5話 見えざる敵
それから4日。
ヴェルナーの姿を見ることもなく私は快適に過ごせている。それもこれも、特殊な生活環境のおかげだと思うのだけれど。
私の通っている学校ル・ロゼは自由時間がほとんど無い。
朝7時には起きて身だしなみを整えたり朝ご飯を食べた後、8時からは授業が始まる。途中、休憩と昼食を挟んで15:30まで授業が8限。16時から18時まではクラブ活動。
30分休憩を挟んだ後に1時間勉強時間があって、ようやく夕食にたどり着いたと思ったら、就寝までの間にまた自習時間が挟まっている。
クラス毎に動くことがほとんどなので、食事の時間とかに気をつければ、学年の違うヴェルナーとの遭遇率はぐっと下がる。いつもは堅苦しいだけの自由の無い生活が、今だけはありがたい。
「あいつが手ぇ出してこなくなって4日目だっけ? 日曜も近付いてきてないし、諦めたんじゃね?」
夕食時間。
私の斜め前でご飯を食べるエルメーテが呑気に言った。自称恋愛のプロである彼いわく、気になる子には毎日でも会いたいらしい。
私もベリザリオには毎日会いたいから、その意見は納得できる。
「そんな簡単に諦めるようなタイプには見えなかったけど」
これは横に座っているディアーナ。
「お前と違って一般人は繊細なのよ。恋心も負けるのよ」
「あなたの場合はスケベ心に連敗中みたいだけど」
「否定はしない」
「去勢したくなったらいつでも手術の手配してあげるわよ」
うふふ。あはは。と、隣ではいつもの不穏な会話が流れる。どんな話題であってもこの2人は喧嘩を始めてしまう。なんでなんだろう。
「まぁ、大人しくしていてくれるならそれでいい。付きまとわれていると思うと、夜寝付きが悪くなったりするだろうからな」
私の前で、横の2人を放置してベリザリオがまとめた。ちょうど空になった彼の前菜の皿が下げられて、次の皿と置き換えられる。
このフォーマルスタイルの給仕、実はマナーの授業の一環である。
夜だけなのだけど、食事すら授業にされてしまうから、平日は面倒くさい。
でも、好きな面もあるの。
それは、男子がジャケットとネクタイ着用という点。
ル・ロゼは普段制服を着ないから、こんな時くらいしかみんな固い服装をしない。だけど、この時のベリザリオは普段よりきりりと見えて、見るたびに惚れ直してしまうくらい好きだ。
そんなベリザリオの表情が少し陰った。マナー悪くフォークで皿の中の物を転がし、嫌々といった感じで口に運ぶ。嫌いな物が出てきた時に彼がとる行動だけれど、今の皿に彼の嫌いな物は見られない。
「嫌いな物増えた?」
「いや。ただ、今日のこれ苦いなと思って」
そう言ってベリザリオは煮込まれたお肉の塊を転がす。
私も自分の皿のお肉を食べてみた。けれど、苦いと言うほどの苦味は感じない。付け合わせのお野菜も何ともなかった。
首を傾げる私をベリザリオが見てくる。
「その様子だと、苦いのは私だけか」
「一緒に作ってるはずなのにね」
「お前のにソースの焦げた部分入れたんじゃね? もしくは、新人がうっかりワインこぼしてたりしててな」
「亜鉛不足で味が分からなくなってる可能性もあるわよ。マルチミネラル持ってるから、取りに来るならあげるけど」
口喧嘩しながらもこちらの話は聞いていたようで、エルメーテとディアーナも話題に入ってきた。
「同じものを食べていて私だけ亜鉛不足なんてなるものか?」
「ないと思うけど。そもそも献立自体が栄養価もある程度計算してあるはずだし」
「だよなぁ。まぁ、疲れてるのかもな。今日のクラブは走り込みがきつかったし」
そう言ったベリザリオは観念した様子で食事を再開させる。
出された物は基本的に全て食べないといけないので、美味しくないくらいでは残せない。あまり噛まずに飲み込んで水で流しこんでいるので、よほど美味しくないのだろう。
それでもどうにか皿を平らげデザートと珈琲に到達できた時、ベリザリオがどれほど嬉しかったのかは表情を見ればわかる。ほくほくと嬉しそうに、子供みたいにケーキを食べるから、思わず可愛いなと思ってしまった。
いつもベリザリオは凛としているけれど、可愛い彼もいる。新発見だ。
そんなデザートと珈琲も無くなって、お喋りしているだけになってきた頃。ベリザリオが変な動きをしだした。
手が腹部や胸あたりにいって、口元で止まる。うつむいたかと思ったら急に席を立った。食堂の脇に置いてある水のペットボトルを取って出口に向かう。途中で吐きそうな仕草をした。幸い我慢できたようだけれど、その場でうずくまってしまっている。
「おい、どうしたんだよベリザリオ」
素早い動きでエルメーテがベリザリオの元に行った。ベリザリオの横にしゃがんで口元に顔を寄せる。
「あ? トイレに連れてけ? しかも水まで持ってけ? お前どんだけ偉いんだよ」
言いながらもエルメーテはベリザリオをひょいと担ぐ。エルメーテってラグビー部で身体を鍛えまくっているから、こういう時たくましい。
手荒く担がれたベリザリオの顔色は蒼白だけれど。
「うぉおお!? 俺の上で吐くなよ! マジで頼むぞ!! 根性みせろよベリザリオ!!!」
半分叫びながらエルメーテは走って行った。
「どうしたんだろう急に」
残された私は呆然とするしかない。他の生徒もざわざわと2人の出て行った方を見ている。ただ、ディアーナだけは、厳しい顔でベリザリオの席に視線を向けていた。
「ディアーナ?」
「ベリザリオ、ワイン煮込みが苦いって言ってたわよね?」
「言ってたね」
「苦い物を食べて、2、30分後に吐き気……」
呟きながらディアーナは食堂の端に歩いていく。途中で食事担当の先生とぶつかっていた。そこで2人で難しい顔で話を始めている。
ディアーナには何か気になることがあるのかもしれないけれど、私には全然わからない。
ただ、最後に見たベリザリオはとても具合が悪そうだったから、それだけがとても心配だ。トイレに連れていけとか言っていたから、外で待っていれば出てきた彼と会えるだろうか。緊急度が高そうだったから、行っているのはきっと1番近くのトイレだ。
今すぐにでも動きたいのだけど、ディアーナと先生の話はまだ続いている。
「ねぇディアーナ。私ベリザリオの所に――」
声だけかけて先に移動しようと思ったら、途中で視界に嫌な影が入った。黒髪に灰色の目で嗤っている嫌な男子。声は聞こえなかったけれど、動いた口の発した言葉がわかった気がする。
――いい気味だ。ザマァみろ。
絶対そんなことを言っていた。
ベリザリオに何かしたのはあいつだ。そう思ったら頭がかぁっとなった。
自分がモテないからってベリザリオに何かするなんて酷い。しかも隠れてコソコソしかけてくるなんて卑怯だ。
「ディアーナ、あのね、絶対ヴェル――」
思いついた事を訴えようとディアーナに言いかけたら、言葉の途中で口を塞がれた。ディアーナは相変わらずの厳しい顔で首を横に振っている。
この先を言うなということなのだろうか。
「先生。それじゃあ私達はこれで。帰りましょうアウローラ」
軽く頭を下げたディアーナは私の腕を引く。1人じゃどうしようもなかったし、仕方なく引かれるに任せた。
「さっきは悪かったわね」
食堂からある程度離れてからディアーナが言ってきた。ようやく話せる雰囲気になったので、食堂で言えなかったことを私は主張する。
「あれ、絶対ヴェルナーがやったんだよ」
「そうかもね。でも証拠が無い」
「だって、倒れたベリザリオを見て嗤ってたんだよ! ザマァみたいな事も」
「言ったのは聞いたの?」
「……聞いてない。言ったような気がしただけ」
しょんぼりと答えた。横を歩くディアーナの話は続く。
「証拠の無い事を騒ぎ立てちゃダメよ。あなたが馬鹿にされるだけだから」
「でも」
「私達には敵が多い」
ポツリとディアーナが言った。
「あなたはヴェルナーにしか目がいっていなかったみたいだけど、具合の悪くなったベリザリオを笑っていた連中は他にもいたわ」