39話 意地の張り合いのゆくえ
授業が終わって一目散に家に帰ると、まだベリザリオは立っていた。通行人にやたら話しかけられながら。
お喋りの邪魔をしたら悪いから、人の切れ間を見計らって私は彼の横に並ぶ。
私の方を向いたベリザリオが優しい笑みをくれた。
「おかえり」
「ただいま。まだ頑張ってるんだ」
「アウローラのお父様も頑張ってるみたいだからねぇ」
ベリザリオがうちの方に一瞬視線を向ける。私もそちらを向いた。
朝と同じ部屋の同じ窓に薄っすらと人影が見える。ベリザリオ、あそこにいるのがお父さんだってどうして知っているんだろう?
「途中でアウローラのお母様が差し入れに来てくれて、そのとき教えてくれた。『あいつが帰るまで私も動かん』って言って窓辺で立ってるらしいよ。子供な主人でごめんなさいねって謝られた」
「お父さん、どこまで子供なの……」
「その喧嘩を買った私も大して変わらないけどね」
どこか楽しそうにベリザリオは苦笑する。そうして、手に持っていた袋を私の方に向けてきた。中にはお菓子や飲み物があふれる限界まで入っている。
「いる?」
「選んでいい?」
「いくらでも」
彼から袋を受け取って、中身をこぼさないように慎重に漁る。
入っている物の種類はぐちゃぐちゃで、ある意味カオスだ。あ、ベリザリオの嫌いなマシュマロもある。食べたくないだろうから、それを袋から選ぶ。
「マシュマロ嫌いだよって教えておいたのに、お母さんったら」
「ああ。その袋の中身はお母様がくれたものじゃない。お母様が差し入れてくれてから、道行く人達までちょこちょこ物をくれるようになって。どうにも、私達の騒動はご近所に知れ渡っているみたいだぞ。すれ違う人達からやたらと頑張れと言われる」
「そうなんだ? みんな人の話好きだもんね。ベリザリオとお父さん、どっちが先に折れるかで賭けまでしてそう」
「だな」
喋っている間にも笑顔のおじさんが袋にお菓子を入れていった。
こんな感じで増えていくんだ。ありがたいことだけど、量が量だし、ずっと持っていると手が疲れそう。片手は傘でふさがっているし。
だから私が預かったままでいる。
1時間くらいそうしていたのかな。
「もう家に入りなさい。夜は冷えるからね。アウローラに風邪を引かれると私が辛い。お父様も泣くだろう」
そう言われた。
私としてはベリザリオとずっといたいのだけど、彼の意見は正しい。もし私が風邪をひいたりした日には、お父さんがますます意固地になる可能性だってある。ここは引くしかない。
「あとであったかい物持ってくるね。ベリザリオも風邪気を付けて」
「そうするよ。ああ、それ、家に持って行ってそちらで片付けてもらえると助かる」
ベリザリオが私の持っている袋を指した。こちらはもう満タンになっていて、新たな差し入れはベリザリオの持っている袋に入れられている。袋は通りがけの人がくれた。
この量になると1人でどうこうは無理だろう。
「ベリザリオもてすぎ」
「アウローラが来てから貰える量が増えただけだよ」
少しだけじゃれて家に入った。
その日も決着がつかずに延長戦2日目。天気は雨。
朝、起きて外を見に行ったらベリザリオはもう来ていた。すぐにあったかいカフェオレを作って持っていく。出かける準備をしてカップの回収だけして大学に行った。
帰ってきてみると、今日ベリザリオの隣にいるのはお姉ちゃんの彼氏さん。大きな家の娘と付き合う一般家庭の男の苦悩とかなんとかそんな話をしていた。
ベリザリオって、本当は選帝侯だからうちよりずっと格上だし、今名乗っているヴィドーにしてもブルゴーニュの大きなおうちなんだよね。
だから、話題としてはおかしな気もするのだけど、彼氏さんは気付いていないみたい。ベリザリオが着ているファストファッションのせいなんだろうけど。
でも私、今のベリザリオ好きだな。なんだかのびのび感じるから。
周囲の人と垣根なく話している姿は楽しそうだし。彼氏さんも気さくに話してきている。歳が近いのもあって話しやすいんだろうね。微妙に彼氏同盟できかけてるし。
話題がお父さんの攻略法に移ってきた。
私がいると話しにくいよね? お邪魔したくなかったからその場を去った。
3日目。今日も雨。勝負はつかない。
4日目。朝は降っていた雨も昼過ぎには止んだ。大学から帰ってみると、雨でぐちょぐちょになった庭にお母さんが小さな机を出していた。お手伝いさんは2脚の椅子を持ってきている。
「何してるの?」
やっていることがわからず私は尋ねた。
「お父さんが今日で決着をつけるって言いだしてねぇ」
困ったような顔をお母さんがお父さんの部屋に向ける。
その困り顔が私には不思議だ。だって、決着をつけてくれるというのは良いことだと思うの。いらぬ心配もしないでよくなるし。何が不服なのだろう? 素直に考えるなら、決着をつける方法だろうか。
「何するの?」
「飲み比べらしいわよ。倒れなければいいけど」
「そうなんだ? お父さん強いの?」
「そこそこだと思うんだけど。ベリザリオさんは?」
「わかんない。いつもそんなに飲まないし。少なくとも私の前で酔っ払ったことは無いよ」
「それじゃあどうなるかわからないわね。まったく、もっと健康的な勝負をしてくれないものかしら」
ぶつぶつ言いながらお母さんは机をテーブルクロスでおおう。シルバーやグラスも置かれて、ちょっとした食事の用意みたいだ。ご飯を食べながら飲むのだろうか。この寒空の下で。
「外でなの?」
「庭とトイレだけは解放するらしいわよ。もう普通に仲良くすればいいのにねぇ。最初に意地悪するから引っ込みがつかなくなって。馬鹿よねぇ」
「私は仲良くするつもりなどない。これでキッチリあいつに諦めさせるだけだ」
準備を進めていたらお父さんが出てきた。「はいはい」と、お母さんは軽やかにスルー。
「お前、彼を呼んできなさい」
すっかり食事の用意が整ったらお父さんが言った。自分は椅子にどっかりと座る。寒いんだろうね。とっても厚着。なのに外でやるっていう意地はどこから出てくるのだろう。
「一緒に酒を飲もうってご自分で誘えばいいと思うんですけどねぇ」
ひと言チクリと刺してお母さんは門の外へ行く。すぐにベリザリオと一緒に戻ってきた。
今日もベリザリオは大量の差し入れを持っていたから、それと傘を私が預かる。
身軽になった彼はお父さんに笑顔で会釈した。
「ご招待どうも」
「勘違いされては困る。あくまで飲み比べだ。負けた場合、我が家の門をくぐることは金輪際許さん」
座りなさいとお父さんが手を動かす。ベリザリオが席についた。お母さんとお手伝いさんが男2人の前に皿を置く。
「まずはちゃんと食べてくださいね。二日酔いの看病はやりたくありませんから」
言われた2人は黙って目の前の皿を片付けだした。空になると次の皿が置かれる。ある程度の量が提供された後に、半分に切ったゆで卵がそれぞれの前に置かれた。
「これは?」
なんの手も加わってなさそうなゆで卵がぽつんと置かれたからだろう。ベリザリオの手が止まっている。どうやって食べればいいのかわからないといった感じだ。私もわからない。というか、何も考えずに切って食べそう。これをどうしろと。新手のイジメ?




