67話 光のカーテンに包まれて
旅行3日目、宵の口。
今回の旅の目的地、旧デンマーク領オールボーに着いた。
ユトランド半島の北部に位置するこの街は、現在の狭まったヨーロッパ中最北の街とされている。
昔はもう少し北にあって、フィヨルドに面した街だったらしい。けれど、それだと海からの放射線に曝される地域が出てくる。被曝を避けるために内陸部へ数キロ動いたのが現在の姿――と、ガイドブックには記されている。
といっても私にはどうでもいい話だ。北にある。寒い。防寒しよう。大切なのはこの情報だから。
いやいや。今はそんな情報すらどうでもいい。
街に近付くにつれて見えてきたものに私の目は釘付けになっていた。
緑色光のカーテンがふんわりと夜空にかかっている。
映像でしか見たことのないオーロラなのではないだろうか。
電車から降りて駅からも離れて周囲の光が少なくなると、オーロラが一層ハッキリ見える。興奮してしまった私はベリザリオの腕をぐいぐい引いた。
「凄いよ! 綺麗だよ!!」
「本当だな。全く見れない年もあるらしいのに、今日出てくれたか」
彼も幸せそうな笑みを夜空へと向けている。
「ひょっとして、オーロラを見たかったからここに来たの?」
「ああ。見たかった。半分以上無理だろうと思っていたんだが。ニュルンベルクで願掛けした甲斐があったな」
「北に行きたがっていた本当の理由ってこれ? 隠すほどのことじゃないと思うんだけど」
「見れるつもりで来て駄目だったらヘコむだろう? それなら、知らないで来て遭遇できた方が感動できる。今のアウローラみたいに。可愛いね」
腰を折ったベリザリオは軽くキスして私と手をつなぐ。そのまま歩きだした。
「オールボーの夜は寒そうだからホテルにこもろうかと思っていたが、荷物を置いて少し散策しないか? ホテルの部屋からよりオーロラが綺麗に見れそうだ」
「いいね、行こう」
二つ返事を返す。いつもの調子でホテルに荷物を置いて街に出た。
20時を少し過ぎたくらいの時間だから、ほとんどの店は閉まっている。照明の明かりがオーロラの邪魔をしなくていい。
そんな中を光が少ない方へと進んでいたら、1つの建物をベリザリオが指した。
「あそこ、たぶんオールボー城だな。広い中庭があるはずだ。行ってみよう」
提案されるままに行ってみる。
建物自体は何かに使われているらしくて入れない。けれど中庭には入れた。
本当に広い。建物の窓から漏れる明かりが届かない場所がある程に。明かりから逃げるように私達は暗がりに向かう。
人工の光に邪魔されない場所から見るオーロラはとても綺麗だ。
薄い光のカーテンが軽やかに揺れる様がたまに見える。所によってはピンク色も混じっているのは街中では気付かなかった。
寒さに負けずに外出してきただけの価値がある。
それに、寒いは寒いのだけれど、ベリザリオが後ろから私を抱きしめて包んでくれているから辛くはない。むしろ心は温かいくらいだ。
「綺麗ね」
「ああ。綺麗だ」
色々言葉は知っているはずなのに、適当と思える単語がそれしか出てこない。本気で感動したとき人は言葉を忘れるのだろうか。
ベリザリオが頬を合わせてきた。私はゆっくり身体を回して彼と唇を重ねる。こんな素敵なシチュエーションでキスできるだなんて、なんてロマンチックなんだろう。いつもより長く丁寧にお互いを求める。
唇を離したベリザリオが私を見つめてきた。気がする。暗くてよく見えないけれど。この感じだとまたキスされるのだろう。
かと思いきや、彼は身体を離して私の手を引いた。お互いが見える程度の明るさの所に連れ出される。
「どうしたの?」
私はベリザリオを見上げた。逆に彼はひざまずく。ぽかんとしている私の前で彼はコートから小箱を出した。蓋を開いて私の方へ差しだしてくる。
「これからも私はアウローラに迷惑をかけるだろう。寂しい思いをさせる日もあるかもしれない。それでも末永く共に在りたいと思う。お前が幸せに暮らせるように全力を尽くすと誓おう。結婚してくれ」
小箱の中で指輪が鈍く輝いた。
指輪自体は細くて繊細な感じだ。細かなダイヤが埋め込まれたアーム部分は途中から2本に別れて互いに絡まって台座を作り、そこに有色の石が鎮座している。暗くて識別が難しいけれどエメラルドだろう。
ベリザリオのセリフといい、どう考えても婚約指輪だ。
待ちに待ったプロポーズの瞬間がついにきたらしい。それも、滅多に見られないオーロラの下で。
驚いたやら嬉しいやら感動したやらで頭が固まる。
実は、プロポーズされてもそんなに感動しないかなと思っていた。
結婚しても、今とそう生活は変わらないだろうと思っていたから。ケジメ程度にとらえていた。プロポーズの瞬間を何度か夢に見てしまう程度には期待していたけれど。
だけど、現実はずっとずっと素敵で。心臓はバクバクで。やっぱり泣きそうで。
ベリザリオはまっすぐに私を見つめてきている。返事をしたいけれど口が渇いて声が出ない。震える両手で小箱ごとベリザリオの手を包んで、必死に笑みを浮かべる。
「ありがとう」
ようやくこれだけ言えた。笑ったはずなのに涙が出る。こんな時にまで泣いてしまうだなんて、私の泣き虫にも程がある。
「ありがとう。嬉しい。こちらこそよろしくお願いします」
声は出せるようになったけれど、今度は鼻声だ。格好悪い。
苦笑したベリザリオが立ち上がった。ハンカチを出して涙を拭いてくれる。最後は鼻をかみなさいと言われたからチーンとした。汚してしまったハンカチは私が預かる。代わりに私のハンカチを渡そうとしたら断られた。
「泣きたいほど緊張していたのは私だったはずなんだけどな。アウローラの泣き顔を見ていたら緊張が飛んだ」
私の手の中の小箱からベリザリオは指輪を抜く。それを、すでにペアリングをしている右の薬指にはめてくれた。金属部分の色が同じシルバーだから違和感が無い。
「アウローラは指が細いから細めなデザインを選んだんだが、正解だったみたいだな。よく似合ってる。サイズも問題ないみたいだし。直しに出さないで済んで良かったよ」
指輪のはまった指を見ながらベリザリオは笑う。そのまま指先に軽くキスしてきた。
直しに出すならどこに出すのだろうと、私は小箱の蓋の裏を見る。CHAUMETと刻印されていた。確か、昔から王侯貴族のティアラを作ったりしている老舗ブランドだ。
「ショーメってパリのお店じゃなかったっけ? ヴァチカンに支店あるんだ?」
「いや。たぶん無いよ」
「わざわざ買いに行ってくれたの?」
「残念ながらそんな時間は無い。外商を呼びつけた。あそこにとってうちはお得意様だから」
「納得」
空になった小箱はベリザリオが回収してくれる。コートのポケットに入れていた。男物の服はポケットが多いから、こういう時に羨ましい。
「帰るか。目的は済んだし、疲れたし、アウローラが泣いてしまったから化粧崩れしているだろうし。夕食は部屋に何か取ろう」
ベリザリオが手をつなごうとする。その前に私は彼と腕を組んだ。微笑したベリザリオが歩きだす。帰り道の私は質問だらけだ。
「指輪よく準備できたね。オーダーで作ると時間かかるんでしょ?」
「それ自体はちょっと前から準備していたんだ。ただ、いつ渡すかのタイミングが見つからなくて。今回はいいきっかけだった」
「私が旅行についてこなかったらどうするつもりだったの?」
「そこはもう賭けだ。1人旅だったら諦めてたよ。縁があればお前はついてきてくれて、そうじゃなければまだ時期じゃないってことだろうし」
思いだすようにベリザリオが遠い目をする。私は笑顔の下で焦った。
そんな所に運命の別れ道があった事実が怖くて。
そういえば、駅を出てオーロラを見上げた時、ベリザリオはオーロラを見たかったと言っていた。プロポーズがこんなにロマンチックになったのにはオーロラがあったのも大きい。
ひょっとして、オーロラの有無も、プロポーズするしないの要素の1つだったのだろうか。
「オーロラが出てなくてもプロポーズしてくれた?」
「どうだろうな? でも、出てる確率はかなり低く見積もってたから――」
考えるようにベリザリオが黙る。
「わからないな。オーロラが出ていた時点で他の案を考えるのは止めたし。我慢できなくて、旅行中のどこかのホテルの部屋辺りでプロポーズしてたかもしれない」
無邪気に彼は笑った。なんともすっきりしたようないい笑顔だ。
「両家の親に報告をしに行かないといけないな。あと式場と日取りを決めて――」
指を折りつつ彼はこれからの仕事をあげていく。けれど待って欲しい。ベリザリオのどこにそんな時間があるのだ。
「式を挙げる時間なくない? 仕事忙しいよね?」
「問題ない。時間は作る。何事も気合いだ」
気合いで物事を進めるなんていう行動から最も遠そうな人がそんなことを言う。まぁ、気合いで頑張り過ぎた末に倒れたりとかしなければいいのだけれど。
「そういえば、お父さん、ベリザリオが本名言ってないって気付いたよ。それでね、出世できない選帝侯の嫁になるなんて許さん! って。出世競争にベリザリオが勝てないって勝手に決めちゃってたんだよ? 酷くない?」
「ああ。それでこの前のあの態度か。喧嘩したと思っている程度にしては過剰だなと思ったら」
「どうするの?」
「まー、どうにかする。大丈夫。どうとでもなるさ。とりあえず旅行中は考えない。公務員らしく、明日できることは今日やらないで暮らす」
やる気なく宣言して彼は笑った。それ、いつものベリザリオの行動パターンと真逆なのだけれど。実行できるのだろうか。
旅行が楽しめるのであれば私はどうでもいいけど。




