29話 間
ベリザリオと2人の生活を想像しだしたら楽しくて止まらない。けれど、今楽しんでいる場合じゃない。頭から漏れ出ている妄想を私は手で散らす。
「ベリザリオ家事できるの?」
そうしてちょっと探りをいれてみた。
「助祭研修の時からしてるからね。いっぱしの母親程度はできてると思うよ」
結果、帰ってきた返事がこれ。
家事を理由に転がり込むルートが消えた気がする。
どうしてそんなことまでお出来になられてしまうんですかベリザリオ様。よく見てみたら、シャツは綺麗にアイロンがかかってますね。ご自分でなさってますか? 私より上手なんですが。
軽く泣きたくなったけれど、とりあえず笑う。家に帰ったらアイロン練習しよう。でも今は話の続き。
「そうなんだ。それで、おうちの話に戻るんだけど、旧市街とお値段以外に希望は?」
「そうだな。旧市街の中でもデル・フィオーレ大聖堂からは離れすぎないでくれると有り難い。壁も薄すぎない方が好ましい。シェアでもいいけれど、完全に1人の方が良い。そういう物件を扱っている仲介業者が知りたい」
「ふーん。じゃあそれで、大学の子達とか、うちの人とかに聞いてみるね」
「よろしくお願いします」
ベリザリオがぺこりと頭を下げた。それで彼からの業務連絡は終わりなのか、私の話を聞いてくれる姿勢に戻る。なんとなく喋っていたら店員さんがソワソワしだした。
「そういえばここ9時までだったな」
腕時計を見たベリザリオがポツリと言った。
「出ようか」
そうして伝票を取る。私も立ち上がった。彼に手を伸ばす。
「私出すよ」
基本給が低いらしい研修中のベリザリオより、私の方が自由に使えるお金が多い気がする。選帝侯には遠く及ばないけれど、うちもそれなりの規模の銀行を経営しているから、そこそこお小遣いはもらえているのだ。
遊ぶお金不足でデートを削られると嫌なので、それなら私が出した方がいい。
けれどベリザリオは伝票を私から遠ざけ笑う。
「いい。これくらいは出させてくれ。しばらく贅沢はさせられなくなるけど」
ここで断るとやはり傷付くだろうか。マナー的にも、ホストに出させてあげないのは微妙だし。なので大人しく引いた。代わりに笑顔で彼の腕に引っ付く。
「うん。じゃあご馳走になるね」
「どういたしまして」
ベリザリオが満足そうに微笑んだ。会計を済ませて店を出る。
「この後行く所は? あるなら送るが」
ベリザリオが尋ねてきた。私は首をかしげる。だって、この後も一緒だと思っていたから。送るということは、これでお別れということではないのだろうか。
「ベリザリオは?」
「夜勤だからね。アウローラを送ったら帰るよ」
「そうなんだ。残念」
まさか仕事が伏兵だとは思っていなかった。けれど、そう言われてしまっては我儘を言えない。むしろ、短い空き時間を私に当ててくれてありがとうだ。感謝を込めて笑顔で答える。
「バス停までいい?」
「もちろん」
快諾してくれたベリザリオが歩きだそうとする。けれど1歩目が出なかった。「バス停どこ?」と笑っている。私が彼の腕を引いた。歩きながら喋る。
「司祭様って夜勤もあるんだ?」
「大きな教会だとあるな。夜でも駆け込んでくる人はいるから」
「ベリザリオは夜勤が多いの? それでお昼に教会にいることが少ないとか」
平日のことまでは知らないのだけど、日曜にミサに行ってもベリザリオはいないことが多い気がする。教会にはいても、他の仕事をしているというパターンもあるのだろうけど。
「そうでもない。けどまぁ、教会にはいないことも多いかな。教区の信徒の家を回ってたり、催し事に出てることもあるし。他の教会に行ってることもあるな」
「外でのお仕事も多いんだ」
「ぼちぼちに。気分転換になるから、教会にこもってるより好きだけどね」
弱い風が吹いた。ベリザリオが気持ちよさそうに目を細める。軽く周囲に視線を投げて、また前を向いた。そのまま話しかけてくる。
「なぁ。聞いても振り向かないで欲しいんだが」
「うん?」
「ちょっと後ろを、昼間教会でアウローラと一緒にいた女性がついてきている。微妙に隠れながら。心当たりは?」
心当たり――あり過ぎる。
なんなのあの人達。振り切ったと思ったのに隠れて覗いていただなんて。
私はベリザリオの腕を放して勢いよく振り返った。胸の前で腕を組んで仁王立ちする。
のんきに後ろをついてきていた2人組がビクッとした。おろおろ隠れ場所を探してももう遅い。
「お母さん、お姉ちゃん! ついてこないでって言ったじゃない!!」
「きゃー、アウローラが怒ったぁ」
楽しそうにきゃいきゃいしないでよ! ベリザリオはなんで笑ってるの。
「もう笑わないでよベリザリオ!!」
彼も叱る。ベリザリオは一瞬だけきょとんとして、すぐにまた笑いだして、今度は笑いをかみ殺そうとして失敗していた。
「うんうん、すまない。可愛いよ」
そうして私の頭をなでなでする。
なんか行動がつながってないんですけど? 頭を撫でれば私の怒りがおさまると思ったら大間違いなんだから。
大間違いなんだから。
……。
もういいや。この人達に勝てる気がしないし。
結局、流れでお母さんとお姉ちゃんも一緒に帰ることになった。
「ごめんなさいね。この子ってば彼がいるっぽいのに全然家に連れてこないから、紹介できないような酷い人なのかと心配になっちゃって」
ほほほと喋るお母さんはとてもご機嫌。私は不服。もうちょっとベリザリオと2人でいたかったのに。今さらどうしようもないから諦めるけど。
「私だって会えてなかったんだから無理だよ」
「ご挨拶にも伺えず申し訳ありません。ベリザリオ・ジョルジョ・ヴィドーと申します。お嬢さんとは良いお付き合いをさせて頂いております」
ベリザリオが外用の笑顔で挨拶を返す。こんな事にも動じないのだから彼は大物だ。私がベリザリオのご両親に突然遭遇とかしたら、絶対固まっちゃうもの。
そうそう。ベリザリオなんだけど、研修中はお母様方の姓を名乗ってるらしいの。研修生が選帝侯だと思うと受け入れ側がやり難いから、その処置なんだって。
なんにせよ、お母さんの彼への興味は尽きないようで、私を間に挟んで質問が止まらない。
「ベリザリオさん、デル・フィオーレ大聖堂の神父様なんですって? 新任とも伺ったんだけれど、いつからこちらに?」
「9月からですね」
「それなら別の教会に移動があるとしてもまだまだ先ね」
「2年はこちらに。その後は本庁ですね」
「あらそうなの? ああ、だからアウローラってばヴァチカンの支店に勤めたいって言ってたのね」
突然私に話が飛んできた。それはいいのだけど、お母さん、それ、ベリザリオにはまだ言っていない話。ほら、彼、きょとんとしちゃってるじゃない。
「そうなんだ?」
聞いてきたベリザリオは嬉しそうにしていた。喜んでもらえたのはいいのだけど、私としてはちょっと残念でもある。ヴァチカンに着任した時に驚かせようと思っていたから。将来の楽しみが1つ減っちゃった。
「ところでベリザリオさん、結婚も考えてるのかしら?」
お母さんが唐突にそんな事を言いだした。また私より早く話題にしちゃう系ですか!? でもその答えは私も気になる。
女3人でじっと見ていると、ベリザリオの視線が一瞬あらぬ方を向いた気がする。
「ええ。いつかは、と」
穏やかに答えは返ってきた。けれど、微妙な間があったような。大きな問題だからちょっと考えただけ、だよね?




