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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Firenze編 幸せの在り処
34/83

34話 告解

「私からベリザリオに連絡はしないわ。自分達で頑張りなさい」

「うん、頑張るよ。ありがとうディアーナ。それに色々ごめんね」

「まったくよ」


 言葉と逆にディアーナは優しい笑みを浮かべて電車に乗り込んだ。それを見送った私は帰路につく。

 身体と心が軽い。久々にディアーナと会って、お互いに愚痴とかを言い合えたのが良かったのかもしれない。ディアーナもスッキリした顔をしていたし。私も少しは役に立てたのかな?


 ただ、お喋りに夢中になり過ぎてしまって、気付いたら夕方になってしまっていた。

 ディアーナ、本当は今日夜勤らしくて。慌てて帰らせてしまった。

 でも、たまにはこんな日があってもいい。

 今度は私がヴァチカンに行ってもいいかもしれない。喋りにきただけって言ったら呆れられるかもしれないけど。

 そんなことを考えながら歩いていたら小さな教会が見えた。


「懺悔……していこうかな」


 そう思って教会の方へ足を向ける。ここ最近のことを司祭様に告白することで、私の中でカタをつけられそうだったから。そうしたらスッキリ次のステップに進める。

 ここは普段行かない教会だから、知っている神父様に告白してしまう心配も無い。実にうってつけだ。


 礼拝堂には誰もいない。奥の懺悔室には司祭様側にだけ在席の明かりが点いていた。告白者側は無点灯だから誰も入っていない。


 ついてる。


 私は空いている部屋に入って鍵を閉めた。

 司祭様のいらっしゃる部屋との間にある小窓が開けられる。良かった。懺悔を聞いてくださるみたい。

 小窓の前の椅子に座った私はこうべを垂れて手を合わせた。


「父と子と聖霊の御名において。エイメン」


 私が言うと、同じセリフを司祭様が返してくれる。低くて落ち着いた声だ。って、あれ? 知っている声のような気が。


「神は回心を呼び掛けておられます。その声に心を開きましょう」


 司祭様が聖書を朗読する。

 この声、顔は見えないけれど間違いない。ベリザリオだ。

 どうしてここに? いや、前に、違う教会に行っている時もあるとちらっと言っていた。まさか、それに当たってしまったとか?


「神の慈しみを信頼し、あなたの罪を告白してください」


 そう言って彼は黙った。当たり前だ。この後は私が告白をする順番なのだから。

 でもどうしよう。知らない人にだから言える事なのに、知り合い、それも当事者に告白というのはちょっと無いと思う。

 それに、懺悔室の構造だと相手の顔が見えない。表情から彼がどう思っているのか読み取れないのは怖い。私なんかだと声に感情が漏れたりもするけど、ベリザリオのことだから完全に隠してくるだろう。


 すみません、やっぱりやめておきますと謝って帰ろうか。

 でも、それでも相手にこちらの声が知られる。次喋れば2度目だ。司祭様がベリザリオだと私がわかったように、彼も告白者が私だと完全に気付くだろう。


 どうするか悩んでいる間、静寂だけが小部屋に流れる。ベリザリオは促しも止めるかの問いもせず沈黙している。

 私みたいに、ここに来たはいいけど話し始めない人というのは多いのだろうか。今何分経ったのだろう。というか、これ、悩んで結論の出る問題なのだろうか。

 なんともわからなくて、祈りの姿勢を解いた私は頭を抱えた。


「日を改めますか?」


 選択が飛んできた。なんとなくの空気でこちらの葛藤まで見抜いたのだろうか。すごすぎるベリザリオ。

 少しの間私は悩んで、再度祈りの姿勢に戻った。


「私は罪を犯しました」


 腹をくくって口を開く。

 仲直りのためにはいつかはベリザリオと向き合わなければならない。こんな、やってしまった事を白状なんてしなくても良いのだろうけど、いっそ全部言ってしまった方が私はスッキリだ。

 それでどう思われるかだなんてもう知らない。

 怒るとか、説教するとか。そんなのはベリザリオの好きにすればいい。別れてくれと言われたら、全力ですがって拒否するけど。


「私には恋人がいます。とても素敵で愛しい人です」


 そう話し始めた。

 愛しい彼だけれど、たぶん忙しい人であり、同じフィレンツェにいるのにほとんど会えないこと。それに秘密が多い人であること。昔みたいに色々話してくれないから、何を考えていて、何をしているのかもよくわからないこと。


 連絡は主に手紙。だけれど彼からの手紙は来なくなるばかりで、来ても中身はスカスカ。

 そんな時に、彼と親友が私に隠れて会っているのを見てしまった。不貞だと思った。手紙の件も、気持ちが移ったからだと思った。


「でも、それは間違いでした。彼の気持ちはわかりません。ですが友達は潔白でした。彼女と話してみたら呆れられて、逆に説教をされてしまいました。その上で、彼女は私の色々な話を聞いてくれた。そんな彼女を疑った事を謝りたいのです」


 私はそこで言葉を切った。ベリザリオは何も言ってこない。空気も特に動かない。2人してしばらく黙っていると、


「告白したいことは以上ですか?」


 フラットな声で彼が尋ねてきた。セリフは実に事務的で感情が欠片も見えない。ある意味予想はしていたけれど。

 首を小さく横に振った私は告白を続ける。


「いいえ。彼を疑ってしまった事もです。彼と友の密会を見た日、彼は何かを悩んでいるようでした。本来なら、余計な雑念に惑わされず、私は彼に寄り添うべきだったのでしょう。ですが彼は私に話してくれない。私を頼ってくれない。その点が非常に不満で、心配で、わだかまりになっています」


 ベリザリオがもう少しでも私に何かを教えてくれていれば――この勘違いは起こらなかった。けれど、私だって自分から彼に聞きに行かなかった。その点において私達は同罪だ。


「すみません。上手く言葉がまとまらなくて。なんかぐちゃぐちゃになってきてますよね」

「問題ありませんよ。私の方で意味は取れていますので」


 穏やかに司祭様は言ってくる。あまりに穏やか過ぎて、この人はベリザリオではないのではと思ってしまうほどだ。

 それならそれでいいかなと、私は肩の力を抜いた。


「これが私の罪です。どうか許しをお与えください」

「確かに聞き届けました。それでは神に許しを願う祈りを捧げましょう」


 読み上げる祈りの種類が司祭様から指定される。私は手元に置かれている紙から目的の祈りを探した。それを読み上げる。

 壁の向こうの司祭様から感情の揺れは一切感じられない。やはりベリザリオではないのだろう。また勘違いかと思うと、嬉しかったような残念だったような。

 もうすぐ祈りの朗読が終わる。あとは司祭様から一言あっておしまいだ。


「これは私の知り合いの話なのですが」


 と思っていたのだけれど、予想していた言葉と違う言葉がかけられてきた。


「彼には恋人がいたそうです。学生の頃から付き合っていて、出来れば生涯添い遂げたいと思っている人が。ですが、彼がこれから歩むつもりの道は非常に黒い。そのことに気付いてしまった。そんな道に無垢な彼女を巻き込んでよいのかと思うと、それまでのように近寄れなくなったそうです」


 あれ? ちょっと待って。

 これって、知り合いの話のふりして自分の事を話しているパターンなんじゃないの? 声はやはりベリザリオに聞こえる。となると、この知り合いさんはベリザリオのことか。

 気になるけれど聞けない。その間にも司祭様の話は続く。


「あわせて、年齢が上がってきたことで結婚の話も出てくる。1度結婚してしまえば離婚は困難だ。彼女のこれからも考えれば、別れるなら早い方がいい。なのに、彼女を手放す決心はつかない。それでも結婚の話題がこれからも出てくる事は目に見えている。彼はそれを嫌って、彼女と会わない、問題を先送りする道を選んだそうですよ。愚かなことに」


 話が切れた。

 ただ、今の話をしてくれていた司祭様からは嘲りみたいな感じがした。

 彼、やはりベリザリオなのではなかろうか。それで、自分で自分を嘲った気がしてならない。

 それを確認したいのに、小窓からは向こうが全く見えない。格子邪魔。むしろこの壁邪魔。


 だからってどうしようもない。前のめりになっていた身体を私は元に戻した。そうして尋ねる。


「その彼は、今でも彼女が好きなのでしょうか?」

「だと思いますよ。ですが、彼女との間には随分とあつれきが生じているようです。どうやって解消するつもりなんでしょうね?」

「神父様だったらどうなさるんです?」

「さぁ。私にはわかりません。私も彼と同じ愚か者なので」


 司祭様がまた黙った。声に元気が無かった。きっと1人で落ち込んでいるのだろう。お互いが見えないから、油断して声に感情が漏れているのだろうか。

 ねぇ、この壁の向こうであなたはどんな顔をしているの? 私と同じで、やってしまった、どうしよう。と、悩んでいるんじゃないの?

 それなら私は一緒に歩み寄りたい。立ち上がった私は仕切り壁に手を添えた。


「でしたら神父様。そのお知り合いにお伝えください。彼女はあなたと共にいれれば道が黒かろうとどうでもいい。そんなことより、考えが見えない方が怖い。本音でぶつかることを望んでいる、と」


 流れるわずかな沈黙。


「伝えておきましょう」


 そうして穏やかな声が返ってきた。それに満足した私は懺悔室を出る。あ、なんか、最後の作法のいくつかをしないで出てきたような。まぁいいか。

 私達はまた元の関係に戻れる。そんな感触を掴めたから。それはきっと、そう遠くはないだろう。

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