52話 女主人たるもの
翌日。
ベリザリオがデッラ・ローヴェレに行くと言うので私もついていった。
彼自身はおうちの所有している化学研究所の方に用があるようで、お父様やフェルモとすぐに出ていく。
残された私はお母様とお茶をしようという話になった。
お母様手ずからお茶を淹れてくださるみたいなのだけど、待っているだけだと暇。お手伝いに私も台所についていく。
珈琲用の茶器を出して、お茶菓子を選んで。
「今日は時間があるんでしょう? どうせならお茶のお菓子を一緒に作らない?」
そうこうしている時にお母様が提案してきた。
別に困りはしない。以前から休みの日はお菓子を手作りしたりもしていたし、ベリザリオは美味しいと言ってくれていた。
愛情補正が入っていても、人様に出して困らない程度の物は作れるだろう。
それに、ベリザリオのお母様のことを私はまだ知らない。何か作業しながらの方がそれを話題にできて色々楽だ。
なので、喜んで返事をする。
「楽しそう。何を作るんですか?」
「ベタに定番家庭菓子とかどうかしら? あれって家ごとにレシピが違うから、今日はうちのレシピで作って、次はアウローラさんのおうちのレシピで作るの」
「デッラ・ローヴェレのレシピでですか?」
「嫌? 逆でもいいけど」
「いいえ! 彼が小さい頃から食べていたものを知れると思うと嬉しくて」
私は慌てて首と手を振る。そうしたら茶器に手が触れて倒してしまって、せめて床に落とさないようにわたわたしていたらお母様に笑われてしまった。
「邪魔だからしばらく下げておきましょ」
と、茶器一式を棚の空いている所に動かしてくれる。本当にすみません。
「それじゃ始めましょう。とりあえず材料の場所を教えていくわね。小麦粉はここ。コーンスターチもここね」
お母様が出してくれた物を私が受け取って、言われた分量を量っていく。
メディチのレシピと材料の時点で微妙に違う。
出来上がりが予想できなくてわくわくしてきた。
「楽しそうね?」
「ええ。うちのレシピとは材料から違うので、どういう仕上がりになるのか楽しみで」
「そこがレシピが違う楽しみね。このレシピ、私もお嫁に来てからお義母様に教えられたのよ。あ、レモンの皮すりおろしてもらえる?」
おろし金とレモンを渡されたので、私は皮をすりおろし始める。白い皮まですってしまうと苦くなるから、それだけ気をつけてっと。
お母様もそこを気にしていたのだと思う。私の手元を見ていた。
けれど、途中から粉類のふるいに集中していたから、任せて大丈夫と思ってもらえたのだろう。
そんなレモンの皮おろしだけど、大した仕事ではないからすぐに終わる。
そうしたらケーキ型がささっと押しやられてきた。生地を流し込む準備をしておいて、ってことかな? オイルを塗って小麦粉を薄くはたく。
終わったらお母様ににっこり笑顔をもらえた。
これは合格ということですか?
細かくチェック入れられていましたよね?
料理、できるようになっていて良かった。
「やっぱりお料理できるのね。私なんて全く料理……というか家事が出来なかったものだから、それはもうお義母様に怒られたのよ」
コロコロと笑いながらお母様は液物を混ぜ合わせる。そこにレモン皮と振るった粉を入れてサクッと混ぜて型にいれてオーブンへ。
「怒られたんですか? お手伝いさんがしてくれるから、出来なくても困らなさそうなのに」
デッラ・ローヴェレのお屋敷ではお手伝いさんを何人も見る。会食の時の給仕はもちろん、掃除をしている人もいる。お母様がやる機会なんて無さそうなのに。
「そう思うでしょう? でもね、女主人たるもの、家事は一通りプロ並みにできないといけないんですって。新しいお手伝いさんを雇ったりした時、教育をするのは女主人の仕事だからって」
「え?」
私の顔が引きつった。洗い物をする手が止まっていたから慌てて再開する。お母様は楽しそうに笑った。
「私もあなたと同じ反応したのよ。そうよねぇ。そんなこと知らないものねぇ。夫になる彼はそんなこと知らないから、事前情報でも入ってこないし」
私がすすいだ物をお母様は拭いていってくれる。2人でやれば後片付けも早い早い。
「それでね、結婚してからお義母様にスパルタ教育されたの。でも、今までしていないものがいきなり出来るようになんてならないでしょう? なのに毎日怒られるものだからイラっときて、これくらいでいいでしょくらいにお掃除なんかの手を抜いたの。そうしたら、あなたには生活を美しくする意識が足りない! って雷を落とされて」
楽しそうにお母様は喋る。けれど私は冷や汗が出そうな気分だ。
だって、生活を美しくする意識なんて私にも無い。そりゃあ、家の中が綺麗に整っていて、センスよく収納や飾り付けがされている方が良いけれど、清潔の最低ラインが守られていればいいかなとも思う。
なのに、この家で求められるのはプロ並みに家を磨きあげる能力。さすがに今の私にそれは無理だ。
どうしよう。お母様の二の舞になる未来しか見えない。
「でもね、私、あなたには家事の心配ぜんぜんしていないの」
「へ?」
そんな心配をしていたものだから、お母様の一言が私にはすぐに理解できなかった。
お母様はよけていた茶器を取ってきて机に置く。何種類かの珈琲豆が置かれている棚の前でどれにしようかしらと悩みだした。それでもお喋りは続く。
「だって、うちに帰ってくる時のベリザリオさん、いつも身だしなみはしっかりしているもの。栄養が偏った食事をしている感じもないし。これは、おうちがきちんと整えられているんだろうなーって。だからね、あの子のお嫁さんになってくれたら一通り家事教育はするけど、私の時よりずっと楽だと思っているの」
……お母様、その認識、半分くらい間違えてます。
思わず声に出そうになった。
だって、家を綺麗に保って、洗った服にきっちりアイロンをかけているのはベリザリオだから。
私がやると、彼よりややヘタクソに仕上がるのが日常です。やらないから、余計に技術差が広がると申しましょうか。
それでも、言わないでおけば今は穏便に乗り切れる事柄だ。これから練習して、嫁入りした時にしれっと出来れば問題無し。だったのだけど、
「実は、掃除と洗濯関係は彼がしてくれていて……アイロンまで」
つい口が漏らしてしまった。
だって、世の中そんなに上手くいかないと思うから。結婚後落胆されるよりは、今のうちに白状しておいた方が精神的に楽なはず。背伸びもしなくていいし。




