21話 ヴァチカン
* * * *
6月。
ベリザリオ、ディアーナ、エルメーテはル・ロゼを卒業していった。
彼らが次に通う大学はヴァチカンで、ロールとは遠い。ベリザリオとはほとんど会えなくなった。それでも彼はまめに手紙をくれる。
それで寂しさを紛らわせている間に3年が経ち、私も卒業した。9月からは地元フィレンツェの大学への進学も決まっている。けれど、その前にやることがある。
「ヴァチカンに旅行!」
そしてベリザリオと会う!
連絡無しで行ってベリザリオを驚かすというのはどうだろう? いやいや、冷静になれ私。私はヴァチカンに行ったことが無い。そして今回は1人旅だ。上手く立ち回れる気がしない。
彼の都合がつかずに会えないで終わるのが関の山だろう。
……。
とりあえずベリザリオに手紙を書いた。
フィレンツェから電車に揺られて南下すること2時間と少し。目的の地に私は降り立った。
旧イタリア領ヴァチカン。教皇庁の座する政治の中心地だ。
ヨーロッパには20世紀に景観・文化財保護法が導入されているから、当時から景観はあまり変わっていない。それ以前からも古い景観はなるべく残そうとされてきていたらしくて、それも相まって古い街は本当に古い。ヴァチカンなんてその最たる場所だ。
ああ、でも、ヴァチカンは変化があった街なんだったっけ。
見た目が変わったのではなくて、ヴァチカンと呼ばれる地域は歴史の中で大幅に拡大したって、授業で習った気がする。ヴァチカンの1地区のローマなんかも、昔は別の街だったらしいし。
テルミニ駅を出たらホテルに向かう。まずは荷物を置かないと邪魔だから。
といっても、荷物はそう多くない。ベリザリオの時間が1日しか都合がつかなかったから、私の滞在予定も2泊だけ。彼に会いたいだけだから、会えないなら滞在する意味がないし。
そんなわけで少な目な荷物なのだけど、着替えの服とかがやっぱり邪魔。それに、拠点みたいなものも欲しい。だからまずはホテル。
便利な場所に泊まりたいと私が言ったら、ベリザリオがいくつかホテルの候補をくれた。その中から選んだホテルは駅に近くて綺麗でいい感じ。チェックインしてクローゼットに荷物を入れたらベッドに飛び込んだ。
広いベッドはふかふかで気持ち良い。電車移動で少し疲れたし、夜に早々に眠くならないように昼寝することにした。
夕方に起きてシャワーを浴びる。化粧をし直して服が乱れていないかチェックした。ベリザリオのくれたネックレスが胸元でいい感じにおさまっている。満足してホテルを出た。
彼がいるらしい教会に向かう。本当は夜に待ち合わせしているのだけど、驚かすために。
ベリザリオ達3人なのだけど、大学入学して2年で、卒業のための単位のほとんどを取り終えたらしい。そんな彼らが次にとった暴挙が、家のコネと高過ぎる能力の活用だ。
まず、教皇庁の採用試験を受けて、卒業後に採用してもらう内定を貰ったらしい。その上で、本来入庁後にやるはずの教会での研修を前倒しでできるように融通してもらう。
これで、学生と教会での研修生という二足のわらじ生活を送る手配は完璧だ。
大学の単位は試験にさえ通れば授業に出なくても貰える。
けれど、そんな簡単に通らないのは、大学に入っても卒業できる人が5割を切る現実を見れば一目瞭然だ。
まだ最難関の卒論が残っているのにそんな生活を始めるのだから、ちょっと頭おかしい。規格外にも程がある。
「きちんと大学卒業してから入庁した方が楽なんじゃない? それでも1年早く卒業なんだし」
と、一般的な意見も言ってみたのだけど、あえなく却下。彼ら3人には二足のわらじ生活の方が都合がいいからって。細かい理由までは教えてもらえなかったけど。
昔から近くで奇行を見慣れているせいで、「それなら仕方ないね。頑張って」と背を押した私もどうなのかと思わないでもない。
「サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会。モーゼの噴水の前って言ってたし、これかな?」
うっかり見落としかけたこじんまりとした建物。その入口扉を私はくぐった。そして、内部を一目見て驚く。外と違ってすごく豪華だったから。
柱や壁は装飾でビッシリだし、天井も一面フレスコ画で埋められている。壁や天井からぽこぽこ出てきている大理石の天使は少し可愛い。
そんな聖堂にベリザリオはいた。長椅子が並んでいる場所でしゃがんでいる。彼の前の席に座っているご婦人。お祈りに来た人かな。そんな彼女と笑顔で喋っている。
話を終えたらしきベリザリオが立ち上がった。スタイルのいい彼が着ると司祭服もスタイリッシュに見えるから不思議。やっぱりベリザリオは格好いい。
そんなことを思って見ていたら、他の人に彼が捕まった。今度も女の人だ。しかも美人。ちょっとムカっ。ああ、ここ教会だった。こんな嫉妬なんて抱いちゃいけない。私はぶんぶんと頭を振る。
そんなことをしていたらベリザリオがこちらを見た。たぶん、最初は私だと気付かなかったのだと思う。それがちょっと驚いた表情を浮かべて、その後は大好きな優しい顔になる。
「こんにちはお嬢さん。こちらの教会は初めてですか?」
私の近くに来た彼が言った。私は「はい」と答える。
「一般開放は18時までです。残り30分ほどしかありませんが、どうぞごゆっくりお過ごしください。何かあればお声をかけてくださいね」
そう言って彼は離れていった。
なんというか、すごく事務的。仕事中だから仕方ないのかもしれないけど。私達の他にも人いるし。
少ししょんぼりしたのだけど、せっかくだから教会の中を見て回った。
こじんまりとした空間はどこもかしこも美術品であふれていて、芸術を濃縮しましたという感じがする。彫像はどれも表情豊かで、服の皺なんかも細かくて、見ていて引き込まれるものが多い。
特に祭壇の左にある天使と女の人の像。彼女の恍惚の表情とかなんか凄い。
「その彫刻が気になりますか?」
突然耳元で声がして、私は思わず小さな声を上げて驚いた。斜め後ろではベリザリオがくすくす笑っている。
他人のふりをするのなら、そこは、人を驚かせてしまったことに慌てる場所ではないのだろうか。他人行儀な挨拶をされたのに今度はからかわれて、私はちょっとふくれた。
「気になります。どんな品か神父様が説明なさってくださるんですか?」
「今から説明だと時間が少し厳しいですね。そうだ、こちらへ」
ひょうひょうとベリザリオは歩きだす。祭壇右翼にある小さな扉の中に入った。そこは売店のような場所で、ポストカードや本、ちょっとしたお菓子などが置いている。
彼はその中から1冊の本と飴の包みをとると、店番らしき男性に話しかけた。
「司祭様、これ、後ほど私が払うので、ツケにしていただいても?」
「構いませんよ。そちらのお嬢さんにプレゼントですか?」
「ええ。学校の後輩なのですが、わざわざ訪ねてきてくれたお礼に」
絶妙な言葉と笑顔をベリザリオは目の前の人物に返す。そうしてその2つを私にくれた。
この本何? さっきの像の解説書? 飴までくれたのはなんでだろう? お腹がすいているように見えたのかな? それとも小さい子供にお菓子をあげるのと同じ感覚?
考えれば考えるほどにわからない。
「教会の一般開放は18時までだが、それから時課の祈祷がある。19時には出れると思うから、広場向かいの喫茶店にでも入っていてくれ」
小部屋から出ながらベリザリオが小声で言った。その後は何事も無かったように祭壇脇に行く。業務に戻ったのだろう。
私は教会から出た。あそこにいても邪魔にしかならなさそうだったから。
周囲を見回してみると、教会前の広場の向こうに喫茶店らしきものが見える。ベリザリオの言っていた場所はあそこだろう。
珈琲でも飲みながら買ってもらった本を読めば、程よく時間を潰せそうな気がする。少しお腹がすいているけれど、ベリザリオと合流したらご飯だから、重いお茶受けは食べられない。飴を舐めるくらいがちょうどいいのかな。
あ、このための飴か。




