64話 ボタンの掛け違いはどこまでも2
事態は切迫している気がするけれど寒いものは寒い。薄着なせいで私の身体がぶるぶる震えてきた。ベリザリオの後ろに回って彼を家の中に押す。
「とりあえず中に入って! 寒いから」
「ん? あ、ああ」
押されるままにベリザリオは前進する。
私も屋内に入ったらすぐに扉を閉めた。ようやく冷気から逃げられて、私は胸をなでおろす。
「ああ。寒かったのか。すまない、気が回らなかった」
ようやく気付いたようにベリザリオが肩を落とした。こんなことにすら気が回らないだなんて彼らしくない。それだけ気持ちにゆとりが無かったのだろうか。
「そんな所にいつまでいるのあなた達。ベリザリオさんはこんばんは。ご飯は食べてきたかしら? それより寒かったでしょう? とりあえず暖炉の前にどうぞ」
廊下の奥からお母さんが顔を出して、言うだけ言って引っ込んだ。
その場から動かないベリザリオを私は軽く押す。
「行こう?」
「先に行っておいてくれ」
そう言った彼は外に出ていった。
すぐにトランクケースを持って帰ってくる。そこそこの大きさだ。
私が玄関扉を開けた時、ベリザリオの手には花束しか見えなかった。足元に置いてあったのだろうけれど。暗さも手伝って全く気付かなかった。
「こんなの持ってきてたんだ? 大荷物って珍しいね。何用?」
「まぁ、色々と」
困ったようにベリザリオがはにかむ。
明確な答えをくれないのだから、言うつもりはないのだろう。それ以上の質問は諦めた。
それより暖炉だ。ベリザリオだって寒いだろうし。
彼の両手はふさがっているから手は引けない。私が移動すればついてきてくれるだろうか。リビングへと動きだしてみた。
そんな私の腕を、荷を置いたベリザリオが掴む。
「待ってくれアウローラ。家に入れてもらえたというのなら、私は許してもらえたと考えていいのか? それともこれは情けか? もう戻ってきてはくれないのか?」
「そんなことより暖炉――」
「いや。先にハッキリさせて欲しい。もうこれまでだというのなら、私はこのまま去ろう。けれど……私には謝罪しかできないが、それで許されるというのなら、花を受け取って欲しい」
ベリザリオが手を放す。1歩下がって、私へと花束を差し出しながら深く頭を下げた。
「そんな物受け取るな。別れるいい機会だ」
「そんなこと言っちゃ可哀想ですよあなた」
「喧嘩の仲直り1つにあの花って、アウローラ大切にされ過ぎじゃない? 私も1度くらい貰いたいわ」
奥の部屋から顔だけ出して覗き見している人達が好き勝手喋る。
外野うるさい。しっしとやってもいなくならないし。
仕方ないので、家族はいないものとして意識の外に閉めだした。
ベリザリオが差しだしている花束に私は静かに手を添える。
大ぶりな白いカラーにだけ目がいっていたけれど、さりげなく薄緑のカーネーションと濃い緑の葉が添えられている綺麗な花束だ。色数の少なさが洗練されたセンスを感じさせる。この花束を作った人は腕がいい。
「綺麗な花束だね。私がカラーが好きだから、この花束を作ってくれたの?」
花束を受け取った。大きいだけあってずしりと重い。私だと、片手じゃ花束のバランスをとれないくらいに。
お辞儀の姿勢のまま、ベリザリオがゆっくりと顔だけあげる。
「これくらいしか思いつかなくて」
「大正解だったよ。すごく嬉しいもの」
私が顔いっぱいに笑みを浮かべたら、ようやくベリザリオの表情も緩んだ。悪戯を許された子供みたいな可愛い顔になっている。
私はそんな彼の手を握ってリビングへと引いた。
「あのね。ベリザリオすんごい勘違いしているみたいだけど、私、ベリザリオを好きなままだよ? ちょっと疲れちゃったから休憩にここにいただけ。明日にはヴァチカンに戻るつもりだったの」
「は? いや。待ってくれ。それじゃあ私が今ここにいるのは丸っと無駄……?」
空いている方の手で忘れずに荷物も持ってベリザリオがついてくる。
「無駄じゃないよ。私は嬉しかったし。ベリザリオには迷惑かけちゃっただろうけど」
くすくすと私は笑った。ちらりと見たベリザリオはやや渋面だ。けれど、私と目が合うと困ったように笑ってくれる。
リビングではお手伝いさんが珈琲を用意してくれているところだった。暖炉前の暖かい席を選んでくれているので気がきく。
「仕事が終わってから花束を用意してこの時間にうちに――だから、ご飯食べてないよね? ちょっと待ってて。何かすぐに用意するから」
「ありがとう。だが、それよりもご家族に挨拶をさせてくれないか? こんな時間に突然訪問したのを謝らないと」
ベリザリオは荷物だけ置いて座らない。私としては謝ってもらう必要性は感じないのだけれど、挨拶をしたい気持ちはわかる。
でも、このままダイニングに連れて行くのはどうだろう。
もう少ししたらみんな食べ終わるくらいだったから、タイミングとしては非常に微妙というか。少し待ってもらって、リビングで話をした方がいいような気もする。
悩んでいたら背後から咳払いが聞こえた。振り返ってみると、お父さんがリビングの戸口に立っている。
「早く来ないか。ベリザリオの分もすぐに用意が終わる。冷めると不味くなるだろう」
そう言ったお父さんはダイニングに消えた。私とベリザリオは顔を見合わせる。
「私、またコジモさんからの印象が悪くなってるな」
「あー。まぁ、色々と」
あははと私はごまかした。
「まぁ、お姉さんが口走っていた感じだと、私とアウローラは喧嘩したものだと思われていたみたいだし。当然だな。食事を出してもらえるだけいい方か」
特に気にしたふうもなくベリザリオはつぶやく。そのままダイニングに移動して、席に着く前に彼は頭を下げた。
「こんな時間に突然うかがって申し訳ありませんでした」
「まったくだ。少しは常識――ふが」
仏頂面のお父さんの口をお母さんがふさぐ。
「この子のことが気になって、いてもたってもいられなかったんでしょう? いいのよ。気にしないで。迎えに来てくれてありがとう」
「お前はこいつに甘過ぎる!」
「あなたが子供過ぎるだけですよ」
夫婦が意見を争わせている横で、お手伝いさんがベリザリオの食事を整えてくれた。
けれど、主人達がすすめてくれないので、手を付けていいのかベリザリオは困り顔だ。そこにお姉ちゃんの救いの手が伸びる。
「その2人気にしないで食べていいよ」
「ありがとうございます。では失礼して」
ベリザリオが食べ始めた。私も食べ終わってなかった分を片付ける。
お姉ちゃんはのんびりと食後の珈琲中だ。カップに口をつけつつ彼女は言う。
「お節介かもしれないけど、その子なんか寂しがってる感じだったのよね。仕事の都合もあるんだろうけど、できればちょっと相手してあげて?」
「それは私も反省しています。といっても、すぐに大きくは変えられないのですが」
カトラリーを動かすベリザリオの手がゆっくりになった。それ以降意識が考え事の方にいったようで、話を振っても反応が鈍い。
静かめに食事を終え、リビングに移る時になってようやく彼の方から話しかけてきた。
「いい機会だと思って月曜から10日休みを取った。それで、旧デンマーク領へと旅行に行こうと思うが、アウローラはどうする?」
「え? 休み? 10日も? というか、この寒い時期に北に行くの?」
「仕事は問題無いように調整してきた。それに、今の時期だから北に行くんだよ」
置きっ放しだったトランクケース近くのソファにベリザリオは座る。あの中身は旅行中の着替えとかそういった物なのだろう。日数の割には小さいから、途中で洗うとか考えていそうだ。
「それで、アウローラはどうする? 一緒についてきてもいいし、ヴァチカンに帰ってもいい。仕事の関係もあるだろうから無理について来いとは言わない」
「え? 行く」
もちろん私は即答だ。お父さんの機嫌は一気に急降下みたいだけど。
「アウローラ! 仕事はどうする気だ!」
「有給とるだけだよ。大丈夫、窓口嬢なんて代わりいっぱいいるから」
お父さんの難癖はもちろんスルー。仕事なんて、お父さんとかベリザリオみたいなエリートが頑張ればいい。私はそんなものでは得られない潤いが欲しいのだから。
そこら辺の考えはお母さんも同じみたい。
「いい加減にしたらあなた。いつまでもぐちぐちと器の小さい。あ、ベリザリオさん、お部屋を用意するから泊まっていってね。出発は明日でもいいんでしょう?」
「いいんですか? ありがとうございます。お世話にならせていただきます」
部屋へと案内してくれるっぽいお母さんにベリザリオはついていく。
私は自分の部屋に戻ってトランクケースを開けた。ヴァチカンに帰ってから洗おうと思っていた物を出して洗濯機に放り込む。洗い終わった後にアイロンをかければ旅行にも持っていけるだろう。
ベリザリオと一緒にゆっくり過ごせるのは久しぶりな気がする。明日からが楽しみだ。




