3話 ノブレス・オブリージュ
校門をくぐる直前でベリザリオが手を放した。そうして、持っていた袋の中から自分のとディアーナの石鹸だけ取る。私には袋ごとくれた。
「袋いいの?」
「私とディアーナは1つだからね。でも、アウローラのは3つあるだろう? 何かに入れておかないと落としそうだし」
「現実問題、あなたよく物を掴みそこねてるし」
ベリザリオから石鹸を受け取りながらディアーナが笑う。こういうところ、2人は本当によく見ているし気がきく。さりげなくしてくれるからとてもスマートで、憧れる部分でもある。
「なるべく1人にはならないようにな」
そう言ってベリザリオは男子寮へと帰っていった。
私とディアーナは女子寮に戻る。
そのまま2人でだらだらと休日を堪能して、夕食の時間になったから食堂に行った。
ベリザリオは既に来ていて、隣の男子と何やら喋っていた。
土日の夜はビュッフェになるから、皿に好きなものを盛り付けてベリザリオ達のいる席に行く。こちらに気付いたらしいベリザリオと目が合ったら、彼から話しかけてきた。
「あれから何も無かった?」
「うん。ディアーナが一緒にいてくれたから」
ベリザリオの前に私は座る。
「アウローラ絶賛付きまとわれ中なんだって? なんなら俺の彼女の1人になってみるか? あいつも手出ししてこなくなるかもしれないぜ?」
そんな私に、さっきからベリザリオと喋っていた男子が茶目っ気たっぷりに言ってきた。ベリザリオとディアーナは渋面。私は「嫌だよ、7人目とか」と曖昧に笑っておいた。
ふざけたナンパをしてきた男子はエルメーテ。明るい茶髪に茶色い瞳をしているガタイのいい青年で、ベリザリオやディアーナと同い年の、とっても仲がいいお友達だ。
2人と同様に成績もいいのだけれど、女癖が悪すぎるというどうしようもない欠点がある。現在の彼女の数は6人だとか。
それなのに私にまで声をかけてくるだなんて、どういうつもりなのだろう。物申してやりたい。
けれど止めた。
エルメーテにとっては挨拶みたいなものなのかもと思ったから。何事も無かったように食事もお喋りも続いているし。
「可愛い奴が年頃になってくると大変だな。ディアーナはそんな騒動と無縁だったってのによ」
「悪かったわね。可愛くなくて」
エルメーテの前に座っていたディアーナが彼の頬を引っ張った。そのまま2人の言い合いが始まってしまう。
結構盛大な喧嘩なのだけれど、誰も止めない。いつもの事なのでベリザリオもスルーだ。
「馬鹿は放置に限る」
とまで言って、普通に食事を続けてしまう。私も食べ始めた。
いつまでも言い合いの終わらない2人を眺めながら思う。ディアーナ美人なのに、エルメーテ見る目がないなと。
ああ、でも。つい何週間か前に、エルメーテがディアーナもナンパして振られてお尻を蹴られていたと、ベリザリオが話していたような気がする。
気にしていないわけじゃないのかな? それとも、私に言ったみたいに挨拶みたいな感じだったのか。うーん、わからない。
そんな感じででもベリザリオが言ってきてくれたら、私なら喜んで食いつくんだけど。
そう思いながらベリザリオの方を見ていたら、ふとこちらを見たらしき彼と目があった。ベリザリオは眼鏡をかけているから視線の向きがわかりにくいけど、多分目があったと思う。
だって、どうかした? という感じで少し首を傾げたから。
私は慌てて首を横に振ってお皿の方を向いた。
不自然じゃなかったかな。少しだけ不安になる。
そんな事をしていると横が静かになった。無言でディアーナとエルメーテが食事を始める。
しばらくしたら先程までの喧嘩なんて嘘みたいに仲良く喋っているのだから、本当に仲が良いと思う。
横の2人の喧嘩がおさまってしまえば、食堂の雰囲気はとても穏やかでだらけたものだ。理由は、きっと、この後勉強しなくていいから。平日だと夕食後にも勉強時間があるのだけど、休日はそれもお休み。
いつもの反動か、みんなだらけにだらけている。
「エルメーテッ!!」
そんな空気を壊すような大声が聞こえたりしたものだから、声の出どころに視線が集中するのは仕方ない。
ベリザリオとディアーナは別段そちらを見なかったけれど、ひたすらに疲れた空気を放っている。2人して「またか」とつぶやいた。
名前を呼ばれたエルメーテは腰を浮かせている。
「お、親父」
「ほう。私をまだ父と呼べるとは、とんだ面の皮の厚さだな。我が家の中で間違いなくぶっちぎりだぞ」
「あそう? 俺って凄いねー。わー、最高」
そう言って席を立とうとするエルメーテ。
「何が、わー、最高だっ!! この恥さらしがっ!! お前には高貴なる者の義務の精神はないのか!!!」
特大の雷が落ちて、エルメーテだけじゃなくて、近くに座っていた私達の首まですくんだ。
「なんで私が来たのかはわかっているな?」
「えとー。あー。たぶん」
「食事はもういいだろう。お前の部屋に行こうか」
「いやお父様。食事はきちんと摂らないと成長期の俺は栄養不足になると申しますか」
「遊び回るのを止めれば必要カロリーは減るから問題なかろう」
エルメーテを睨んだエルメーテのお父さんが顎をしゃくる。席を立ちながらエルメーテが助けてって視線を投げてくるけれど、無理過ぎる。
ベリザリオとディアーナは目を閉じて十字を切っていた。
直訳すると、きっちり叱られて地獄を見てこい。だったかな? 主にエルメーテの素行の悪さが原因なのだけど、彼の起こす騒動に巻き込まれる率の高い2人の対応は辛辣だ。
「あー。ベリザリオ君。君にも一緒に来てもらおうか」
指名を受けたベリザリオが固まった。けれど、エルメーテみたいに口答えはしない。溜め息だけついて立ち上がっていた。
「どうせお前の交友関係の説教だろ。いい加減にしろ。一緒に説教されるこっちの身にもなれ」
「いいじゃん。俺とお前の仲だろ?」
小声で言い合いながら男子2人は食堂を出ていく。渦中の3人がいなくなったら、食堂にいた全員でなんとなく息を吐いた。
疲れたようにディアーナがサラダにフォークを刺す。
「また学校から家に苦情がいったのね。だからいい加減にしろって言ったのに。馬鹿すぎるわ」
「たまにベリザリオもお説教に巻き込まれて可哀想だよね」
「あの馬鹿のお目付役を言われてるのに、ろくに止めないんだから仕方ないわよね。まぁ、被害があの2人の間で収まっている間はどうでもいいわ」
「私まで説教に巻き込まれるようになったらあの馬鹿殺す、その前に去勢する」とかなんとか、ディアーナの愚痴が続く。
「去勢するならすぐにしてやった方がいいんじゃないか? 今の姿だとなぁ、俺らが尊守すべき高貴なる者の義務の精神から遠すぎるからなぁ。富裕層、有名人、権力者、高学歴者たるもの、社会の模範となるように振る舞うべきだろう?」
ベリザリオとエルメーテのいなくなった席に1人の男子生徒がやってきた。
直接見なかったけれど、ディアーナの気配が鋭くなったのは感じる。私は硬直するしかなかった。
だって、そこに来たのはあのストーカー男子だったから。