50話 猶予期間
「下の子達がごめんなさいね。特にあの子、女の子の方なんだけど、ベリザリオさんと8歳離れてて。ベリザリオさんも歳の離れた妹が可愛かったんでしょうね。家に帰ってくるたびに甘やかしていたものだから、すっかりお兄ちゃん子に育っちゃって」
困ったようにお母様が溜め息をつく。私は仕方ないかなと思った。
ベリザリオに聞いた家族構成で娘は妹さん1人だった。お姫様扱いされていてもおかしくない。ベリザリオの愛情だって独占してきたのだろう。
そこに知らない女がぽんとやってきてちやほやされて、しかも大好きな兄の愛情をさらっていくのだ。心中穏やかではないだろう。
それでも同じ末っ子だ。甘やかされてきた者同士、通じる部分もあるだろう。ベリザリオを好きっていう共通点もあるし。
「大丈夫です。私、たぶん彼女とは気があうと思うので」
なんて気楽に言ってみたものの。
その後の会食でも妹さんには徹底的に無視されてしまった。ご両親達が注意しても彼女の態度は変わらない。
ついにはベリザリオに「イレーネ」と静かに言われて。別に彼はそれ以上何も言わなかったし、睨むとかもしていなかったのだけど。
イレーネちゃんはシルバーを食卓に叩きつけて退室してしまった。
会話すら拒否となると関係構築難しそう。ちょっと困った。
「すまなかったな。イレーネがあんな態度をとってくるとは予想外だった」
家に帰り着いた途端にベリザリオが謝ってきた。私は笑顔を返す。
「べつに気にしてないよ。彼女の気持ち、私もわかる気がするから」
ル・ロゼに入学して数年間。私にとってベリザリオは賢くて優しい自慢のお兄ちゃんだった。けれど、言い方は悪いけれど、彼はディアーナやエルメーテとの共有物だった。そしてそれが普通だった。だから、恋するまでは、独占したいだなんて思ったことはない。
けれど、最初から私の占有物だったら。取られたと嫉妬するだろう。
「1つ、言うことがある」
硬い声でベリザリオが言った。リビングに移動した彼は1人掛け用のソファに座り、斜め向かいのソファに私も座るよう手で指示してくる。
なんだろうと、私は指示された場所に座った。
ベリザリオの雰囲気や座り方からして真面目な話なのだろうけど。
「イレーネの事はひとまず置いておいてだ。このまま何も無ければ、じき、私はアウローラに正式にプロポーズするだろう。それまでが私から逃げられる最後の期間だと思って欲しい」
突然そんなことを言われた。
私の頭の中にはてなマークがポコンと湧いてくる。
「なんで私がベリザリオから逃げるの?」
それも、結婚というご褒美が見えている状態で。家族と仲良くできるように頑張れではなくて、別れるなら今のうちと言いだすだなんて、何を考えているのだろうか。
「私が家督を継ぐのは確定している。それに伴う処理ももう済んでいて、今は代替わりのタイミングを見ているにすぎない」
静かにベリザリオが話し始めた。
「そうなると、結婚後、アウローラにもデッラ・ローヴェレの秘匿事項を知ってもらうことになる。そうなったらもう手放せない。いくら離婚を求められても認めない。愛が無くなった、家についていけない。そうなっても仮面夫婦を演じる事を強要する」
だから、この先やっていけるか見極めなさいと彼は言う。
デッラ・ローヴェレという家をこれから少しずつ見せられるらしい。見せられない部分を除いてだけど。
それにしても解せない。
「おうちのことは何とも言えないけど、私がベリザリオのことを嫌いになる日がくると思ってるの?」
「確率は高いと思っている。おそらくだが、これから先のどこかで私の性格は変わる」
寂しそうに彼は言う。
全ては本気で出世レースに参戦するため。
権力者との癒着、出世や仕事の邪魔者の排除。一般的には後ろ指を指される事も、金銭授受と身体の関係以外なら、必要ならやる。
表では善良なふりをしながら。
性格はそのうち嫌な方に歪むかもしれない。というか可能性は高いと見積もっている。それが怖いと。
「他にも理由は出てくるかもしれないが――いずれにせよ、アウローラに無理をさせるつもりはない。私のもとを去っても責めはしない。毎日苦しんでいる姿を見るよりは、別の男と所帯を持って笑っていてくれる方がよほどいいからな」
無感情を装って彼は言った。
でもね、ベリザリオ。私最近あなたの嘘がわかるようになってきたんだ。今も、本当は別れたくないと思っているのが手に取るようにわかる。
それに、私のためのように言いながら、私の意志関係無しにそんな事を考えるだなんてけしからんよね。親切の押し売りはお断りなの。
「それだけ?」
とりあえず私は笑顔を浮かべた。ベリザリオがうなずく。私は静かに立ち上がって彼の前へ行った。そうして、全力でベリザリオの頬を平手打ちする。
「馬鹿にしないで!」
思いっきり叫んだ。ベリザリオは目を丸くしている。私はその場で膝をついて、叩いてしまった彼の頬を撫でた。
「私ね、そんなに弱くないよ。いつまでもベリザリオに守ってもらってばかりいた子供じゃないの。私にだってベリザリオの背を支えるくらいはできるよ。寂しがっている時に一緒にいてあげることも」
デッラ・ローヴェレに慣れるのは頑張れないことはないだろう。私だってそこそこの家の娘だ。家のことは姉に丸投げして甘やかされてきた放蕩娘だけど。完全な一般家庭の子よりはアドバンテージがある。
ベリザリオの性格だって、歪みそうになったら私が怒って矯正すればいい。私は鈍い方だし、ベリザリオは隠し事が上手いから、気付くのが遅れるかもしれないけど。まぁなんとかなるはずだ。
「だから一緒に頑張ろう? それで、さっさとエルメーテを教皇に押し上げちゃって、嫌いな仕事は捨てて一緒に田舎で暮らそうよ」
優しく下から見上げる。ベリザリオは頬に添えられていた私の手をゆっくり包んで、小さくありがとうとつぶやいた。
それで気弱な雰囲気は飛んで、さっぱりとした笑顔が浮かぶ。
「今の1発はきいた。思ったより力が強いなアウローラ」
「そうだよ、私は強いの。ううん、女は強いの。男みたいに何重にも予防線なんて張らないで、やると決めたら腹をくくるんだから。目標達成に向けて前進あるのみだよ」
やるのだやるのだ、と、私は軽くジャブした。というか、傍目には猫パンチなのだろうけど。ベリザリオは笑って受け止めている。
「ベリザリオって、結構貧乏くじ引くよね?」
「どこら辺が?」
「全然興味のない出世レースしないといけなかったりとか。本当はぷらぷらしたいのに、おうちを背負わないといけなかったりとか」
「それか。そう言われると貧乏くじなのかもな」
にゃんにゃんと手遊びをしながら話が続く。
「けどまぁ、私は貧乏くじを引かせてくれる連中がいてくれる方が助かる。こう言うと嫌味に聞こえるかもしれないが、私は大概のことはやろうと思えばできる。そのせいで何に対しても欲求が薄いんだ。だから、巻き込まれてでも打ち込めることがある方が楽しい」
「難儀な性格」
「本当だな。まぁ、やる事さえやれば、将来私がどれだけわがままを言っても周囲は文句を言いにくいだろう。将来のために今労力を払ってると考えれば、そう悪くはない」
ぺちぺちぺちぺち。私の攻撃は続く。
「それはそうとさ、ベリザリオを平手打ちしたのがイレーネちゃんにバレたら、ますます嫌われそうだよね」
「あー。そういえばあいつどうしたものかな。下手に私が出ていくと余計こじれそうだし」
「ディアーナってお兄ちゃんいなかったっけ? お兄ちゃんが大好きな妹の気持ちってわからないかな?」
「厳しいんじゃないか? あいつの兄ってル・ロゼにすら入れなかった程度だからな。尊敬も好意も欠片も抱いていないと思うぞ」
「そこまで断言しちゃう?」
「しちゃう。あいつ、そこら辺の割り切りは血も涙もない奴だから」
そうかなぁ。ディアーナって、言葉ではキツくても対応は柔らかかったりするけど。一応聞いてみよう。もしもがあるかもしれないし。




