4話 偽りの宣言
不機嫌そうにディアーナが目の前の男子を見やる。
「何の用かしらヴェルナー。そこ、ベリザリオの席なんだけど?」
「あいつなら今出て行っただろう? しばらく帰ってこれないんだから、空いた席に俺が座っても問題無いはずだ」
ふてぶてしくヴェルナーが言った。
問題無いはずがない。
だって、ベリザリオの座っていた席は私のまん前なのだ。ストーカーが目の前に居座るだなんて地獄以外の何でもない。
彼の灰色の瞳はじっと私を見ている。絡みついてくる視線は冷たくてねちっこくて気持ち悪い。
おかげで私の食欲が一気に無くなる。
この場にいるのも嫌になって、私はカトラリーを置いた。
「ごめんディアーナ。なんかお腹一杯な気がするし先に帰るね」
「そう? じゃあ帰りましょう」
ディアーナもカトラリーを置いてくれる。一緒に帰ってくれるみたいだ。
ディアーナの方が後から食べ始めたから足りていないだろうに、なんかごめん。それでも1人だと不安だから、一緒に動いてくれると言ってもらえて嬉しい。
なるべくヴェルナーが視界に入らないように席を立った。なのに、私とディアーナの進路に彼は移動してきて、進む邪魔をしてくる。
「待てよアウローラ。折角の休日なんだから、食後くらいゆっくりしていけばいいだろう?」
そのうえ私の方に手を伸ばしてきた。その手をディアーナが弾く。ヴェルナーがディアーナを睨んだ。
「何すんだよ?」
「あなたこそ何のつもりよ? この子嫌がってるじゃない。近寄らないでくれる?」
「嫌がってなんていないさ。ちょっと恥ずかしがってるだけだ。それに、そうやって焦らして俺を誘ってるんだろう?」
気持ち悪い笑みを浮かべながらヴェルナーが寄ってくる。
私はディアーナの後ろに逃げた。
ディアーナは両手を広げて、彼が後ろに回り込めないようにしてくれている。
「寝言は寝てる時だけにしてくれない? それに、この子には手を出すなってベリザリオから釘を刺されてるんでしょう? 不在を見計らって近付いたのがバレたら、彼怒るわよ」
「はっ。たまたまあいつがいない時に来ただけだ。来いよアウローラ。楽しく食後の時間を過ごそうぜ」
ディアーナの向こうからヴェルナーはしつこく誘ってくる。ディアーナがどけと言っているけれど、あれは絶対聞こえていない。こんな状況がずっと続くなんて、考えただけでこちらがまいってしまいそうだ。
ごめん、ベリザリオ。
私は目を閉じてぎゅっと両手を合わせた。
覚悟をきめ、ディアーナの後ろからは出れないけど、顔だけ出して言ってやる。
「私はベリザリオのものなの。だからヴェルナーはお呼びじゃないの! どっか行ってよ!!」
食堂にいた他の生徒から「おぉ」と声が上がった。
言ってしまった。これで間違った噂が流れてしまう。私としては嬉しい噂だけど、なんかごめん。
ヴェルナーが無表情になって少し身を引いた。
「行くわよ」
ディアーナが私の手を引いて彼の前を通り過ぎて行く。後ろからヴェルナーの嫌味な声が聞こえてきた。
「ディアーナだけじゃなくてアウローラもベリザリオの女だなんてなぁ。さすが選帝侯のご子息は違うもんだ。エルメーテといい、何人も女囲えるんだからなー」
そんな言葉をネチネチ言ってくる。いつもだったら即座に言い返すディアーナが無言なのは、きっと、私を守ってくれるためだ。
こんなことに巻き込んでしまって本当にごめん。
色んな感情の混じった視線を一身に浴びながら私達は食堂を後にした。
女子寮へ向かいながら、ディアーナが機嫌悪そうに爪を噛んだ。
「あいつしつこいって聞いてたけど、噂以上ね。なんか危なそうだし、寮主さんにあいつ絶対通さないでって言っておきましょう」
「うん」
私は小さくうなずく。
あの状態から逃げられたのは良かったけれど、なんか複雑な気分だ。何より、今度ベリザリオと会った時にどんな顔をしたらいいのか分からない。
「ベリザリオに迷惑かけちゃったよね? どうしよう」
「いいのよそんなのほっとけば。男からしてみれば、あなたが彼女だと思われるなんてむしろラッキーくらいなものでしょうし」
「でも今のままだと、ディアーナが捨てられたか、ベリザリオがディアーナと私で二股って噂になっちゃうよ? ディアーナにも迷惑かかっちゃうよ?」
そうなのだ。
逃げたい一心でベリザリオの助け舟に乗ったのだけれど、被害が彼だけに留まらない。ただでさえ、ベリザリオにはディアーナと付き合っているとかいう間違った噂が流れているのに、これでまた訳の分からない噂にグレードアップ(?)するだろう。
なのに、当のディアーナはケロッとしている。
「そんなのどうでもいいわ。私もベリザリオも分かってて放置してるんだし。否定したところで誰も納得しないんだから、言いたい人には言わせておけばいいのよ」
「でも、そういう噂が独り歩きして大きくなり過ぎたら、お家から叱られるんじゃない?」
エルメーテみたいに。最後の一言は小声で言った。
ベリザリオとディアーナとエルメーテが、選帝侯という特殊な家出身なのが、私の悩みを少しだけ深くしてくれている。
28世紀現在。ヨーロッパは教皇庁の下に統一されて、教皇を頂点とする聖府が統治している。そのシステムの中では色々な制限があって、教皇になる権利を持っているのは選帝侯出身の者だけというのもその1つだ。
貴族制はなくなったから旧王家なんかは平民と同じ位置付けなのだけど、代わりに選帝侯がその地位にいる。同じ学校の生徒だからこんなに気安く喋っているけれど、普通だったら一生言葉も交わすことなく終わるような人達だ。
そういう人達だからか3人は強い。
「私とベリザリオに限ってそれはないわよ。悪い友達とつるんでるから影響されるんだ、エルメーテと縁を切れ! くらいは言われるかもしれないけど。アウローラが心配するような問題じゃないわ」
こんな問題でも、どうということ無さそうにバッサリだ。逆に、私は申し訳なさで一杯になる。そんな私と繋いだままの手をディアーナがぎゅっと握った。
「ほら、そんな顔しないでアウローラ。私達友達でしょ? 友達が困ってるんだから、助けるのが普通じゃない? だから、気にしない気にしない」
わざとだろうけど、いつもより陽気にディアーナが言う。
「それにしても。本気でヴェルナーの奴ベリザリオがどうにかしてくれないかしら。彼キモいからあんまり関わりたくないし、あなたどこか抜けてるから目を離していると心配だし」
そのすぐ後でボソリとつぶやいていた。
その意見には私も大賛成。
でも、当事者の私が何もしないで守られているだけでいいのかな。私じゃベリザリオやディアーナみたいに色々はできないけど、何か出来ることがあればいいのだけど。