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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Vatican編 手を携えて
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74話 変化と変わらないこと

 見慣れない人達を引き連れてベリザリオは叙階式から戻ってきた。

 けれど、集団は玄関口で止まる。明日がどうのと打ち合わせだけして去って行った。

 話の内容や見た目から判断するに、運転手兼秘書さんと警護の人達だろうか。

 彼らから解放されたベリザリオを私は出迎える。


「おかえり。これからはベリザリオも車出勤組?」

「ただいま。そうだな。むしろ、私が公共交通機関で通勤している方が周囲は迷惑だろうし」

「それもそうだね」


 おかえりのキスをして屋敷の奥へ向かう。

 叙階式の時は司祭服カソック姿だったベリザリオだけれど、今はスーツ姿だ。

 司祭服カソックは仕事着だから、職場で着替えるというシステムは位が上がっても同じらしい。お義爺様がスーツで出勤しているから、そうなんだろうなとは思っていたのだけれど。


 スーツ姿に仕事鞄を持ったベリザリオが路面電車トラムに揺られているのがいつもの光景だ。

 その生活を続けることもできなくはないだろうけれど、昇進したせいで、これからは秘書さんや護衛さんまでついてくる。普通に周囲の人が迷惑だろう。

 朝って混んでるし。混雑に紛れて刺されたりした日には大騒ぎだろうし。

 そんな考え事をしながら歩いていると、


「あの、あの。ご褒美は?」


 心配そうにベリザリオが私を見てきた。私はふふっと笑って人差し指を唇に添える。


「おあずけ。夜にね」

「まさかのおあずけがあるのか」


 残念だとかなんとか彼は言っているけれど、私には勢いよく振られている尻尾が見える。むしろ、おあずけと聞かしてから振りが大きくなったような。

 いつも見えてくれればいいのにこの尻尾。ベリザリオの感情がわかりやすいから。




 その日は夕食が豪華になった。家族一同で、ベリザリオの枢機卿就任のささやかなお祝いをする。


 団らんがひと段落したら夫婦で自室に引っ込んだ。

 そこで、おあずけにしていたご褒美をきちんとあげる。褒めに褒め倒した。

 流れのままじゃれてお喋りをしている間に私は眠ってしまったのだけれど。大きな山を1つ越えられたからか、いつもより安らかに眠りにつけた――気がする。




 物音がした気がして私の目が覚めた。薄く目を開けてみるとベリザリオが着替えている。時計に目を向けると1時だった。こんな夜中だというのに、彼の服は外出用のものに見える。


「どこか行くの?」


 ベッドの中から私は尋ねた。一瞬だけベリザリオがこちらを向いて、けれどすぐに着替えに戻る。


「起こしたか。すまない。ちょっと研究所に行ってくるだけだよ」

「今から?」

「ああ。朝までには帰ってくる。気にしないで寝てくれ」


 ベリザリオが私の頬にキスする。そのまま離れようとした。その腕を私は掴む。


「こんな時間に出歩くのは危ないんじゃない?」

「車で移動する。これなら犯罪に巻き込まれにくいだろうし、移動時間も短縮できるし」

「じゃあ、起きている運転手さんを探すくらいはしてくるよ」


 身を起こそうとした。そんな私をベリザリオが押さえる。


「いい。自分で運転できるから。こんな時間まで働かせたら彼らがかわいそうだ。それに、自分で動く方が帰りも時間が自由だし」

「居眠り運転しない?」

「しないよ。どうしても眠ければ向こうで少し寝てくる」

「……うん、わかった」


 おとなしく私は毛布の中に戻る。ベリザリオの手は放さぬまま言った。


「ねえ、約束して? 戻ってきたらちゃんとベッドで寝るって。私を起こしてもいいから」

「ああ、約束する。だから寝てくれ。お前まで寝不足にさせてしまったら心苦しい」


 寝ない子をあやすように彼は私の頭を撫でる。その温かくて大きな手が気持ちよくて、私はすぐにまた眠りに落ちた。




 翌朝。

 仕事に行くために私はいつも通りに家を出る。夫は偉い人になったけれど、私は一般人のままなので変化は無い。のんびりバスに揺られて出勤だ。


 けれど、今朝は途中で見知らぬ人に絡まれた。


「アウローラ・ディ・メディチさん。先日叙階を受けたデッラ・ローヴェレ卿の奥様ですね?」


 その人が道を塞ぐように立ちふさがるものだから、私は止まる。なんとなく、持っていた鞄を胸の前で抱いた。その人はペンとメモ帳を出して私へ目を向けてくる。


「そう緊張していただかなくて結構ですよ。ちょっと普段の生活について聞きたいだけですから」

「どうして私がそんなことをお話ししなきゃならないんです?」


 その人が発する空気が嫌いで私は後ずさる。

 そんな私の横を涼やかな空気のお姉さんが通っていった。そのまま通過かと思ったのだけれど、お姉さんは私と記者風の男性の間に入る。


「報道協定はご存知ですね? 要項の1つに、教皇、枢機卿のプライベートをむやみに取材、報道することの禁止があります。特に、ご家族が一般人で取材を嫌がっている場合、配慮すべきだと思うのですが」


 記者さんが1歩退がった。お姉さんは手を出す。


「所属と名前を書いて提出を。そのメモに走り書きで構いません。嘘の情報を渡しても無駄ですよ。きちんと調べますから。偽称が判明した場合、後日警察に届けます」

「は!? なんでそんなことを」

「協定違反は1度目のようなので、イエローカードというところでしょうか。といっても、2度目を犯したら将来がなくなりますが。逆らうようならこの場で連行します」


 さっさと情報を寄越せとでも言うようにお姉さんが手を動かす。

 記者さんは諦めたようにメモに何かを書き付けてページを破って渡していた。そうして退散しようとしていたのだけれど、お姉さんが制止の声をかける。


「カメラを」


 再び手が出された。記者さんが首を横に振る。


「撮ってない!」

「嘘ですね。この方に話しかける前にカメラを向けていた姿、見ていますよ。偽証罪で警察に突き出してもよいのですが」

「……」


 観念したように記者さんは首から吊るしたカメラをお姉さんに渡す。お姉さんは容赦なくフィルムを抜いて感光させていた。もちろんフィルム自体も回収する。


「これに懲りたらデッラ・ローヴェレ卿の周囲を嗅ぎ回らぬことです。度がすぎると職を失いますよ」


 カメラ本体は記者さんに返していた。カメラを取り戻した記者さんは逃げるようにいなくなる。お姉さんは私に振り返った。


「怖い思いをさせてしまい申し訳ございません。わたくし、ロクサンヌ・ルーと申します。ベリザリオ様からあなた様の身辺警護を仰せつかっております。先程のような輩がしばらくは寄ってくるでしょうが、わたくしの方で対処させていただきますので、ご心配なされませんよう」


 自己紹介してくれる。けれどすぐにどこかに行こうとした。私の視界に入らない所から見守ってくれるのだろうけれど。

 私はルーさんの服の裾を掴んだ。


「ね。警護してくれるなら横にいてくれない?」

「構いませんが。わたくしがお近くに常にいると煩わしくありませんか?」

「横にいるのも見えない所にいるのも同じだし。それなら喋り相手になってくれる方が嬉しいかな。ベリザリオのことだから、私と相性の良さそうな人を選んでくれているだろうし」


 実際、ルーさんの雰囲気は丁寧なディアーナという感じだ。さばさばとした人なのだろう。そういうタイプなら話しやすい。


 私は歩きだした。このままここで喋っていると遅刻してしまうから。ルーさんは私の横についてきてくれる。


「ひょっとして、私のわがままも聞くようにとか言われてる?」

「できる限り対応して欲しいとはうかがっております。喋り相手になれくらいは言われるかもと仰っておられましたが」

「うわー。行動読まれちゃってるね」


 まさしく彼の予想通りの行動を私はしていたから、逆に笑いが出た。ひと笑いしたら私も軽く自己紹介する。

 その後は取り留めもない話をしていたのだけれど、ふと、気になることが浮かんで尋ねた。


「ベリザリオ、私が記者に絡まれるってわかってたのかな?」

「高い確率で予想はされていらしたようですね。なにせ卿は歴代最年少の枢機卿の上にあの見た目ですから。スクープは高値で売り買いされるはずです。ですが卿の周囲は警備が厳しい。情報を求めてあなたに接触してくる連中がいるはずだと」

「そうなんだ? じゃあ、私が外でふらふらしてると、ベリザリオは気が気じゃないね」

「いいえ。むしろ卿は、あなたには自由であって欲しいと仰っておりました」


 幸いにも、世間に私の存在は公にされていない。だから、やろうと思えば今までと変わらぬ生活を送れるとルーさんは言う。

 それは、昇進前にこっそり式を挙げられたからであり、デッラ・ローヴェレ本宅への引っ越しを済ませていたからである。


 特に引っ越しは大きい。厳重に警備を敷いてプライベートを守れるから。

 前の家だと同レベルの警備は敷けない。家が記者に囲まれる可能性もあったことを考えると少し怖い。

 ベリザリオのことだから、結婚していなくても、昇進が決まった時点で強引に私も連れて実家に引っ込んだのだろうけれど。


 お義爺様が前にチラッと言っていた「挙式日や引っ越しが私を守るため」という言葉は、この事態を見越してのことだったようだ。私は見通しが甘いから、実際に直面してようやく気付く。

 普通の人はそうですよ、と、ルーさんは笑ってくれるけれど。


「ですので、なさりたい事をなさいませ。あなた様が幸せそうに暮らしてくれることが、卿の幸せらしいので」

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