60話 寂しさの棘
新年度になって変わったことがもう1つ。
ベリザリオが無事昇進して所属部署が変わった、らしい。
けれど、接待漬けな生活は相変わらずで、最近は日曜も出かけていくことがある。
そういう日の私は実家に戻ったり、職場で仲良くなった子と遊んでもらったり、ディアーナと遊んでもらったり、デッラ・ローヴェレに行ったり。
ベリザリオのご実家に馴染めていたのは良かった。時間つぶしの選択肢を増やせたから。
そして今週もやってきた日曜日。今日もベリザリオは接待に出かけていった。
というわけで、1人で時間つぶしだ。
実家には先週帰ったから今週はやめておきたい。
ディアーナは捕まらなかった。ついででエルメーテにも連絡を入れてみたのだけど、こちらも空振りに終わる。あの2人も出世競争中なのは同じだ。接待にでも行っているのかもしれない。
消去法でデッラ・ローヴェレに行く。
そうしたら、お屋敷に入った途端に、
「何を考えておるのだベリザリオ!!」
聞こえてきた大音量の怒鳴り声に私は驚いた。おもわず首をすくめる。
ベリザリオは接待に出かけたはずだけれど、ここにいるのだろうか。
確認のため恐る恐る周囲を見てみる。いたのは、真っ白な長い髭が立派なご老人だけだ。
ベリザリオが私と一緒に帰ってきたと早合点して怒鳴られた、そんなところだろうか。なんにせよ私への説教ではないのだろう。目の前のご老人はバツが悪そうにしているから。
「本日もお元気なようで何よりです、シニョーレ」
そんな彼に私は微笑んで挨拶をした。目の前のご老人はベリザリオのお爺様。数年前から何百代目かの教皇を勤めていらっしゃる凄い人だ。
それでも、家ではごく普通のお爺ちゃんといった感じで生活をしている。おかげで私も接しやすい。
「今日は1人かね? アレは?」
頭を掻きながら申し訳なさそうに話しかけてくる姿など、まるっきりただの一般人だ。
「接待と言っていましたけど」
「またか! 今の状態でこれ以上動くと、叩かれるだけでは済まんとわかっとらんのか、馬鹿孫が!」
お歳に見合わぬ大声でお爺様が怒鳴る。ぷりぷり文句を言いながらお屋敷の奥へと引っ込んで行った。
一連の様子を吹き抜けの2階から見ていたらしきフェルモが、手すりにもたれてくすくす笑っている。
「笑わないでよ」
「あー、ごめんごめん。人がとばっちりで怒られるの見てると面白くて、つい。お詫びにお茶でもどう? 昨日母様が実家に帰っててさ、土産に大量のフランス菓子があるんだけど」
「あ、食べたい。イレーネちゃんもいるなら呼んでこようか?」
「あいつもう散々食べてるけどね。まぁ、呼んでやったら? 喜ぶだろうし。リビングね」
軽く手を振ってフェルモは台所の方に消える。
私はイレーネちゃんの部屋に向かった。連れだってリビングに行くと、机の上にこれでもかと色とりどりのお菓子が乗っている。
珈琲を持ったフェルモもすぐにやってきた。珈琲を出してくれながら彼は言う。
「お好きにどーぞ」
「お好きにって言われても、これだけあると迷うね」
目の前のお菓子の山を私は睨んだ。
大好きなマカロンは外せない。けれど何種類もあるせいでどれを取るか悩む。ケーキ類やブリオッシュも美味しそうだ。とても重そうだけど。
「お姉様、冷蔵庫にブランマンジェもありますのよ」
伏兵もいるんですか。
悩みに悩んでマカロンを3つ皿に取る。ブランマンジェも頼んだら、取ってきてくれるとイレーネちゃんが台所に行ってくれた。
彼女の帰りを待ちつつフェルモに話題を振る。
「ベリザリオ、何か怒られるようなことしたの?」
「ああ、さっきの爺様? 一気に昇進し過ぎだってさ」
ガトーショコラを皿に取りつつフェルモが言う。
「低い役職を2個3個飛ばすのは優秀な新人なら稀にあることらしいんだけど、長官官房入りはやり過ぎ。絶対周りに目をつけられたよ。味方を増やすまでもうちょっと爪を隠しとけ、って、爺様ご立腹」
「その長官官房? に入るのって凄いの?」
「あのさ。忘れてるかもしれないけど、僕、研究所勤めだからね? 教皇庁のことそんな知らないんだけど?」
「あ、そうだったね。ごめん忘れてた」
「と言っても、これくらいなら知ってるんだけどさ」
にやりとフェルモが笑う。私はムキッとなった。
それなら素直に教えてよと突っ込みたくなったけれど、そこは我慢。この、微妙に人で遊ぶ所もベリザリオそっくりだ。兄弟そろって迷惑なので止めて欲しい。
それでも、私の反応にフェルモは満足したようで、ケーキをつつきつつ説明をしてくれる。
まず、省のトップを長官という。この長官なのだけれど、重要案件の裁可から閣議への出席、各地への慰安訪問まで職務は多岐に渡る。
1人では捌ききれないので、補佐するための部署がある。
それが長官官房。実質的に省を動かしているのはここの人達らしい。
長官官房に入ること自体は悪くない。むしろ、ここに入れなければ上を目指せない。ベリザリオの出世コース自体は間違えていない。
お爺様が問題にしているのはベリザリオの官房入りの仕方だ。
本来なら国務省の各部局をいくつか回ってから上がるべき部署に、本庁勤務2年目で上がってしまったから。
出世のライバル達からは最大級に警戒されるだろう。下手したら、徒党を組んで潰しにかかられるかもしれない。
今回の出世でベリザリオが取りたい役職も丸見えになっただろうから、出世コース上にいる上司達の警戒度も上がるはず。妨害だって出てくるだろう。
それに負けない地力をつけたり後ろ盾を得るまでは、牙を剥くべきではなかったと。
「まぁ。僕としては、兄様のことだから、全部わかってやってると思うんだけど」
「なんで?」
「弟の勘っていうのかなー。ほら。あの人、ほぼ勝てるって状態になるまでは実力の下積みしたり裏工作するじゃん? それを捨てて表に出てるんだから、勝ちへの道筋見えてるんじゃないのかな?」
「フェルモお兄様ったら読みが甘いですわ。ディアーナ様やエルメーテ様との競争があるから出ざるをえなかったとは考えられませんの? 表に出たのに勝率が100パーセントじゃないから、勝ち目を増やすために接待で足掻いていらっしゃるのでしょう? そうでなければ、お姉様を放ったらかしてまでお兄様が仕事漬けの理由が納得いきませんわ」
イレーネちゃんが戻ってきた。私の横に座ってブランマンジェをくれる。ぷるるんとした白いゼリーにジャムがかけられていて美味しそうだ。
彼女が戻ってきたので、私もお菓子をいただき始める。
フェルモとイレーネちゃんの間ではどちらの考えが正しいのかの言い争いが始まってしまって、お菓子どころじゃないみたい。
私としては、2人の意見を足したものが正解に近いと思うのだけれど。
枢機卿位が空くまでの時間から逆算して、表に出ざるをえない時期だったから出たのは間違いないだろう。ゴールまでの道筋と勝算もある程度見積もってあるはずだ。
けれど、壁になっている場所が無いはずがない。
そこを潰すための接待だろう。
あくまで予想だから、2人の喧嘩に割り込むつもりはないけれど。我関せずで珈琲を飲む。
「アウローラお姉様。寂しさに耐えられなくなられたら、パートナーをフェルモお兄様に変える手もありましてよ!」
突然飛んできた変な球に私は珈琲を噴いた。幸いその先には誰もいない。吐き出してしまったものを布巾で拭く。
「なんで急にそんな話?」
「てか、アウローラに手なんて出したら、僕、兄様から社会的に抹殺されそうなんだけど? そこんとこわかってお前言ってる?」
一方的な提案をされた2人でイレーネちゃんに視線を向けてみたけれど、彼女は堂々としたものだ。
「お兄様方の確執はお兄様方で解決してくださいませ。わたくし最近思いますの。アウローラお姉様がお義姉様になってくれるなら、結婚相手はお兄様の誰でもいいって」
「一方的な意見をありがとう。アウローラに振られる僕の心傷も考慮してくれるともっと良かった」
「あはは。今のところにフェルモに勝ち目ゼロだからね」
「え? ゼロなの? どこも欠片も兄様に勝ててないの? わかってても凹むわ」
拗ねた様子のフェルモがクッションを抱いてソファに転がる。私は曖昧に笑っておいた。
この程度でベリザリオへの気持ちが揺らぐことはない。遠距離恋愛の期間だってあった私達だ。一緒にいれないことへの耐性がある。
でも、寂しいという言葉は地味に心に刺さる。




