79話 エルメーテ的ストレスの抜き方
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ベリザリオが枢機卿になった翌年、ディアーナも枢機卿に叙階された。さらに1年。エルメーテも枢機卿になる。
これでめでたく第一関門はクリアということで、腐れ縁4人でささやかな祝賀会を開くことにした。
会場はデッラ・ローヴェレ家の庭。
記念写真を撮るために、枢機卿3人には真紅の司祭服で参加してもらっている。
なのだけれど、思い付きで開いた会なものだから、庭のどこでやるのかまで決めていない。全員集まってから気分で決めた。
今はまだ設営中。ベリザリオの運んでくれた机に私はテーブルクロスを敷く。
「それにしてもね。所信表明、エルメーテまで同じのを言わなくても良かったと思うんだけど」
作業しながら言った。
枢機卿に叙階された時は所信表明を行う。ベリザリオが「みんなずっと笑って暮らせるといいね」と言ったあれだ。
驚いたことに、去年ディアーナはベリザリオと同じセリフを言っている。まさかと思ってエルメーテ叙階式を見ていたら、彼まで同じことを言ったのだ。
頭の良い3人だから、私には考えも及ばない理由があるのか。はたまた考えるのが面倒だっただけか。謎なものだから、ひと言物申したくもなる。
「だってよー。あの言葉、超便利なんだぜ? そりゃ拝借するって」
使用人さんが食べ物の盛られた大皿を持ってきてくれた。エルメーテがそれを受け取って、そのままつまみ食いが始まる。
即刻ディアーナにシバかれていた。
2人の戯れを横目に、ベリザリオはグラスにスパークリングワインを注いでいっている。
「私は昇進することだけに専念しすぎてしまっていたからな。これをしようという考えを詰める時間が絶対的に足りていなかった。だから、聴衆側が勝手に良い方向で解釈してくれそうな言葉を選んだんだが」
「で、去年、所信表明の中身を考えている時に私も同じ問題にぶち当たって、そういえば良い前例があったと思って流用したのよ」
「右に同じ。昔の奴と同じことを言っちゃイカン、なんていう規則は無いからな」
各自椅子を持ってきて思い思いに座る。
「まぁ、次に枢機卿になる奴は真面目な演説をしてくれるだろう。とりあえず乾杯するか」
グラスの1つをベリザリオが手に取った。他3人もグラスを持つ。ベリザリオが軽くグラスを掲げた。
「無事、3人揃って枢機卿になれたことに。乾杯!」
「かんぱーい!」
私達もグラスを掲げる。
「次の枢機卿も同じセリフ言って、あのセリフ言うのが慣習になったりしたら笑えるよな」
にししとエルメーテは笑う。グラスを置いた彼は取り皿に食べ物を取り始めた。お肉ばかり取っていくものだから、こちらも肉好きのベリザリオが慌てて自分の分を確保に動く。
「あなた達。4人分だということを考えて取りなさいよ」
ディアーナのひと言で男性2人の不毛な争いが止んだ。
それぞれの皿に山盛りになったお肉を見て、ベリザリオは私に「食べたいのある?」と聞いてきてくれる。
いくつか貰っておいた。
「それにしても、全員20代で枢機卿になれたってすごいね。普通、早い人でも30代なんでしょう?」
確か、お父さんがそんなことを言っていた気がする。
「誰かさんはギリギリだったみたいだけどな」
「ほんと。あなたって万年3位よね。たまには上に上がってくれていいのよ?」
「ねぇ。お前達それ褒めてるの? けなしてるの? 褒めるならアウローラを見習ってくんない?」
皮肉交じりの軽口が飛ぶ。そんな感じで騒いでいたら、カメラ片手にフェルモがやってきた。
「はいはい。お取り込み中失礼しますよ。写真って今撮っちゃっていいの? 後で呼び出しくらうの?」
「写真撮るって言ってた割にカメラねぇなと思ってたら、カメラマン、フェルモ?」
「他に頼んでおかないと全員で写れないからな」
「頼まれるのはいいんだけどさ、いつ撮るわけ?」
むしろさっさと仕事を終わらせてくれとフェルモが言ってくる。
今撮ればいいんじゃないかなと思って私は起立した。同じタイミングでみんな立ち始めている。言いはしなかったけれど、ここら辺の考え方は全員同じようだ。
けれど、そこからがまとまらない。
「なー。俺、どっち向きで写ればいいと思う? 個人的には左斜めがダンディな気がするんだけどよ」
いくつかポーズをとり続けて、じっとしないエルメーテ。
「どう撮っても誤差よ。いつもの間抜け面にしか写らないわ」
「ヒドイ! たまには褒め称えてやる気を出させてくれてもいいのに!」
「あなたがやる気を出すとろくなことにならないでしょうがっ」
ディアーナとの間に喧嘩に発展しそうな空気を醸しだしている。その姿を私とベリザリオは少し後ろから見ているのだけど。
「あれ止めなくていいのかな?」
「寝ている犬は寝かせておけと言うしな。放置しとけば鎮火する。それより私達はどういう風に写ろうか」
なんていう感じで、彼に場を取りまとめるつもりはないみたい。
ねぇねぇ、でも、ちょっと考えてあげた方がいいんじゃない? フェルモの機嫌がだんだん悪くなっていっている気がするよ?
パシャリ。
ポージングも何もしていない時にシャッターが切れた音がした。私達4人の顔がフェルモの方に向く。
「あれ? 今、撮った?」
「撮ったよ。全員収まってるし、もうこれでいいでしょ。じゃ、僕は退散するから」
フェルモは私にカメラを渡していなくなる。うん。そうだよね。私以外の人に渡したら、その時に怒られそうだもんね。人選は間違えていないと思う。
「それってどういう写り方してるわけ? ベリザリオ、フェルモの躾がなってねーんじゃねーの?」
「なんで私がフェルモの躾をしないとならないんだ。どう考えても、お前がいつまでもくだらん事にこだわっていたせいだろ」
「はぁ? 俺が悪いってか? お前だって、そっちで仲良くよろしくやってたじゃねーか」
「アウローラとどれだけ仲良さそうに写るかは、私にとって最重要課題だ」
「あなたもいい加減よね」
やいのやいのと言い合いがおさまらない。たまに思うのだけど、私達って仲が良いのか悪いのかわからないよね。
* * * *
念願の枢機卿になれたエルメーテだけれど、1年で泣き言を言いだした。
再び集まるようになった土曜のジムで愚痴が漏れる。
「枢機卿堅苦しすぎる。変装しねーとオチオチ外も歩けねぇとか、どうにかなんねえの?」
「変装すれば済むんだからいいだろう」
「ベリザリオも、お出かけする時にはカツラとサングラスがお友達だもんね」
「それでも、もしもの時のために、言動は気を付けておいた方がいいわよ」
「共感してくれる奴ゼロで俺悲しい」
メソメソとエルメーテが顔を手で覆う。いつもの嘘泣きだろうから誰も反応しないのまでがお約束。
しばらく放置していたらエルメーテが静かになった。ゴソゴソと動きだしたと思ったら、ジャージのポケットからくしゃくしゃになった紙を出して広げる。
「息苦しい生活にうんざりしているであろうお前達に、俺様が清涼剤を持ってきてやったぞ!」
「前振りは完全に無視だな」
「ていうか、理由を付けて、これに一緒に行って欲しかっただけでしょう?」
ディアーナが広げられた紙を指す。
それは、年に1度開かれる、ヴェネツィアの謝肉祭のポスターだった。中世の衣装で身を包んだ仮面の人達が、紙いっぱいにあふれている。
「いいじゃん、いいじゃん。行こうぜ。仮装に紛れちまえば俺達だってバレねえから、軽くハメ外してこようぜ」
「お前は普段でもハメは外れ気味だろうが。ていうかこれ、人が凄いんじゃなかったか?」
ベリザリオがげんなりとした。彼、人混み嫌いだから、あんまり行きたくはないんだろうね。謝肉祭にはヴェネツィアの人口の倍以上の人がヨーロッパ中から押しかけて、どこもかしこも人だらけになるらしいし。
「私ちょっと行ってみたいな。楽しそうだよね、これ。私も仮装してみたいし」
わかっていたのだけど、私は「行く」方を推した。だって、普段の生活じゃ、こんな混沌とした世界味わえない。昔風のドレスだって着てみたい。それで、ベリザリオにお姫様だっこしてもらって、もにょもにょ。
妄想が膨らんで、きゃーきゃー叫びながら床をばんばん叩いた。
「おい、あれはどういう状態なんだ、夫」
「幸せそうだから放置しといてやってくれ。とりあえず、謝肉祭に行けば幸せになれるらしいな」
「あの子のあれ、治らないわよねぇ」
「あれはあれで可愛いものだよ」
といった感じで、私を放置して話は進む。3人とも気付いていないみたいだけれど、この状態でも話は聞こえている。妄想をもう少し楽しみたいから、あえて外の会話に加わりはしないけれど。
「うし。アウローラが行く気まんまんだから、ベリザリオはもれなくついてくるな。で、ディアーナはどうするよ?」
「行くわよ。1人残っていてもつまらないし」
「そんじゃ、全員参加っちゅーことで。土日で行くから、土曜に休みとり忘れんなよ。んで、宿は俺がとっといてやるわ。ベリザリオ夫妻と俺達、スイート2つな!」
「私、あなたと一緒なの? アウローラとがいいわ」
「お前……。そんな、俺とベリザリオが残念な気分になることを言ってやるなよ」
今度は部屋割りで言い合いが始まる。私の思考は衣装の方に流れだした。それで、途中で気付いた。ドレスを作るのならオーダーメイドになるはずだから、あの地獄の採寸が待っているのではなかろうか。ヴァチカンのお店でオーダーメイドしたことないし。
予感は正解で、後日、きっちり着せ替え人形にされた。
Let sleeping dogs lie.
直訳すると「寝ている犬には寝させてあげよう」。
日本語の「触らぬ神に祟りなし」と同じ意味になります。




