7話 ロメオとジュリエッタ
私がベリザリオの彼女なのが気に入らないですと?
最初なんのことだろうと思った。
すぐに、先日ヴェルナー撃退のために言い放った言葉のせいだと気付いた。
あの時はほとんどの生徒が食堂にいたはずだから、それはもう、全生徒にベリザリオと付き合ってます宣言をしたようなものだ。嘘だけど。
そんな偽りの関係なものだから、どう返したらいいのかわからない。
出てくる言葉も、「あの」とか「えと」とか、短いものだけで、先が続かない。
困っていると、
「別にあなたに納得してもらう必要はないと思うけど」
いつもベリザリオが座る席からディアーナの声が聞こえてきた。そこにはやはりディアーナがいて、普通に座る。
「ベリザリオなんて諦めて俺にしとけよ。後悔させないから」
その隣にはエルメーテが座っていた。すぐに渋い顔になったのは、ディアーナに足でも踏まれたからだろう。少し前にお父さんから説教されたばかりだというのに懲りない人だ。
それでも、2人が来たら不機嫌な先輩女子はいなくなった。
「やっぱ副作用出てきてやんの」
彼女の背中を目で追いながらエルメーテが苦笑する。
「副作用?」
「お前に」
私に? 何か薬でも飲んだだろうか。そんな記憶はないけれど。
「アウローラさ、この前、ベリザリオの彼女宣言みたいなのしたらしいじゃん? その副作用。お前に近付こうとしてる男は遠ざけられるけど、あーいう、ベリザリオの事が好きな奴から目ぇ付けられるわけよ」
「ベリザリオにしてはずさんな方法を教えたものよね。こうなることくらい目に見えてたでしょうに」
「さすが初代弾除け様は言葉の重みが違――っ!!」
喋っている途中でエルメーテの頬にディアーナの拳がめり込んだ。不意打ちだったせいか、エルメーテはそのまま床に沈む。
けれど彼はやはりタフだ。どうということなく椅子に戻る。
「こいつもベリザリオもさ。普通にしてると言い寄ってくる奴が多過ぎんのよ。相手するのが面倒だからって、付き合ってるって噂意図的に流したままにしてあるんだぜ? だから、お互いがお互いの弾除けなわけ」
「アウローラも見事に巻き込まれちゃったわねぇ。あの馬鹿、頭でも打って本当の馬鹿になったのかしら」
「パートナーいるのに言い寄ってくる連中ってのは、気合い入ってて怖えからな〜。アウローラには酷だよな」
やいのやいのと2人の話は続き、最後は満場一致でベリザリオが悪いで決着していた。ベリザリオは私を助けてくれただけなのに、なんとも可哀想になる。
でも、ディアーナとベリザリオがお互いの弾除けという話を聞いたら色々納得した。
それはそうだよね。
2人とも見た目は整ってるし、勉強も運動も出来るし、家は権力も財力も持ってる。その上将来有望株となれば、ステータスに寄ってくる人だけでも凄い数だろう。私はそうじゃないけど。
ともかく、そんな人達なのに浮いた噂が少ないなぁと思っていたから。
ベリザリオの横にいるなら、色んな障害に負けないようにならないとなぁ。と、彼女にすらなれていないのに決意した。
気が早い?
いいの。私の気持ちの問題だから。
晩ご飯くらいにならベリザリオ出てこれないかな。と、わくわくしていたのだけれど、やはり彼はいなかった。
今日は1秒も会えていない。それも、原因を作ったのは私の可能性まである。
寂しいやら悲しいやら申し訳ないやら。沈まずにはいられない。
何を食べたのかよくわからないまま夕食を終え、自室に戻って自習のため教科書を開く。けれど、ありえないくらい頭に入ってこなかった。
ノートに意味のない線だけが描かれていく。
あまりの不毛さに、「駄目だ〜」と鉛筆を投げた。
「どうしたの?」
ルームメイトの子が聞いてくる。
「うん。トイレ我慢してたんだけど、もう限界。ちょっと行ってくるね」
不自然じゃない理由を言って部屋を出た。こっそり寮も出て男子寮に向かう。
中には入れないから外から眺めるだけと、ベリザリオの部屋が見える木の陰に潜んだ。
状況としては建物を眺めているだけだ。
それでも近付きたい。こうしていられるだけでも少し幸せだから。
ロメオとジュリエッタのロメオも、こんな気持ちでジュリエッタの部屋を見上げていたのだろうか。
私達の場合、立場が逆だけど。
恋人にもなれていないけど。
そんな感じで建物を見上げていたら、ベリザリオの部屋のカーテンが動いた。窓が開いてパジャマ姿のベリザリオが顔を出す。
そんな彼に惹きつけられるように私は木の陰から出た。
動いた影に反応したらしきベリザリオがこちらを向く。たぶん私を確認したのだろう。本当に困ったように顔を手で覆った。
それからしばらく無言で見つめ合う時間が続く。
ベリザリオの具合が気になるけれど、顔色が確認できる距離じゃない。喋ってしまったら、周囲に私の存在がバレてよろしくない。
どうにかできないかなと悩んでいたら、声は出さずにベリザリオの口が動いた。合わせて手も動いている。
なんだろうと私が首を傾げると、ベリザリオは同じような動きをくりかえす。何度かくりかえされて手話だと気付いた。
送って行くから見つからないように隠れてろ。
そんな感じの事を言っている。
やっぱり帰されちゃうかぁと残念に思ったけれど、送ってもらえるのならその間は一緒だ。
両手で大きな丸を作った私は、ベリザリオがうなずいたのを見て木陰に隠れた。
しばらくしたら名を呼ばれながら肩を叩かれた。顔を上げてみると、パジャマに1枚羽織っただけのベリザリオがいる。顔色は暗すぎてよくわからない。
「1人でこんな時間に出歩くなんて危ない事をする。たまに見せる行動力が私は心配だよ」
けれど、声がいつもの調子だから、だいぶ良くなったのだと思う。
「ベリザリオはもう大丈夫?」
「心配してきてくれたのか?」
心配だったのかな? 心配ではあったけど、ただ会いたかっただけのような気もする。
よくわからないながらもうなずいたら、ベリザリオがなんとも複雑な表情になった。呆れているのか困っているのか、喜んでいるのか。眼鏡のレンズのせいで目元が見えなくて微妙にわからない。眼鏡じゃま。
「だいぶ良くなったよ。明日からは授業にでれると思う。さ、送ろう」
ベリザリオが先に進む。私も後に続いた。
彼の選んでいる道は暗くて人目につきにくい道。私が飛び出てきているのが周囲にバレないように、気を遣ってくれているのだと思う。
不思議なもので、こうして一緒にいられるだけで随分満たされる。そのくせ、いつぞやみたいに手を繋いで欲しいなとかも思ってしまう。
自分で認識できるくらい、私はどんどんわがままになっている気がする。
「……――ラ。アウローラ」
気が付いたらベリザリオがこちらを見ていた。うっかりそのまま進んで木陰から出そうになった私の腕を掴んで止めてくれる。
「あ、ごめん」
「お前はもう少し危機感を持った方がいい。さっきだって、隠れてたお前に気付いたのが私だったから良かったものの、ヴェルナーだったらどうするつもりだったんだ?」
「え? ヴェルナー?」
言われて、そんな人もいたなと思い出した。
だってもう、私の頭の中はベリザリオでいっぱいで、他の人が入り込む隙間なんて全く無かったから。
「その様子だと、完全に忘れ去ってたな。まぁ、あんな奴のことを四六時中考えているよりはいいが。けど、次も安全とは限らない。ヴェルナーがお前を諦めるまで、こんな一人歩きは慎むべきだな。言ってくれれば、私が付き添うなり手伝いはしよう」
ベリザリオが私の腕を放した。代わりに、言いつけを守れるな? といった目で見てくる。
「うん」
私は小さくうなずいた。
正直、なんで私の行動をベリザリオにどうこう言われなきゃいけないの? っていう気もちょっとした。
だけど、彼の言っていることは概ね正しい。それに、ベリザリオが私のために時間を割いてくれるって言ってくれたのがものすごく嬉しい。
どちらかというと嬉しい気持ちの方が強くて喜びたいくらいなんだけど、絶対に怒られるから我慢。
「さぁ。ここまで来ればもしもは無いだろう。お別れだ」
ベリザリオが1歩引いた。仕方なく私は寮に向かう。振り返ってみてもベリザリオは影の中にいるから見えない。諦めて寮に隠れ戻った。
でも、自分の部屋じゃなくてディアーナの個室に向かう。思いっきり扉を叩いて中に入れてもらったら、勢いよく彼女のベッドに飛び込んだ。枕を抱いて、1人でわーきゃー叫ぶ。
「あなた。ご飯の時はあんなに沈んでたのに急に元気になったわね。何を妄想して喜んでるのよ」
扉を閉じたディアーナが呆れながら寄って来てベッド端に座る。
ベリザリオに会えたのと、肩と腕を触れられたのが嬉しかっただなんて言えない。そこから、少女漫画みたいに甘い展開になれば良かったのにとか妄想してしまったことはもっと言えない。
「そのね、たまに色々妄想して騒いじゃう癖、そろそろ新しいルームメイトの子にも白状した方が楽なんじゃない?」
ディアーナが提案してきているけれど、今は保留だ。ベリザリオの手の感触が残っている間だけは、この幸せな妄想に浸っていたいから。