72話 チェックメイト
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籍を入れたらすぐにデッラ・ローヴェレ本宅への引っ越しが待っていた。
まぁ、仕方ないかなと思う。
デッラ・ローヴェレの関連企業や一族の偉い人達が集まる総会に顔を出したり、トラブルが起こった時の対応を話し合ったりとか、おうちの仕事の関係で、ベリザリオが本宅にいないと都合の悪い事が増えてきていたから。
私が一族の一員になったことで、移住への障害ももう無いし。
引っ越しといっても私達の引っ越しは楽チンだ。この移住は見えていたから、ヴァチカンで借りていたのも家具付きの部屋。動かさなければならないのは服と本とこまごまとした日用品くらいだったから。
引っ越しも2度目だから手慣れたものだ。さくっと荷造りして運んでもらう。
本宅では、今までベリザリオが使っていた部屋ではなく、独立型の続き部屋が私達2人に与えられた。
新しい部屋で順次荷解きしていく。
と、そこに、
「やりおったなベリザリオ!」
鼻息荒くお義爺様が怒鳴り込んできた。名指しされたベリザリオは一瞬お義爺様に視線を向けたけれど、何事もないかのように荷解きを続ける。
「聞いておるのか!?」
お義爺様の声が大きくなった。
「聞こえていますよ。いったい何です? あまり怒鳴ると高血圧で倒れますよ」
「誰が怒鳴らせとると思っとるんだ!」
「私だと言うんですか? 心当たりがありませんが、何だっていうんです?」
「……今度の人事異動のリストだ」
ダンボール箱の上にお義爺様がファイルを放る。ベリザリオは荷解きの手を休めてそちらを見に行った。ぺら、ぺらと、流し見のような感じで彼は書類をめくる。
「ずいぶんと降格が多いですね」
「言うセリフはそれだけか。自分の官房長への昇進には触れんとはな。白々しいにも程があるぞ」
「そうなんですか?」
気付いていなかったのか、ベリザリオは再度1枚目から書類を見ていく。3枚目で笑顔になった。
「本当にありますね。今回は無理だろうと思っていたんですが、また随分と偶然が重なったものだ」
言葉を聞いたお義爺様はますます渋面だ。
「ああ、そうだな。偶然、高潔だと思われていた現官房長の汚職がゴシップ誌にすっぱ抜かれて、空きポストを埋めようにも、偶然、お前より上位の連中が全員辞退しただけの話だからな」
偶然の言葉を強調してお義爺様は言う。
「それが、偶然、私が何人か粛清しようと動いたタイミングで起きたと」
お義爺様がベリザリオを睨んだ。ベリザリオは作り物の笑顔で平然としている。
これは黒だ。
悪事を働いたことを隠すつもりはないらしい。けれど、尻尾を掴まれない自信があるからあの態度。そんなところだろうか。
ベリザリオが何をしたのか私にはわからないけれど、それだけはわかる。
「お前、私が動く時期も含めてこうなることが視えていたな? だから挙式日を8月中旬までに限定した。そこを過ぎると、トラブルが起きた時に身をあけられるかの問題といい、何かと不都合が増えてくるからな」
お義爺様が溜め息をついた。ぼんやりと部屋を眺めながらつぶやく。
「順調に物事が進んでくれるのなら、この引っ越しも先への布石だな。先読みばかりが上手くなりおって。誰に似たのやら」
「あの、お義爺様。どういうことです? 引っ越しが布石って」
引っ越しにまで話題が及んで、私は話に割り込んだ。
ベリザリオに聞いてもたぶん教えてくれない。必要なことなら先に教えてくれる人だから。黙っていたということは、今は私が知る必要はないと思っているということだ。
この状態で情報を引き出せるのはお義爺様からしかない。
お義爺様がちらりとベリザリオを見た。ベリザリオは動かない。お義爺様は考えるようにひげをなで始めた。
「細かい説明はせんが、昇進してしまう前にコレが挙式したのも、引っ越しも、全てはお前さんを守るためだと思うよ。今はわからんだろうが、じきに私が言ったことの意味はわかる」
優しい調子でお義爺様は言ってくれる。謎が謎のままだけれど。
話は終わりなのかお義爺様は戸口へ向かう。
「気を付けろベリザリオ。こうも強引なことを続けると、そのうち刺されるぞ」
「大丈夫ですよ。もう大人しくしていますから」
去り際に短いやりとりをしてお義爺様は出ていった。
2人に戻ったら黙々と荷解きを再開する。
「おっしゃああ!」
5分もしないうちにベリザリオが大声を出しながら拳を握った。そうして、珍しいなと思っている私に抱きついてくる。
「長官交代の前に待機ポストまで来れたぞ! 枢機卿までもう1歩だ!!」
「え? あ? そうなの? おめでとう?」
言葉の流れからなんとなくお祝いしてみる。
教皇庁の役職の位階を私は知らないから、役職だけ言われてもピンとこないのだ。枢機卿まであと1歩と言っているから、以前からベリザリオが就きたいと言っていた地位なのだろうけど。
そうなると、先ほどのベリザリオとお義爺様のやりとりに疑問が出てくる。
「おめでたいことなのに、お義爺様なんで怒ってたの?」
「ああ。爺様が画策していた悪巧みを私が勝手に利用したから」
しれっとベリザリオが白状した。
教皇庁で最高権力者であるお義爺様だけれど、敵対勢力がないわけではない。そちらの勢力を削ごうと裏工作をしていたらしい。
「よく気付いたね、それ。お義爺様に教えてもらったの?」
「いいや。見つけたんだよ。私達3人は3人で工作しようとしていたら、微妙に違和感がある時があってな。調べていったら爺様に辿りついた。上手いもんだよ。表面上は何もないようにしか見えないんだから」
そうやってお義爺様が丁寧に並べていた工作ドミノに、ベリザリオ達は勝手に支線を足した。
お義爺様が最初の1枚を倒したら、連鎖で邪魔者が倒れるように。
ピンポイントで邪魔者だけ潰すと足が着くから、直接的には関係のない使えない人もランダムに巻き込んで。
「それにしても、足跡は消しておいたはずなんだがな。勘で嗅ぎつけたか」
ベリザリオが不敵に笑う。
孫は勘で祖父の裏工作に気付いて、祖父は勘で孫の犯行に気付くだなんて。なんて怖い人達なのだろう。無駄に血のつながりを感じる。
ベリザリオの性格、お義父様にもお義母様にも似ていないなと思っていたのだけれど、完全にお義爺様譲りだ。
気付いたら、そんな彼が不思議そうな様子で私を見ていた。
「どうかした?」
「いや。人をおとしめたと白状したのに嫌そうな顔をしなかったなと思って。好きじゃないだろう? 裏で動いて人をはめるのは」
そう言われて私はまばたきした。少し頭の中を整理して、考えを口に出す。
「好きではないけど。誰かを押し退けないとならない時って絶対あるって思ってたし。ベリザリオについて行くって決めた時に覚悟はしていたから」
ベリザリオの手をとる。彼の指輪と私の指輪を軽く合わせた。
「でも、ベリザリオの都合でその人押し退けちゃったんだから、目的は達成してよね」
その上で私は笑顔を浮かべる。ベリザリオはキョトンとしていた。しばらくしたら笑顔になって、私の手の甲にキスしてくる。
「ならば誓おう。私は枢機卿にまでなりきると。そうして、その地位をお前に捧げよう」
そんな宣言をされた。なのに、その顔はすぐにそらされる。
「だから、なれたら褒めてくれ。おめでとうはいらない。よく出来たね、と」
ぽつりと、小声で、恥ずかしそうに言われたひと言を私は聞き逃さない。同時に、才能があり過ぎる人も大変だなと思った。
何事も彼は平然とこなしてしまうから、人は出来て当たり前としか見ない。水面下での彼の血反吐を吐くような努力は見てくれない。本人も隠すし。
「任せてよ。もういいって言われるくらい褒めちぎるから」
だから、私くらいはきちんと彼の全てを認めてあげよう。
にこりと笑って承諾する。
嬉しそうにベリザリオの目が細くなった。やる気が出たのか、うきうきと荷解きに戻る。
そんな彼のお尻で犬の尻尾が揺れていた。なんとなく、頭にも犬耳が見える。どう考えても私の目の錯覚なのだけど、見えてしまうものは仕方ない。
犬顔のベリザリオが尻尾をぶんぶんしながら、褒めて褒めてと目を輝かせてくる姿が脳裏に浮かんだ。
――……。
これは可愛い。よく出来ましたねー。髪の毛わしゃわしゃ。
くらいは絶対してしまう。
頑張ってベリザリオ。私の楽しみのために!




