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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Firenze編 幸せの在り処
35/83

35話 仲直りのバルディーニ

 2日後にベリザリオから手紙が来た。


『今度の土曜に会ってもらえませんか?』


 それだけが書かれていた。彼にしては随分と弱気だ。でも、この1文を書くのにとても勇気が必要だったのだろうなと思う。私達の関係は、今、良好とはとても言えないから。

 彼の気持ちが少しでも楽になるように、翌日には『もちろん』と返しておいた。




 約束の土曜日。朝。

 私は完全に臨戦態勢だった。今日で何がなんでも仲直りしたいから、それはもう服選びや化粧も必死だ。キツさや不機嫌さが出る要素は徹底的に排除。


 髪は下ろして、横髪だけ後ろに持ってきて緩く留める。

 化粧はナチュラルに。

 服はふんわりとしたスカートにした。前向きに、優しい気持ちになれるように淡いピンクベージュをチョイス。それに白いセーターを合わせた。上から灰色のコートを着て、と。これなら反省している気持ちも表せるだろう。

 格好はこれで間違いないはずだ。


「ベリザリオ、ごめんね」


 鏡に向かって予行練習してみる。けれど笑顔がぎこちない。これは駄目かもしれない。


「も〜、どうしたらいいのよぉ」


 両手で顔を覆って天井を仰いだ。途中でチラリと見えた時計の針は、出かける時間をそろそろ指している。


「いいや。行こう。頑張れ私」


 色々諦めて息を吐く。なるようになれだ。それはそれとして遅刻だけはいけない。仲直りのプレゼントと鞄を持って家を出た。




 アルノ川の南にあるバルディーニ宮殿。そこがベリザリオの指定してきた場所だった。大きな庭園を(よう)している邸宅で、花の季節だと観光客が多いのだけれど、今は冬。実に閑散としている。

 そんな寂しい場所の、別荘風の建物前のベンチにベリザリオは座っていた。


 待ち合わせの時間にはまだ10分以上あるはずだけれど、いつから待っていたのだろう。両手をコートのポケットに入れ、首をマフラーにすぼめている姿は中々に寒そうだ。


「ベリザリオ」


 呼びかけると、それまで伏せられていた彼の目がゆっくりと開いた。私の方を向くとぎこちなく笑う。緊張しているのは彼も同じなのかもしれない。

 考えてみればそうだ。

 私達がこんな感じになったのは初めてだから、関係の修復方法を手探りしているのは同じなのだろうから。


「来てくれてありがとう。嬉しいよ。疲れてない?」

「ううん」

「それじゃあ少し動こうか」


 立ち上がったベリザリオが歩きだした。少し後ろに私も続く。

 会ったらまず謝ろうと思っていたのだけど、言いそびれてしまった。プレゼントも渡せていないままだ。

 前を行くベリザリオの横は空いている。手はポケットの中だけれど、腕は組める。いつもならそこに引っ付くのだけれど、今はちょっと行きにくい。寒いから、こういう時こそ引っ付きたいのだけれど。


 ベリザリオが木立の中の水路沿いを歩くから余計に寒い。元々少ない観光客だってこちらには来ていない。どうせなら日当たりのいい通路を行けばいいのに。


「ねぇベリザリオ。こっちじゃなくて花園の方を歩かない? 寒いし」


 私は指に息を吹きかけながら言う。

 ベリザリオが立ち止まった。そうして、どこかあらぬ方を見ながらぽつりと言う。


「確かに寒いな。なるべく人がいない所に行きたかっただけなんだが、私もここにいつまでもいるのは辛い」


 彼が私の方に身体を向ける。目が合った。と思ったら、私の顔の前に小さな花束が差し出されてきた。それを持つベリザリオは実に深く腰を折っている。頭も下げられている。花束の場所が最も高い。そんな姿勢で言ってくる。


「色々すまなかった。これからはきちんと相談をするようにする。他にも私はいたらぬ所だらけだろうから、言って貰えれば直すように努力はしよう。だからいなくならないで欲しい。これからも私の隣で笑っていてくれないか」


 突然言われたから私はぽかんだ。

 黄、橙、ピンクといった明るい花で作られた花束はとても可愛い。というか、仲直りのためにとる手段、私と同じなんだ。

 なんだかおかしくなって笑いが出た。そっと彼の手を包む。


「ごめんなさいは私も。これからは勝手に早合点しないできちんと聞くね。お願いもちゃんと言う。だから、横にいさせてください」


 彼の手から花束を抜いて、代わりにプレゼントを掴ませた。ベリザリオの顔だけが上がって驚いた表情をしている。


「用意、しておいてくれたんだ?」

「だってどうしたらいいのかわからなかったんだもの。友達に色々聞いてみたら、とりあえずこれかなって」

「同じか」

「ベリザリオも?」

「私は散々エルメーテの謝罪現場に付き合わされているからね。あいつの数ある謝罪バリエーションの中から、正解そうなものを選んだ」


 ベリザリオが苦笑する。お辞儀をやめてまっすぐになった。彼の手を包んでいた私の手を逆に包み返してくる。私をじっと見つめている瞳はとても優しい。そういう風に見られると、昔の私達に戻れたみたいで胸がほっこりする。


「仲直りのキスをしてもいいですか?」


 なのに、若干下手(したて)に心配そうに尋ねられたものだから、彼が可愛くなってしまった。いつもは、頼りになる格好良いという印象が先行する彼への想いだけれど、今はひたすらに愛おしい。

 答えを返す代わりに私はベリザリオに1歩寄った。少し背伸びして彼と唇を重ねる。ベリザリオが私の背に腕を回してきた。私は彼の首に腕を回す。


 暗くて寒い場所だから私達の他には誰もいない。人目を気にしなくていい場所でよかった。ベリザリオのことだから狙って選んだのだろうけど。用意の良い人だから。




 人が来ないのはいいのだけれど、人気が無いにはそれなりの理由があるもので。


「寒いな」

「寒いね」


 お互いに身体が震えだしてしまって私達は離れた。

 なんの不幸か今日はとても寒い。朝はキッチリ霜が降りていたし、場所によっては池の水も凍っていた。もうお昼前だから少しは暖かくなってきたけど、それでも10度もないのではなかろうか。

 なのに日陰の水際で動かないでいれば、冷えて当然だ。


「撤収!」


 一声言ったベリザリオが私の手を掴んで歩きだす。やや早歩きなのは仕方ない。早くここを抜けたい上に動きたいのだろう。歩幅の違いのせいで私にはちょっと大変だけど。ついていけるくらいだから、まぁ大丈夫。


 ……と思っていたのだけれど、日陰を抜けたあたりで疲れてきた。


「ベリザリオ、そろそろちょっとゆっくり歩いてくれない?」


 喋る時に少し息が上がってしまったのも仕方ない。でも、それで歩調が早過ぎたことにベリザリオが気付いたみたい。立ち止まって謝ってくる。


「すまない。ああ、駄目だな私は。どこか近くのベンチで休もうか」

「ううん。座り込んじゃうと寒いし。ゆっくり歩こう? それにね、早く歩くのも悪くなかったよ。いい運動になって、私、もう寒くないんだ」


 にっこり笑いかけて今度は私がベリザリオを引っ張って歩く。隣に来た彼が幸せそうにしてくれているから私も幸せだ。立ち止まると寒いけど。庭園なのに花も咲いていないけど。


「ベリザリオ、今日ダメダメだね。デート場所に花の咲いていない庭園選んじゃうし、早く歩き過ぎちゃうし」

「本当だな。まぁ、こんな日もあるだろうさ。アウローラとこうして歩けているから、今日はそれだけでいい」


 ベリザリオがしみじみと言う。私は手つなぎを止めて彼と腕を組んだ。

 意地悪言ってごめんね。私も気持ちは同じ。それにほら、今日が駄目だったから次の楽しみがある。


 私は組んでいない方の腕で上を指した。私達の歩いている道にはアーチ状の囲いがされている。それは道のずっと先まで続いていて終わりは見えない。今はツルみたいなものが絡んでいるだけだけれど。


「この道ね、春になったら藤が綺麗なの。その後はアジサイとか薔薇も」

「そうなんだ? ああ、これ藤棚か。これだけ大きいと見応えがありそうだな」

「そうなの。ね。だから、その頃にまた一緒に来よう?」

「そうだな。とても綺麗で楽しそうだ。私は花の咲いているこの庭を見たことが無いから」

「約束してくれる?」


 私はベリザリオを上目遣いに見た。にこりと笑った彼が穏やかに言う。


「ああ、約束だ」


 承諾がもらえて私のテンションが上がった。また会えるって約束が出来ただけだけど、私達は本当にもう大丈夫なんだって実感が湧いてきたから。気分としてはベリザリオをぶんぶん回しながらぐるぐる回りたいんだけど、それは出来ないから、彼の腕にぐりぐり頭を押し付けた。


 あれ? なんか私のベリザリオに甘える度が上がってる? 私がベリザリオに甘えて欲しかったような気がするんだけど。でも、彼がまんざらでもない顔をしているから、いっか。

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