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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Firenze編 幸せの在り処
44/83

44話 小さな城

 * * * *



 旧市街の、古くてエレベーターも無い5階建てアパートの最上階の部屋。

 そこのちょっとしたテラスに干しておいたシーツを私は抱え込んだ。お日様と柔軟剤のいい匂いがする。すっかり乾いたそれを取り込んで、ベリザリオのベッドと私のベッドにそれぞれ敷いていく。


「うん、いい感じ」


 枕カバーも付け直して、整ったベッドに満足して枕をポンと叩いた。


 次は晩ご飯の仕込みをするために台所に向かう。

 冷蔵庫から兎肉を出してスライスニンニクとローズマリー、タイム、セージを散らす。上からオリーブオイルをかけてラップをして冷蔵庫に戻した。あとは乾燥ポルチーニを戻してっと。


 それで家事がひと段落したので、さっきまでシーツが揺れていたテラスに椅子とブランケット、珈琲と本を持っていく。

 季節は11月。過ごしやすいのだけれど、昼でも少し肌寒くなってくる季節だ。

 ゆったりと椅子に腰かけ膝にブランケットをかけた。それから珈琲を楽しむ。俗に言う日向ぼっこである。


 リビングダイニングの他に1室しかない狭さの上に天井がちょっと低くて、急な階段を登らなければたどり着けない部屋だけれど、このテラスだけは文句無しに素晴らしい。

 風に乗って運ばれてくる緑の匂いが気分を和ませてくれるし、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が見えるから。


 ここが今の私達の城で、まぁまぁ満足している。2人でお金を出し合って借りた。

 選んだ1番の理由は、ほとんどの家具が付いているのに安かったから。

 私もベリザリオに合わせて実家からのお小遣いを使うのを止めたから、家賃が高いと困る。

 それに、ベリザリオの残り研修期間1年だけ借りたい私達だから、わざわざ家具なんて揃えないですむ方がいい。その点ここはうってつけだった。


 あとは、大聖堂と私の職場の両方に近いから通勤が楽、とか。

 ベリザリオ的にはシングルベッドが2つあるのも良かったらしい。彼夜勤があるから、私と生活時間が合わない日もあるだろうからって。個室も私にくれるのだから優しい人だ。


 本を読んでいたらあくびが出た。お日様ぽかぽかのところに程よく風が吹いてくるものだから眠気を誘う。のんびり昼寝ができるのは休日の特権だし。惰眠をむさぼることにした。





「アウローラ、風邪をひくよ」


 呼ばれた気がした。

 重いまぶたを上げてみると、こちらを覗き込んでいるベリザリオがいる。背後に見える空は真っ暗。つまるところこれはあれだろうか。寝過ぎというあれ。

 慌てて私は立ち上がる。


「ベリザリオお帰り! ごめんご飯の準備まだ!」


 わたわたと台所に走った。

 途中で回れ右してベリザリオにお帰りのキスをして再び台所に向かう。

 冷蔵庫からお肉を出してオーブンに入れて、ポルチーニは戻し汁と身を分ける。汁側に水を足して、切ったキノコや野菜とベーコン、ブイヨンを加えて火にかけて。


「まだ7時だしそんなに慌てなくてもいい。私も手伝おう。何をすればいい?」


 ネクタイを外して首元を緩めたベリザリオが隣にきた。袖をまくり上げているあたり、やる気満々だ。


「それじゃあロマネスコ茹でてもらっていい? サラダ用」

「了解」


 ベリザリオは水を張った鍋を火にかけてロマネスコを切り始めた。お湯が沸いたらざばっと放り込んで茹でていく。

 彼にそれをやってもらっている間に私はソース作り。といっても、マヨネーズとマスタードを混ぜるだけなんだけど。

 そこに茹でてもらったロマネスコとスライス玉ねぎとハムとトマトを入れて、混ぜれば完成。うん、いい色合い。


 完成したものから盛り付けてダイニングテーブルに持っていく。ナイフやフォーク、グラスはベリザリオが出してくれている。パンも今準備中だ。言わなくてもやってくれてベリザリオ様々すぎる。


 2人で用意したおかげで準備はすぐに終わった。なんやかんやで夕食にちょうどいい時間だ。先に仕込みをしておいて良かった。


「今日も美味しいね」


 そう言ってベリザリオは美味しそうに食べてくれるから作り甲斐がある。褒めてもらえる私も幸せ。私が仕事でベリザリオが休みの日に、彼が作ってくれるご飯を食べるのも幸せだけど。


 2人とも仕事をしているから家事は最初に分けた。私が全部しても良かったのだけど、家事が負担になると生活が辛くなるからって。

 洗濯とアイロン、掃除なんかはベリザリオがしてくれている。料理が私の仕事。私やること少なくない? と思ったのだけど、献立を考えるのが大変だったりするからいいんだって。


 ひとり暮らしの先輩の意見だったから従った。おかげで普段は楽させてもらっている。その分、ベリザリオが仕事で私が休みの日に掃除洗濯全部やると、すごい満足感。

 そういう小さな幸せを知れただけでも、一緒に暮らし始めて良かったと思うの。




 のんびりご飯を食べて少しだらだらしたらベリザリオが書き物机に向かった。書類に目を通しだしたので、彼に話しかけたりは控える。


 今見ているのはあれかな。おうちの仕事関連の何か。他には難しい論文を読んでいることもある。除染方法や新種ウィルスの活用法のヒントがあるかもしれないからって、科学論文は極力目を通すようにしているんだって。

 教会での仕事とは別にこんなことをしているのだから、大変だなと思う。


 仕事の日の彼はいつもこんな感じだ。その上、月に1回か2回、休みの日はご実家の仕事の勉強にヴァチカンに帰っている。ディアーナやエルメーテとの会合も月に1日は入りこんでくる。金曜夜は私の実家で夕食会なのは相変わらず。

 デートの時間が取れないのも仕方ないかと、見えてしまったのは良かったのか悪かったのか。


 テレビを消した私はリビングで編み物を始めた。テレビを見てもいいよとは言われているのだけど、静かな方が集中できると思うから。

 それにほら、イタリアの何でもできるお母さんを目指すなら、編み物くらいできなきゃだし。でも私、今までそんなことしたこと無くて。だから、この時間は練習にちょうどいい。

 上達したらベリザリオにマフラーとか作ってあげたいし、結婚して子供ができたらニットとかも作ってあげたいし。


「って、きゃー! 私ってば、きゃーっ!」


 ちょっと興奮してしまって、ソファに置いてあったクッションをバンバン叩いた。ベリザリオは一瞬こちらを見たけれど、生暖かい目を向けただけですぐに顔を戻す。

 私が妄想で違う世界に出掛けるのはいつものことだから、慣れたものだ。


 そういう感じで放置しておいてもらえれば私はそのうち戻ってくる。今だってもう落ち着いた。

 だって、現実は甘くない。私はまだまだヘタクソだから。

 お母さんから本を借りてかぎ編みから練習しているのだけど、編んでは解いてを繰り返してる。無駄にできる時間は少ないのだ。

 本格的に寒くなるまでにブランケットを作りたかったんだけど無理かな。不格好でも家で使うだけならいいかと思ったのだけど。




 ひたすらに毛糸と格闘していたら少し疲れた。時計を見たら0時。もういい時間だ。ベリザリオはまだ書類に向かっている。

 私は冷蔵庫から牛乳を出した。火にかけて蜂蜜を少し。できたホットミルクをマグカップに入れてベリザリオの所に持って行く。


「少し休憩しない?」


 書き物机の邪魔にならなさそうな所にマグカップを置いた。ベリザリオは書類を置いてマグカップに手を伸ばしてくれる。


「アウローラはこうやって止めてくれるから助かる。私1人だと時計を見ないで、気付いたら3時とかあるから」

「次の日起きれなくなっちゃうね」

「そうなんだよ。そのたびに後悔するんだが」

「またやっちゃう?」

「やるな」

「地味に私責任重大だね」


 私もホットミルクを飲みながら笑う。

 このホットミルク、ル・ロゼにいた頃、泣いている私に寮主さんが作ってくれたものなの。あの時とても落ち着いたから、それ以来疲れたりへこんだ時に作って飲むようになった。

 これを飲むとベリザリオの雰囲気も和らぐからとても好き。今も柔らかい笑顔をしているし。


「これ美味いよね。今度作る時に私にも作り方を教えてくれないか?」

「いいけど、自分で作るの?」

「いや。作ってもらうのが嬉しいから積極的に作りはしないが。アウローラが疲れたりしている時に、私も作れるといいなと思って」


 そう言われたものだから、嬉しさが私の中にじんわり広がる。手に持っていたマグカップは書き物机に置いて彼の膝に座った。


「ありがとう。嬉しい」


 そっと彼に口付ける。今夜のキスはミルク味。

 すぐに唇は離したのだけど、その時にはベリザリオの腕がしっかりと私の腰に回っていた。いつまでも乗っていると重いだろうからどこうとしたのだけど、腕が邪魔で立ち上がれない。


「降りられないよ?」

「必要ないからいいんじゃないかな?」


 ベリザリオが優しく唇を重ねてきた。軽いキスを繰り返して静かに見つめ合う。

 なんかいい雰囲気。これは期待してしまう。


 だったのに、呼び鈴がなったりしたものだから、2人して盛大に脱力した。


「ベリザリオ助けて。俺マジ死んじゃう」


 その上、扉をドンドン叩きながら半泣きしているのはエルメーテの声だ。あからさまにベリザリオの機嫌が悪くなった。


「あいつ、そろそろ本気で絶交か抹殺を考えていいと思わないか?」


 そんなことまで言いだす。でもさ、叱りつけるくらいが限界じゃないかな。絶交って言ってもエルメーテは無視して寄ってくるだろうし、殺しても死ななさそうだし。

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