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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Vatican編 手を携えて
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73話 叙階

 9月。ベリザリオ達3人は揃って昇進して新年度を迎えた。

 目的ポストに到達したからか、ベリザリオが教皇庁のために割く時間が大幅に減る。研究所通いは相変わらずだったけれど、行かずに定時に帰ってきてくれる日ができた。それが嬉しい。


 そんな生活を送ってひと月。


「モンテフェルトロ卿が引退を申し出てきた。国務省は長官交代だ」


 夕食時にお義爺様が話を切りだした。反応するのはもちろんベリザリオだ。


「予想より早かったですね。あと2年は粘るかと思いましたが」

「後を継ぐはずのご子息が不運にも失脚してしまったからな。心が折れたらしい」

「それはそれは。まぁ、官房一同、次の長官は、ご子息の前官房長だと思っていたくらいですからね。私含め。心中お察しします」


 しゃあしゃあと彼はのたまう。本音を知っている私とお義爺様は、なんとも言えない顔になってしまった。

 咳払いを1つしてお義爺様が話を続ける。


「内示はこれからだが、現在官房長のお前が次の長官だ。昇進は半年後。さしあたって、枢機卿位への叙階だけ先に行う。2カ月後に叙階式をするから司祭服カソックの手配をしておきなさい。併せてデッラ・ローヴェレの家督もお前に移す。叙階日から、対外的にはお前がデッラ・ローヴェレ卿を名乗るように」

「慎んでお受けします」


 ベリザリオが静かに頭を下げた。

 突然の話に、お義爺様とベリザリオ以外はぽかんだ。


 何やら大変な話になってきた。

 とりあえず実家に連絡だろうか。……。いやいや、内示がまだって言ってたし。いつ実家にも教えていいかベリザリオに確認しよう。それから連絡。

 私の両親だって、お祝いくらいはしたいだろうから。




 叙階式の日。


「お義姉様、お急ぎにならないと叙階式が始まってしまいますわ」

「待って待って。そんなに押すと転んじゃう」


 イレーネちゃんと騒ぎながら私はリビングに駆けこんだ。


「ギリギリね、あなた達」


 テレビの前に置かれた長ソファの端に座っているお義母様が言ってくる。同じソファに私とイレーネちゃんも座った。


 枢機卿交代という一大イベントなので、叙階式の様子がテレビ放送されるのだ。

 テレビ画面には、普段は封鎖されているシスティーナ礼拝堂の祭壇が映されている。祭壇への道をあけるように、両端に枢機卿、大司教、司教といった、平素はお目にかかれない高位聖職者達が顔をそろえる。


 オルガンが奏でられる中お義爺様が歩いてきた。家の中と違って今日は正装だ。教皇専用の白い司祭服カソックの上から祭服カズラを着て、頭には司教冠ミトラまでかぶっている。


「お爺様、あれで偉いんですわよね」

「そうよイレーネさん。あなた、もう少しお義爺様を労わってもいいと思うのだけど」

「嫌ですわ。お爺様お説教が多すぎるんですもの。わたくし、ベリザリオお兄様みたいに褒めて伸ばす型のお爺様が欲しかったですわ」


 尊いはずのお義爺様に対してご家族は言いたい放題だ。かくいう私も家でのお義爺様しかほとんど知らないから、少し厳しいお爺ちゃん程度の認識くらいしかない。なんていうかごめんなさい。


『これより叙階の儀式に移ります。ベリザリオ・ジョルジョ・デッラ・ローヴェレ。前へ』


 女性陣が騒いでいる間に式が進んだ。

 ベリザリオの名前が聞こえてお喋りがピタリと止む。

 テレビの中でも、一切の音が無くなり静寂が落ちた。


 そんな中、赤い絨毯の上を、真紅の司祭服カソックに身を包んだベリザリオが進んできた。白手袋のはめられた手には司教杖が握られている。

 祭壇にいるお義爺様の前まで到達した彼は、一礼してその場にひざまずいた。


『ベリザリオ・ジョルジョ・デッラ・ローヴェレ。枢機卿の一席に任ずる。その能力を、世と人々の生活の安寧のため尽くすように』

『はっ』


 ベリザリオが頭を垂らす。そこにお義爺様が真紅の帽子を乗せた。これで枢機卿の正装の完成だ。

 ベリザリオが立ち上がる。回れ右して列席者達の方を向いた。

 ようやく見れた、前面からの彼の立ち姿はとても格好良い。


「お兄様、輝いてますわね。他の枢機卿の方々が霞んで見えますわ」


 イレーネちゃんの感想は容赦ない。確かに私もそう思っていたけど。口に出せるほどの勇気はなかった。お義母様も苦笑ぎみだ。


「外で言っては駄目よイレーネさん。でも、お母様もベリザリオさんが一番格好良いと思うわ。アウローラさんもそう思うでしょう?」

「ええ」


 私はうなずく。側に控えてくれている婆やさんも、さすが坊っちゃまですねぇと感想を言ってくれた。


『Sancti Apostoli Petrus et Paulus, de quorum potestate et auctoritate confidimus ipsi intercedant pro nobis ad Dominum』


 そこにベリザリオの声が流れてきた。私達のお喋りがピタリと止まって、視線がテレビに集中する。静かな部屋の中にベリザリオの落ち着いた声だけが流れた。


「お兄様なにを仰ってますの? そもそも何語ですの?」

「そういえば、枢機卿に就任した時って、所信表明みたいな事をするんじゃなかったかしら。ラテン語で。お義爺様の時もあった気がするわ」

「ラテン語ですの? それ、テレビを見ている一般人の誰もわからないと思うのですけれど」

「昔からのしきたりだからじゃない? 一応ヴァチカンの公用語はラテン語だし。誰も使わないけど」

「せめて同時通訳いれてくださいまし」


 イレーネちゃんが頭を抱える。


「お義姉様もそう思いませんこと?」


 かと思ったら私に話を振ってきた。


「確かにそうだけど。ごめん、ちょっと静かにして。言葉を聞き逃すから」

「え? ひょっとして、何を言っているかおわかりですの?」

「完璧には無理だけど、大まかには」


 私は短く答えて、意識をベリザリオの声に傾ける。

 ラテン語はル・ロゼにいた頃に勉強した。だから知識自体はある。だけれど、いかんせん普段使う機会がない。知識の多くが抜け落ちていて、意味を取るのもいっぱいいっぱいなのだ。


『Et benedictio Dei omnipotentis, Patris et Filii et Spiritus Sancti descendat super vos et maneat semper』


 ベリザリオが礼をした。列席者の皆さんは拍手している。所信表明は終わりらしい。

 デッラ・ローヴェレの屋敷では、イレーネちゃんとお義母様が私に顔を寄せてきた。


「それでお兄様、なんと仰っていましたの?」

「えーと、明日も明後日も、みんなが幸せに暮らせるといいね。みたいな?」


 私は意味の取れた内容を要約して伝える。


「それ、自分が何をするかが抜け落ちていません? 所信表明ですわよね? 自分のことを語るものですわよね?」

「んー。でも、そういうのは何も言っていなかったと思うよ」

「……お兄様、やる気があるのか無いのか、どちらですの?」


 イレーネちゃんは疲れたように肩を落とした。


「でも、ベリザリオさんらしいと言えばベリザリオさんらしいわよね。玉虫色な言い回しとかが」


 お義母様は慣れているのかコロコロ笑っている。私もベリザリオらしいなと思った。お義母様とはちょっと違う捉え方ではあるのだけど。


 みんなが毎日笑って暮らせるように世界を整えるのが、枢機卿としてのベリザリオの最終目標ではあるのだろう。エルメーテを教皇に押し上げる以外にも、そちらの方向で仕事を進めるに違いない。


 それ自体はいいのだけれど、ベリザリオ大丈夫かな? と、少し心配だ。間接的にだけれど、ヨーロッパ中の人々の生活を背負うことになるのだから。

 彼の背負う荷物は増えて重くなっていくばかり。重さに負けて動けなくなったりはしないだろうか。私に彼の荷物は持てないから、せめて休憩場所くらいになってあげられればいいのだけれど。

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