36話 仲直りのバルディーニ2
道の先にあった喫茶店に私達は入った。
この庭園は高台にあるから、テラス席からだとフィレンツェの街が一望できて綺麗なのだけど。こんな寒い日に外とか勘弁してください。
眺望を捨てて快適さを取った。室内は暖かいのでコートを脱ぐ。ベリザリオもコートとマフラーを外していた。
気のせいかな。服の質感がいつもと違うような。
ベリザリオは質の良いテイラードジャケットをサラッと着流している事が多かったのに、今日の服は大学の子達が着ているものと大差ない質感な気がする。
「なんか、いつもと服の感じ違うね?」
尋ねたら、彼は自分の服に一瞬視線を落とす。私に視線が戻ってきた時には苦笑していた。
「最近は古着屋やファストファッションの店でよく買ってるからね。似合わない?」
「ううん。ただ珍しいなと思って」
そう、珍しいだけだ。似合う似合わないだけで言えばとても似合っている。落ち着いた着こなしをしているから、値段より良い物に見えるくらいだし。
けれど、ベリザリオがわざわざそういう服ばかり買う理由がわからない。あるとすれば、アレだろうか。
「自分の給料だけでの生活、続けてるとか?」
「正解。やるならきちんとやりたいし。これくらいが今の私の身の丈には合っていていい」
喋っていたら注文しておいた珈琲とティラミスがきた。部屋は暖かいけれど、やっぱり珈琲の方が温まる。ひと口飲んだらホッと息が出た。
ベリザリオも珈琲を飲む。のんびりと話は続く。
「まぁ、あとは貯金のためかな。部屋を借りるには最初にいくらか必要みたいだし。いざという時のための蓄えも欲しいし。貯金が趣味になりかけている気がするのが困りものだが」
「ベリザリオが貯金って似合わないね」
うっかり笑いが出た。彼も笑う。
「私もこんな生活をする事になろうとは思っていなかったよ。でも中々に楽しくてな。たまに本気で家出したくなる」
最後の方は小さな声で彼はつぶやいた。今まで聞いたことのなかった部類の話だ。
あれだろうか。私が、ベリザリオの考えていることがわからないとぶっちゃけてしまったから、自己開示して歩み寄ろうとしてくれているのだろうか。
それに、聞き逃してしまいそうな小声で言われたから、逆に気になる。
「おうち出たいの?」
ベリザリオを見つめる。彼は目を伏せて私から視線を外した。首がゆっくりと横に振られる。
「そんなつもりは無いし、できないな。兄弟の中で家を継ぐのに一番適性があるのは私っぽいし。流れに逆らうつもりはないよ。ただ、家を背負うのは色々面倒だから、全てを捨てた身ひとつの生活には憧れる」
ベリザリオの視線が珈琲カップから上がってこない。そんな彼だったけれど、珈琲をひと口飲んだ後には笑顔になっていた。そうして言ってくる。
「この話は今はいいだろう。楽しくもないし。それよりアウローラは大学卒業できそう?」
「あー。うん。たぶん、今年で卒業できる……かな?」
私は慌てて答えた。本当はベリザリオが零した本音っぽいことの方が気になるのだけど、蒸し返せる中身ではない。それに、彼自身もあまり触れられたくはない内容だろう。話題の切り方がそんな感じだった。
だから、そういうことも考えているんですと、教えてくれただけで今はいい。
「それが?」
「卒論発表の日はもう決めた?」
質問に質問返しですか。まだ決めていなかった私はうーんと考えた。
卒論発表の日は大学ごとに年に数回あって、その中から学生が自由に選べる。製本した論文をその日に出して、教授陣から合格が貰えれば同日卒業だ。
今なら4月の卒論発表への参加申請もできるけれど、卒論のその字も書けていない。次に回すのが妥当だろう。
「7月かな」
「正式に決まったら教えてくれ。私達も観に行くから」
「達?」
よくわからなくて私は首をかしげた。
卒論発表に通れば式典も無く卒業だから、その日に卒業した生徒で集まって勝手にパーティを開く。大学卒業というのは社会的にもそれなりのステータスになるから、親類友人まで集まってきてお祝いするのが一般的だ。
ベリザリオが私の家族と来るという意味だろうか。そう言うには関係性が薄い気がする。では誰だろう?
口には出さなかったのだけれど、ベリザリオに私の疑問は伝わったようだ。
「ディアーナとエルメーテ。呼ばないとあいつらキレるだろうから。特にディアーナが。私はまだあいつに殺されたくない」
答えをくれた。というか、ディアーナにキレられると殺されるって、年長組の関係性はどうなっているんですか。主にエルメーテが悪行を重ね過ぎて、つるんでいるベリザリオの扱いまで酷くされていそうなんだけど。
「そ、そこできちんと卒論出せるように頑張るね」
プレッシャーのせいで私の笑顔が引きつった。
もし論文が間に合わないなんてことになったら、ベリザリオが私に心配をかけさせているからとか、貰い事故的な叱責がディアーナから飛んでくるのだろうか。それはちょっと申し訳ない。
7月でアウトだと、つぎ卒論発表できるのは年度明けだから留年になる。それも嫌だからやるしかない。頑張るぞと気合を入れたらベリザリオに笑われた。
「ああ、頑張ってくれ。それで、卒業できたら一緒に暮らしてみないか?」
「え?」
突然の提案に私はぽかんとした。今なんと? 一緒に暮らさないかと聞こえた気が。私の放心はよそにベリザリオの話は続いている。
「今回のことで痛感したんだが、私達は互いの表面しか知らない。共にいたいとは思うけれど結婚には踏み切れないのは、年齢だけでなくそれもあるんだろう。これからも共にいようと考えるなら、私達は互いを深く知るべきだ」
そこまで一気に言ってベリザリオは黙った。自分の唇に少しだけ指で触れてまた話しだす。
「無理にとは言わない。どう頑張ってもアウローラの生活レベルを下げさせてしまうことになるし。私が教会を出るだけでも、今より会いやすくはなるから。ただ、一緒にいてくれる方が――」
ベリザリオの言葉がまた止まった。話している途中なのに、らしくなく視線が斜め下を向いている。そこはかとなく照れが見えるのは気のせいだろうか。
途中で止めた言葉の先は何が言いたかったのだろう。
私はうーんと頭をひねって考えた。マナー悪く机にペタッとなって、ベリザリオの顔を覗き込んで言ってみる。
「私が一緒に暮らす方が嬉しい?」
「とても」
ベリザリオが照れたように笑った。ごまかすように珈琲カップが口元に持って行かれる。
なんだろう。少し素直になってくれただけなんだろうけど、ベリザリオが凄く可愛い。手が届く距離にいたら、ぎゅーっとして髪の毛わしゃわしゃしてほっぺたぐりぐりしたいくらい。絶対嫌がられる、というか、それを越えて怒られそうだけど。
やりたいことが出来ないので、
「ベリザリオ可愛いね」
にっこり笑っておちょくっておいた。珈琲を飲みかけていた彼が吹きだす。幸いカップ内で液が荒れる程度で済んだようだけれど、なんか危険な目で見られた。
あ、どうしよう。これは後で見てろよっていう目だ。S様で遊ぶと、後で倍返しされちゃったりするから危険だよね。やり過ぎた。あはは。はぁ。




