40話 意地の張り合いのゆくえ2
お父さんがチラッとベリザリオを見る。
「これはゾールアイといって、二日酔いを予防してくれる。こうして食べる。見ていなさい」
短く言ってスプーンで黄身部分をすくった。空いた穴にマスタードと塩胡椒を入れて黄身で蓋をする。
「一口で食べるのが作法だ。覚えておきなさい」
そこまで言って卵を口に入れた。味付けのコツを教えてくれたりまではしないらしい。私相手にだと、味付けまでした物を渡してきそうだけど。お父さん冷たい。
「あれあんまり売ってないのよねぇ。突然飲み比べだなんて言いだすから、探すのに苦労したわ」
お母さんからは愚痴がぽろり。
「ただのゆで卵じゃないの?」
「ゆで卵をね、ハーブや香辛料を入れた塩水に漬けてあるの。1週間くらい。先に言っておいてもらえれば作っておけるんだけど」
「そうなんだ? お父さん迷惑かけまくりだね」
「そうねぇ。でも、きちんと準備しておいてやりなさいって言ってたから、ベリザリオさんのために用意させたんだと思うのよ。素直じゃないわよねぇ」
のほほんとお母さん。
お父さん、隠れてそんなこと言ってたんだ。気を使うくらいだから、ベリザリオのことちょっと認めてきているんじゃないの? 素直になれないだけで。ベリザリオへの教え方もなんか半端だし。
我が父ながら、こんなに面倒な人だなんて知らなかった。
まぁでも、ベリザリオには、あの半端な教え方でも十分みたい。
「勉強になりました。ありがとうございます」
丁寧にお礼を言って、お父さんに言われたように食べていた。
二日酔い予防の食事が無くなると机の上に大量のワインが置かれる。
「水はいくら飲んでもいい。身体が酒を受け付けなくなった方が負けだ。吐いたらその時点で負け」
お父さんが2つのグラスにワインを注いだ。2人してグラスを軽く掲げて飲み始める。両人の顔が途端に歪んだ。
「マズ……」
ベリザリオの口からは感想まで漏れる。飲みかけのグラスを睨む目には飲みたくないという感情がありありと出ている。
お酒好きのお父さんまで似たり寄ったりの表情なのはなんでだろう?
「死んだり劣化したワインを近所から集めさせたからな」
「それはまた、ちょうどいい在庫処理ですね。ご近所からは感謝されそうだ」
それで黙ってしまった2人はしばらくグラスを睨んで、覚悟を決めたように飲み始める。
なんだろう。勝負というより、2人で急いでワインを減らしているという感じ。
どんな味だったらあんな飲み方になるんだろう。少し気になった。
「ベリザリオ、ひと口味見させてもらっていい?」
「飲むのか? これを?」
「やめておきなさい。辛いだけだ」
ベリザリオからは信じられないといった目で見られて、お父さんからは問答無用で止められる。
そう言われると余計飲みたくなるのが人の性で。
私は強引にベリザリオのグラスを奪って口をつけ――る前からおかしな臭いがしてきた。なんというか、モップみたいな臭いっていうのかな。飲んだらもっと強烈な不味さなんだと思う。
戦意喪失して、飲まないままグラスを返した。
「それがいい」
ベリザリオもお父さんも苦笑している。自分達はがばがば飲んでいるけど。
「ワインって、痛むとここまで酷い味になれるの?」
「そうだよ」
「2人ともよく飲めるね」
「飲みたくはないが飲むしかないし。それに、ここまで酷い状態だとワインの壊れ方が早いんだ。時間が経つほどにに不味くなるのがわかっているなら、多少なりとも飲めるうちの方がいい」
「思ったより勉強しているな」
「たしなみの一環として」
なんやかんや言いながら、お酒が共通の話題になって男性陣2人の会話が成立している。
1本目のワインを空けた2人は水を飲んで次を開けていた。ひと口飲んだ途端に酸っぱそうな顔になっていたけど。そうか、今度は酸っぱいのか。
「あれよねぇ。飲み比べなんて何を馬鹿なことをって思ったけど、これならそう沢山は我慢できないでしょうし、お酒代も掛からなくていいアイデアよねぇ。あなたにしてはいい考えだったと思うわ」
机に来たお母さんが1本のワインを手に取った。コルクを抜いて、隣のワインのコルクも抜く。
男性陣の目が丸くなった。
2人が目線で何か言い合っているっぽい横で、お母さんはどんどんコルクを開けていく。
「お母さんなんでコルク開けてるの? いつもは開けっ放しはダメって言うのに。2人が飲みやすいように?」
「壊れたワインってね、空気に触れれば触れるほど美味しくなくなるの。だからね、2人が沢山飲む前にギブアップするようにおまじない」
コルクがまた開いた。それを飲まねばならない2人は地獄なのではなかろうか。
気のせいかな。なんか、微妙に戦友みたいな空気漂わせてない? お父さんとベリザリオ。
そうこうしていたらお姉ちゃんが帰ってきた。飲み比べ中の席に寄ってきて言う。
「お父さんついに折れたんだ? てか、なんで2人して外で不味そうにお酒飲んでるの?」
男性2人の手が止まった。また目線だけで会話している気がする。「お前が言え」「そちらがどうぞ」みたいな感じだろうか。短時間でアイコンタクト出来るようになってるって、この2人、実は相性が良いとしか思えない。
そんな2人を放置して、お母さんはお姉ちゃんと私の背を押す。
「それはご飯を食べながらでも教えてあげるわよ。この2人は2人でどうにかするでしょうから、私達もご飯にしましょう。中で」
お母さんの一言で勝負中の2人が泣きそうな顔になった。「見届けてくれないの?」みたいな。お酒がかなり入っているせいかな。普段より感情が素直に出ている。
それがとても可愛いし、一緒にいてあげたいのだけど。
……ごめん。
家庭内ヒエラルキーはお母さんが1位だから。食べ終わったらまた見にくるから。
心の中で謝って私は家に入った。
たっぷり1時間以上かけてご飯を食べたのだけど、飲み比べはまだ続いていた。
アルコールのせいで暑いのか、2人ともマフラーを外している。
ベリザリオにいたっては、ボタンをいくつか外して首元を緩めているくらいだ。そこから見える肌は真っ赤。目はトロンとしている。トイレに立った時に足がちょっとフラついていた。大丈夫だろうか。
「あそこまで酔っ払ってたら、味なんてもう関係なさそうねぇ」
2人の様を見たお母さんはただ呆れていた。まぁ、そう言いたくなる気持ちもわかる。
すっかり酔っ払っているらしき2人は、豪快にこぼしながら互いのグラスにワインを注いでいる。不味そうな顔は全くしていない。ひたすらに眠そうなだけで。
さっきからベリザリオの頭がガクンと何度か落ちている。そのたびに顔をいじって眠気を飛ばそうとしているみたいなのだけど、あまり効果は無さそう。
また頭が落ちて、今度の彼は立ち上がった。眠気を飛ばすために散歩を始めたみたい。フラフラ歩くから危なっかしい。
大丈夫かなと見ていたら何かにつまずいた。でも、近くの庭木に掴まって転ばずにはすんだみたい。なのだけど、その場で座りこんでしまった。体重を木に預けたような姿勢で動かなくなっている。
彼のもとに行ってみたら寝ていた。
「ベリザリオ大丈夫?」
軽く頬を叩いてみたけれど彼は目を開けない。つねってみても無反応だった。
「よく粘ったようだが私の勝ちだな」
お父さんが笑う。笑うだけ笑ってそのまま寝落ちした。こちらも限界だったみたい。お父さんの方にはお母さんが行って溜め息をついている。
「こんなに飲んじゃってやぁねぇ。服にもワイン零してるし。それに外で寝ちゃって。2人とも外で寝たから引き分けね!」
目線の先にあるのは空になって転がっているワインボトルだ。何本飲んだんだろう? 満タンの物はほぼ無かったといっても結構な本数だ。あんなに不味いものをよくこれだけ飲めたものだと思う。
「ほら起きてください。せめてベッドまでは自分で行ってくださいな。あなた重いんですから」
お母さんがお父さんの顔を叩く。最後には水をかけて起こしていた。起こされたお父さんはフラフラと家に引っ込んでいく。
一仕事したお母さんは今度は私達の方に来て、ベリザリオを覗き込んだ。
「2階の客室を用意してあるから使ってもらえばいいんだけど、これは動けなさそうねぇ」
困ったようにお母さんがうーんと唸る。
「あなた、ちょっと戻ってきてくださいな。ベリザリオさんを部屋まで運んでから寝てください」
いなくなったばかりのお父さんを呼びに家に走って行った。すぐに不満顔のお父さんを連れて戻ってくる。
お父さん、文句は言いながらだけどベリザリオを運んでくれたし、家に泊めるのにも文句を言わなかった。
とてもぐだっているけれど、うまく和解できた……のかな?




