありがとう、下がってくれ。いらないようなら私で捨てる」


 ベリザリオは手紙を受け取って爺やを下がらせる。最初は表を見て、すぐに裏返していた。眉が片方だけぴくりと動く。


「どうかした?」

「いや。少し前に、教皇庁の方にもこんな手紙が来ていたなと思って。ほら、この封蝋。百合の紋章(フルール・ド・リス)じゃなくて、百合の花を模しているんだ。他では見ない印だったから覚えていた」


 そう言って彼の見せてくれた白い封蝋には、くっきりと百合の花が浮かび上がっていた。知っている見た目で警戒が解けたのか、無造作にベリザリオは封を切る。


「前のは、確か……。香り付きの便箋が入っていたんだったか。同一人物が寄越してきたのだとしたら、こちらにまで届けるとはご苦労なことだ」


 中から1枚の便箋を取りだしていた。他に中身はないみたい。その便箋も、ベリザリオはすぐにしまっていたけれど。


「もう読み終わったの?」

「ああ。見る?」

「いいの?」

「構わない。むしろ、アウローラならどんなつもりでこんな手紙を出すのか教えてくれ」


 ベリザリオが便箋を渡してくる。ほんのりと優しい香りがした。


「匂い紙?」

「なのかもな。以前もらった便箋にも匂いがついていたし。それで、その時に成分を分析してみたんだが、何かの花の香りの成分だった気がする。こんな感じの匂いだったから、今回も大丈夫だと思うが」

「ふーん」


 ラブレターみたいと思いながら私は便箋に視線を落とす。



 ――水の都は今年も大混雑の季節になりましたね



 それだけが書かれていた。念のためひっくり返してもみたのだけれど、他に文字は見られない。


「水の都ってヴェネツィアだよね? 私達の旅行のことを知っていてこの文章だったら……。ストーカー?」


 あはは、と、私の口から乾いた笑いが漏れた。ベリザリオは困り顔だ。


「もしくは、たんに、季節の大きなイベントをネタにしてきただけかだな。以前も季節の挨拶だけ書いて寄越していた気がするから、それと同じかと思って。そこら辺の判別が付かなくて困ったんだ」

「ごめん、私にもわかんない」


 そっと彼に便箋を返す。ベリザリオは便箋を封筒に入れて書き物机の引き出しにしまっていた。頭を掻きながら彼はどこかへと視線をさまよわせる。


「まぁ、今のところ、警護の人間から不審人物の連絡は上がってきていないし。狙われているにしても私だから、問題は無いか」


 ぽそっと結論づけていたようだった。いくらベリザリオでも、ストーカーにつけ狙われたら危ないと思うのだけど。警備の網に掛かってこないくらいだから、危険度は低いと判断したのかもしれない。

 ベリザリオの話ぶりだと、ヴェネツィアが話題に上がっているのは偶然と考えている割合の方が高そうだし。


「いらない心配をして旅行がつまらなくなると楽しくない。忘れてくれ」


 笑ってそう言われたから、私は気にするのを止める。私が行きたいって言った旅行なんだから、言い出しっぺはきっちりと楽しまないとね。

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