31話 保険
落ち着いたらとりあえずディアーナに手紙を書いた。取り留めのない話に、「最近フィレンツェに来たりした?」と、一言混ぜて。
しばらくして戻ってきた返事は「野暮用で行ったわよ」。
来た否定はしないらしい。
いっそ隠してくれれば良かったのに。そうすれば、勘違いだったんだと思い込めるから。いや、隠すなんて怪しいと、ますます疑念を抱くのだろうか。
返事を待っている間に試験は終えた。お情けで合格くらいの酷い成績だったけれど、受かってくれて良かった。最近は気力がわかなくて、再試験を受けても受かる気がしていなかったから。
「アウローラ元気ないじゃん? 遊びに行かね?」
気力が落ちるのに反比例して男の人からの誘いが増える。なのに、誘って欲しい人からの誘いが来ない。ベリザリオは仕事をしているからと思うと無理をさせたくなくて、自分から誘うのは気が引けるし。
そんな日々を過ごしていると鬱憤だけが溜まる。気晴らしで誘いに乗ってみることもあった。でもつまらなくて、途中で帰ること多々。
今日もそんな途中離脱をしてきて、だらだらと街を歩く。気付いたらベリザリオのいるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にいた。時刻は20時。一般開放の時間はとっくに過ぎているから門は閉じている。
それでもそこから離れたくなくて、大聖堂前の広場に置かれている椅子の1つに座った。肌寒いのもあって、少しでも温まるよう足を椅子に上げて両腕で抱え込む。息を吐いたら白かった。
夜中に駆け込んでくる人のために夜勤がいるとベリザリオは言っていた。正門は閉じていても、専用の出入り口がどこかにあるのだろう。駆け込んでくるのは、私みたいににっちもさっちもいかなくなった人間か。
大聖堂に入ってベリザリオに会わせてくださいと言えば取り次いでもらえるのだろうか。いや、駄目か。職場に押しかける女というのは普通にウザいだろう。好感度をさらに下げるだけだ。
どんなに面会を望んでも、私にできるのは、ベリザリオが出てきてくれる時を待つくらいしかない。
「私、都合の良い遊びの女にされちゃってたりして」
頭で考えるより先に言葉が出た。勝手に涙も流れている。泣いてもなんにもならないのに、何をしているんだろう私。
でも泣くと落ち着く。
心の中に溜め込んで壊れてしまうよりは、1人で泣いて吐き出した方がきっといい。
そもそも、私はなぜここに来ているのだろう。ベリザリオに会って何がしたいのかもわからないのに。自分で自分がわからないだなんて最悪だ。
「あの」
そうしていると声がかけられてきた。なるべく静かに泣いていたつもりだったけれど、うるさかったのだろうか。呼ばれた方に顔を上げると男の人が立っていた。穏やかな感じの、30歳前くらいに見える人だ。
「すみません。うるさかったですよね。気をつけます」
涙を拭えるだけは拭う。笑えているかわからなかったけれど、なるべく不快に思われない顔を作るように努力した。
「いいえ。泣きたい時は泣かれる方が良いと思いますよ。何かお悩みなのでは? 私はここの教会の神父なのですが、お話を聞くくらいならしてさしあげられます。ここでは寒いでしょうから中に入られますか?」
そう言った神父様はしゃがんで目線を私に合わせてくれる。優しくて、ベリザリオみたいで、彼を思い出してまた涙が出た。けれど泣いてばかりではいけないから、とりあえず首を横に振る。
「いいえ。お気遣いありがとうございます。もう帰りますから」
「そうですか」
神父様はそう言うと立ち上がって、すぐ横の椅子に静かに座る。それから動かないし何も言ってこない。私服だから、もうお仕事は終わりか休みの日だと思うのだけど。用があって外に出てきていたんじゃないのかな。
「御用があるんじゃないんですか?」
「あなたがお帰りになられたのを見送ってからでも問題ありませんから。こんな時間にお嬢さんを1人残して行って、あの子大丈夫かなと心配するよりもずっと良い」
そう言って神父様は動かない。これは、私が動くまでこの人も動かないつもりだろうか。なんだか申し訳ないので私は立ち上がった。
「お付き合いいただいて有難うございました。落ち着いたらから帰りますね」
今度は普通に笑えたと思う。意識がベリザリオからそれただけで笑えるんだから、私って単純。でも良かった。ベリザリオを意識の隅に追いやれて。あのままだと私、動けなくなってしまいそうだったから。
迷惑にも親切に声をかけてきてくれた神父様に感謝だ。ぺこりと頭を下げて帰路につく。
その少し後ろを神父様もついてきた。
行きたい方向がこちらだったのだろうか。
「神父様、こちらに用がおありだったんですか?」
「そろそろ物騒な時間ですからね。交通機関を使われるようでしたら乗り場まで。もしくはご自宅の近くまで」
送ってくれるのかな。微妙に距離を置いて歩いてくれているあたり、さすが神父様。紳士。ベリザリオもこんなことするのかな? って駄目。彼のことは考えない。
「それじゃあバス停まで」
「はい」
その後は特に何も話さずに歩く。だったんだけど、途中で少し気になったことを尋ねた。
「神父様って、告解で聞いたことを絶対に他人に話さないって本当ですか?」
「話しませんよ」
「罪に耐えきれなくなった犯罪者が告白に来ても?」
「ええ。自首を勧めはしますが」
神父様が苦笑した気配がした。そんな彼は少し前に出て私の横に並ぶ。
「私達司祭は基本裏方ですが、日にちと時間を指定していただければ表に出ていくことも出来ます」
その言葉に私は神父様を見つめた。
ベリザリオからそんな話聞いたこと無かった。研修司祭だとそこまで自由にはならないのかもしれないけれど。それでも話題に出すくらいはしてくれていても良かったはずだ。
私に顔を向けた神父様がにこりと笑った。
「教会に来れそうな時を先に仰っていただければ、その時間は聖堂にいるようにしましょう。話がしたくなった時に声をかけてくださっても結構ですよ」
「できるんですか? そんなこと」
「限度はありますが」
それで神父様は黙った。無理強いしてこないでくれるのがありがたい。それでいて、何でも受け入れてくれそうな気配を漂わせているから、
「あの、それじゃあ、水曜の16:30」
つい、甘えてしまった。あの事を話すつもりはないけれど、いつでも話して楽になれるという保険が欲しくて。
「水曜の16:30ですね。承りました」
静かに神父様がうなずいた。
「私はカンタールと申します」
そうして名乗ってきてくれる。私も慌てて返事した。
「あ。メディチです。よろしくお願いします」
「はい。あ、ちょうどバスが来ているようですが、あれですか?」
神父様が指した先にバスが見えた。表示されている路線は私の乗りたかったものだ。
「きゃあ、あれですあれ! すみません神父様、また水曜に!」
挨拶もそこそこに私は走りだした。頑張ったおかげでバスに滑り込める。席に座って外を見ると、神父様がにこやかに手を振っている。私も小さく手を振り返した。
久しぶりに胸がほっこりした気がした。




