54話 vs妹3
私の編み物が下手なことがお母様にバレたのもあって、小腹を満たした後は編み物教室が始まった。とりあえず、幾分マシな鍵編みから。
今の実力を見たいからと言われて編み始めたのだけれど、さすが不得意科目。すぐに編み目が詰まってくる。
お母様は私の隣に座って見ていて――、30分もしないうちに私が下手な原因がわかったみたい。
「まずは力を抜きましょう。力が入りすぎると、左手の糸送りが少なくなって目が詰まりやすくなるの」
サクッと指摘が飛んできた。
言われた通り、力を抜くために私は深呼吸した。
「小指に掛けるんじゃなくて、薬指と小指で糸を挟んでみましょうか。力みやすい人はこちらの方が向いているらしいわよ。左手の糸送りを意識してあげて」
左手を使うことを意識して、気持ち糸を多めに取る。そうしたらすぐに目の大きさが安定した。
「そうそう上手ね。飲み込みが早いわ。才能があったのかもね」
お母様がそうやって褒めてくださるから、私の気分はどんどん上がる。
気付けば可愛い花のモチーフが編み込めていた。それなりに目は詰まっているのに毛糸の質感は残っていて、ふんわりと柔らかい。
自分1人でやっていた頃とは雲泥の差の出来のそれを掲げ、私は目を輝かせた。
「なんか……きれい」
「うんうん。とても上手にできたわね。さ、もうちょっと頑張って、感覚を身体に覚えさせましょう」
「はい!」
これだけの物が作れればとても楽しい。本当に上手な人が作る物に比べればまだまだだけど、少なくともヘタクソの域からは脱出できている。
新しいベリザリオ用のマフラーは何色にしよう、とか、どんな模様にしよう、とか。できることが増えそうだから、考えるのが楽しい。
半分空想の世界に浸りながら編み続ける。
少し疲れて顔を上げたら、すぐ横にベリザリオが座ってこちらを見ていた。
「――っっっ!!?」
普通に驚いて、意味不明な叫び声が私から上がる。
その声にお父様とフェルモが驚いていた。対称的にベリザリオは笑っている。
「周りが見えないほど集中していたのか? どうりでただいまと言っても無反応だったわけだ」
「え? そうなの? ごめん気付かなかった。おかえりなさい」
私は慌てて言って周囲を見た。いつの間にやら外は暗くなっていて、部屋には電灯が灯されている。ベリザリオと逆隣に座っていたはずのお母様はいない。
「それにしても上手くなったものだね」
ぽつりとベリザリオが言った。視線は私の手元に向いているから、編み物のことを言っているのだろう。
「うん。ベリザリオのお母様がやり方を教えてくださって」
「そうなんだ? それじゃ、そのうち前のより上手なマフラーが貰えそうだね」
「楽しみにしてて」
次の物はベリザリオに気を使わせなくてもよいかもと思うと今から楽しみだ。それよりなにより、まだまだ不慣れなデッラ・ローヴェレのおうちで、ベリザリオがすぐそばに戻ってきてくれたのが嬉しい。自然と笑顔が浮かぶ。
「おぉ、花が咲いたな」
「だから言ったでしょ。喜ぶと花が咲くって」
お父様とフェルモが私を見ながらわけのわからないことを言っているけれど、意識的にスルー。ベリザリオが先ほどから食べている物に私は目を向けた。
「それ、そこに置いておいたチャンベッローネ?」
「ああ。母様に食べていいか聞いたら、いいって言ってたから」
「出しっ放しのを食べなくても良かったのに。言ってくれれば取り置きあったんだよ?」
「母様にも言われた。でも、そう味が変わるわけでもなし。もったいないからね」
「ベリザリオさんからもったいないなんて言葉が出る日がくるだなんてねぇ」
ケーキ皿と珈琲を盆に乗せたお母様が帰ってきた。持ってきた物をお父様とフェルモの前にそれぞれ置く。珈琲だけはベリザリオの物も新しいものに変えていた。
それにさっそく口をつけた彼に、私はそわそわと尋ねる。
「チャンベッローネ、ベリザリオのお母様と一緒に作ったんだけど、どう?」
「アウローラも一緒に作ったんだ? 母様が作った物と変わらないね。美味しくできてる。アウローラがいつも作ってくれるメディチ家風のも私は好きだけど」
柔らかく言ってくれた彼は再びケーキを口に運ぶ。途中から何かを考えるようにやや上を見ていて、飲み込んだら皿の中の残りをフォークで軽く突いた。
「私の食べているこれ、ひょっとしてイレーネの分だった?」
「うん。でも食べにきてくれなかったみたい」
だから今まで残っていたのだろうし。喧嘩みたいな感じになってしまったけれど、喋れはしたから、もしもがあるかもと思ったんだけどな。少ししゅんとなった。
「今日もずっと無視?」
「ううん。ちょっとだけ喋れたよ。私が怒っちゃって、すぐに逃げられたけど」
「多少なりは喋れるのか」
ベリザリオがあごを撫でた。思考中のようで視線は上方に泳ぐ。
「それならもう少し様子を見よう。関係構築は当人間で行うのが一番だ」
そう宣言されて、ご家族も全員同意していた。
けれど肝心のイレーネちゃんが晩ご飯になっても食堂に顔を出さない。そこにいた全員が溜め息をついてしまったのも仕方ない。
私のせいでなんかごめんなさい。だからって、ベリザリオを諦めるつもりはないけど。
それから2カ月が経ち。
今週の日曜も私はデッラ・ローヴェレに来ている。
「私ね、イレーネちゃん、意地になってるだけのような気がするんだけど」
「最近はののしり内容もネタ切れ気味だしな」
ベリザリオと喋りながら歩いているのはイレーネちゃんの部屋に通じる廊下。
ここを歩いているのにはもちろん理由がある。イレーネちゃんが自室に逃げ込むのを阻止するためだ。
イレーネちゃんを観察すること2カ月弱。彼女の行動パターンが読めてきた。
どうにも、お屋敷に入った時から私はイレーネちゃんにロック・オンされるらしい。その後、お暇するまでの間に1回だけ絡まれる。その時以外の彼女は部屋にこもりきり。
けれど、最近の彼女の口撃は精彩を欠いている。強引にでも話す機会さえ作ってしまえば、多少なり事態を改善できるのではないかとベリザリオと意見が一致した。
作戦の第一段階、イレーネちゃんを部屋から誘いだすのには、お母様に協力してもらった。
封鎖目標のイレーネちゃんの部屋は4つ先の扉。計画は順調に進行中。
だったのだけれど、突然背後から騒がしい足音が聞こえてきた。
「ごめんなさい、バレちゃった!」
足音に混ざってお母様の声が聞こえてくる。
振り返ってみたら、必死の形相のイレーネちゃんが爆走してきていた。私とベリザリオの横を一気に抜いて自室に駆け込む。
勢いよく扉が閉じられそうになった。
すんでのところで隙間にベリザリオの足が挟み込まれる。彼はそのまま隙間に手を入れ、扉をこじ開けようとしている。
「イレーネ。そろそろ大人にならないか」
「わたくしまだ17ですわ。子供の権利を最大限主張しますわ!」
ぐぎぎと兄妹は顔を突きつけている。力の強さだけで考えれば余裕でベリザリオが押し勝つのだろうけれど、すぐにそうしないのは、自主的に扉を開けて欲しいからだろうか。
2人の言い合いが続く。けれど、交渉は決裂。最後はベリザリオが扉を押し開いた。
「行け、アウローラ!」
「はいっ」
作ってもらった入口から私は部屋に侵入した。




