51話 vs妹
土曜日午後。ヴァチカンのとあるジムで。
「うちの兄に尊敬や好意? そんなものあるわけないじゃない」
ヨガマットの上で身体を伸ばして、三角のポーズをとりながらディアーナが言った。私も同じポーズをとる。
「でもほら、1カ所くらいは尊敬できる場所があったりとか?」
「ないわね。1ミリすらないわ」
上げられたディアーナの手の親指と人差し指はぴったりと合わされている。1ミリの隙間どころか薄い紙1枚入らなさそうだ。これでは、お兄ちゃんっ子攻略の手掛かりは得られないだろう。
私はしゅんとなった。
「なぁに? イレーネにでも手を焼いてるとか? デッラ・ローヴェレに行ったら反発されたとか」
「え!? なんでわかるの!?」
「いつだったか、お昼にぼーっとしてたベリザリオが「イレーネのやつ」とかなんとか零したのよね。何でもないって言ったから放置したけど」
「それで?」
「それで? って、それだけよ? これプラス、あなたが私に兄に対する気持ちを聞いてきたのとかをこねくり回したら、なんとなく」
なんとなく――で、普通わからないと思うのだけど。ベリザリオの予測能力も大概あり得ないけれど、ディアーナも同類だ。これを元に考えましたって教えてくれる情報以外にも情報を持っていて、そういうのを総合して答えを導きだしているのだろうけど。
恐ろしいことに2人とも話題が広い。普段からどれだけ多くの情報を集めているんだという話だ。今は話が早くて助かるのだけれど。
「そんな人認めませんわっ! って言われて、そのあと無視。もうどうしたらいいのか」
「なんかやりそうねぇ。あの子昔からベリザリオにべったりだったし」
「そうなの?」
「そうよ。ちょっと用があって私が行った時も、おにいさまはわたしませんわ! って感じで睨まれたもの。彼女がもっと小さい頃の話だけど」
「おぅふ」
想像以上に根の深かった問題に変な声が出た。
身体を支える力が抜けたので、ポーズを崩して床にへたれこむ。前にぺたんとなりそうだったのだけれど、そこまで私の身体は柔らかくない。床に肩がつくまであとちょっとが届かなかった。
「参考までに聞くけど、その時ディアーナどうしたの?」
「無視に決まってるじゃない。私が用があるのはベリザリオで彼女じゃないし。嫌われても痛くもかゆくもないし。困らないし。むしろ近寄らないでくれる方が邪魔じゃなくて結構」
肩は無理だったけれど、ガックリとなった頭が床についた。
駄目だ。そんな男らし過ぎる対応はディアーナにしかできない。そもそもが、イレーネちゃんと仲良くしたいという前提がズレている時点でマネしてはいけない気がする。
「あら?」
ディアーナが不思議そうな声をだした。
「どうかした?」
だらけた姿勢のまま私はディアーナに顔を向ける。
「いえね。あの子、放置してたら、いつからかツンツンしながら話しかけてくるようになってたような? 10年くらい昔の話だから記憶が怪しいけど」
「そうなの?」
「だったような気がするけど。断言はできないわね。歳をとって対応が変わっている可能性もあるし」
「ひああぁあ。打開策見つからず」
私はわめきながら頭を抱えた。ディアーナは面白そうにクスクス笑っている。私は涙目なのに。
「楽しそうだね」
「楽しいわよ。あなた達がどうやってこの難題をクリアするのか楽しみだから。苦労はしているみたいだけど、少しずつ前に進んでるみたいで良かったじゃない?」
そう言われて私は目をぱちぱちさせた。
確かに、ベリザリオとのお付き合いが進んできたからこそ起こった問題だ。となると、この問題に遭遇するまで付き合いが深くなったことを喜ぶべきなのだろうか。
困ればいいのか喜べばいいのか。なんかよくわからなくなってきた。
そして、運動したからか早々にお腹が鳴る。
「ディアーナお腹すいた」
「悩んだりお腹すかせたり忙しい子ね。私は切り上げてもいいけど、あの2人捕まるかしら」
ディアーナが壁の時計を見上げた。私もそれで察する。
「あー。そろそろ耐久サウナ競争とかしてる時間だね」
「あの人達、どうして事あるごとに競争したがるのかしら。それに、サウナって無理し過ぎたら倒れるじゃない? 面倒みるの誰だかわかってやってるのかしらね。いいかげん、精神年齢上がらないものかしら」
ポーズを変えながらディアーナが愚痴る。どうせベリザリオもエルメーテも捕まらないだろうから、動く気はないようだ。せっかくだから、私もヨガのポーズに戻る。
「ねぇね。それよりこのあと何食べに行こっか」
「あなたも大概悩むのに向いてないわよね。まぁ、そうね。ロビーでグルメ雑誌でも見ながら待つ方が、後がさっさと動けるわね。終わりましょ」
ディアーナが立ち上がった。私も立つ。何やら能天気みたいに言われたような気もするけど。それよりご飯ご飯。
ディアーナとお店を見繕っていると、ベリザリオとエルメーテもロビーに降りてきた。けれど、私達の横に座ったとたんに2人してダウン。ここ数週間お馴染みの展開だ。
私は雑誌をうちわ代わりにして、呑気に膝枕で寝ているベリザリオをあおぐ。
「いいかげん勝負ついたの?」
「引き分け」
「勝負内容変えたら?」
「というか変えなさい。サウナ勝負迷惑なのよ。来週も倒れたら放置して帰るわよ」
「わかってないなディアーナ。試合後の至福の膝枕タイムのために俺達は戦って――」
「私達は重いだけよ」
ディアーナの1刺しでエルメーテが泣いた。
ベリザリオは視線で「迷惑?」って聞いてきたから、私は笑顔で首を横にふっておく。私この時間好きなんだ。ベリザリオが私に甘えてくれる数少ない時間だから。
「エルメーテ」
「んあ?」
「来週から種目を変えるぞ」
「逃げんのかよ」
「この際それでもいい。お前にサウナで倒れられて、介抱させられる恐怖よりはマシだ」
げんなりとベリザリオが言う。「おっしゃぁ! 俺の勝ちぃ!」と高笑いを始めたエルメーテは即座にディアーナに叩かれていた。その上説教の嵐だ。なんていうかご愁傷様。
「で、ディアーナから何か聞けた?」
我関せずでベリザリオが聞いてくる。
「あんまり。なんかね、喋らないなら喋らないでいたら、イレーネちゃんから折れてきたとは言っていたけど」
「ああ、放置か。それも1つの手だな」
「え? いいの?」
「反発している奴を近付けようとすると、より強く反発したりするから。近付くタイミングが来るまで触れないは1つの正解だ。幸いトラブってるのはあいつとだけだし」
「なになに。お前らなんか問題ごと?」
ディアーナの説教をかいくぐってエルメーテが尋ねてきた。興味で目がらんらんとしているから、これは話さないとしつこそう。
なので、事のあらましを掻い摘んで私が話す。
全く何も知らなかったようで、エルメーテは大袈裟に合いの手を入れながら聞いている。
「なんだよベリザリオ。俺にもきちんと相談しろよ」
「男兄弟しかいないお前が何の役に立つんだ」
ベリザリオの答えは素っ気ない。わかってねぇなとエルメーテは続ける。
「俺はわからないけど、子猫ちゃんに聞けば――」
そこでベリザリオががばりと起きた。そのまま立ち上がって私の腕を引く。
「私達は帰る! またな!」
慌ただしく言って出口へ向かいだした。
「待ってよベリザリオ。急にどうしたの?」
「あのままあそこにいたら二次被害だ。避難するに限る」
「二次被害?」
「……あそこくらいからなら見つからないか」
キョロキョロしていたベリザリオが太い柱の陰に入った。そこから顔を少しだけ出してエルメーテ達をうかがう。
さっきまでと違って明らかに不穏な空気が漂っていた。主にディアーナから。
「その子猫ちゃん、私が知っている子かしら? それとも新しい子?」
「あわわわ。し、知らない……かも?」
「そう。来週も楽しくサウナにこもればいいわ。一生出てこないでいいわよ」
ディアーナが立ち上がった。膝枕状態だったエルメーテは容赦なく床に転がり落ちる。けれど、素早く体勢を整えて深く土下座した。
「ごめんなさいディアーナ様! 許してこの通り!! すぐ別れるから!」
「別れてもらわなくていいわよ。私、あなたとは他人ですもの」
そんな彼の横をディアーナは笑顔で素通りする。その片脚にエルメーテがしがみついた。ディアーナは掴まれた脚で強引にエルメーテを蹴り飛ばして、倒れた彼の頭を丹念に踏んでジムを出て行く。
私の横でベリザリオが嘆息した。
「ほら。逃げてなかったら二次被害だっただろう?」
「なんかさ、ベリザリオの危機回避能力、無駄に鍛えられてるよね?」
「否定はしない」
私達が覗いている前でエルメーテがヨロヨロと出ていった。私達も柱の陰から出る。
「まぁいいや。ご飯行こう。お腹すいちゃった」
対岸の火事は忘れてベリザリオの手を引いた。あの火事はいつものことなのに、いちいち気にしていたら皺ができてしまう。勝手にどうにかなるのだから放置が正解だ。
私のベリザリオはエルメーテみたいな人じゃなくて良かった。




