17話 大切なものの順位
結論から言えば、ベリザリオは自力で下山してきた。
19時を少し過ぎたくらいの時間にお気楽にロッジに入ってきたのだ。私達3人を確認したらしき彼の最初のセリフが、
「良かった、アウローラは帰ってきてるな。というか、お前達まだ残ってたのか?」
だったものだから、誰だって怒る。
エルメーテからはひたすらに罵詈雑言があふれ、ディアーナからは平手打ちが飛ぶ。私は「馬鹿ぁ」と言いながらベリザリオに飛びついた。
そうしたら、ベリザリオが後ろにとっとっとと片足飛びになって、最後は倒れた。
そんなに勢い良かっただろうか。
私が首をかしげていたら、苦笑した彼は私の頭に手を伸ばして髪を撫でてきた。
「滑り過ぎでもう余力ゼロ。このまま寝たい。アウローラ添い寝してくれる?」
こんな状態でもベリザリオの発言はお気楽なままだ。
「俺、警備隊にこいつ帰ってきたって言ってくるわ」
疲れた様子でエルメーテは奥に行き、
「なんていう労力の無駄」
ディアーナはぐったりと机に突っ伏した。
ベリザリオは相変わらずゴロゴロしたまま。
私は彼の上からどく。途中で、彼のポケットがゴソゴソしているのに気付いた。
なんだろうと見ていると、ポケットから小動物が顔を出す。私と目が合った途端にその子はポケットの中に戻った。
小さな何かのゴソゴソした場所を私は凝視する。
「べッ、こっ、何か!」
「ああ、そういえばこいつがいるのを忘れてたな」
億劫そうにベリザリオがポケットに手を入れる。そうして、さっき見たばかりの小動物を出してきた。ベリザリオの指の隙間から顔だけ出してキョロキョロしている可愛い子だ。
「アウローラがコースからそれて森にでも行ってるんじゃないかと探していたら、こいつを見つけてな。冬眠からうっかり早く起きたマヌケだと思うんだが、そのままだと冬を越せないだろうし、見せたらアウローラが喜びそうだから捕まえてきた」
「なんでその程度でこの時間なのよ」
「捕まえたと思ったら足場の雪が崩れてなー。帰り道がわからなくなったんだ。暗くなってから灯りを頼りに動いたらこの時間」
発言に、ディアーナだけでなく、奥から戻ってきている途中のエルメーテまで溜め息をついた。
私には小さなその子が渡される。なんていったかな。マーモットとかいうげっ歯類の子だったはず。
私がその子と遊んでいる横で、エルメーテは疲れた声を投げかけている。
「結局はあれか、お前がアウローラにいい格好しようとしたのが全てだろ?」
「間違ってはいない」
「お前の行動原理アウローラに偏りすぎじゃね?」
「そうか? でもな、私の中の価値として」
ベリザリオが立ち上がった。それから片手を上げて、手先をちょっと動かす。
「アウローラがここ」
腕が少し降りて、今度は顔の辺りで動く。
「ディアーナ」
そのちょっと下の肩あたりで、
「遊びと勉強」
最後は靴でトントンと床を叩いた。
「エルメーテ。という感じになっている。そこまで大きな偏りは無い」
「俺の扱いが雑過ぎるだろ! 地位向上を要求する!」
「埋もれてないだけ十分だろ」
「せめて1センチ浮かせろ」
やいのやいのといつものじゃれ合いが始まる。それはディアーナが帰ろうと言っても続いた。帰り道では全員を巻き込んでの愚痴大会になるし。
ひとしきり騒いで、酷い目に合った1日だったということで全員の意見の一致をみせた。
でも楽しかったよね。
あれだけ滑れば私のスノーボード技能も上がっただろうし、ベリザリオが私をどれだけ大切にしてくれているかも知れた。
なんとなくは感じるけど、言葉にしないとわからない事ってあると思うし。
* * * *
次の日の夕食後。
図書室で私は教科書を広げていた。キャンパスが移動して時間割が変則的になっているからといって、勉強しなくていいというわけではない。テストはテストでやってくる。
ベリザリオ達と一緒にいて叩かれる陰口を減らすためにも、勉強の成績だけでも保つのは必須だ。一応今は学年のトップクラスに在籍できている。周囲が私を認めるラインとして、これが最低ラインだろう。
もちろんベリザリオ達は何も言わない。私がさらにポンコツになったって笑い飛ばすくらいで終わりだろう。
けれど、気持ちの問題なのだ。
私にだって意地がある。だから、最低限の資格くらいは保持していたい。
大切と思われる部分をノートに書き取っていると影が落ちた。ベリザリオかなと思って顔を上げると違う男子がいる。彼はじっとこちらを見ているから、私に用がありそうだ。
「エアハルト、だったよね? 何か用?」
彼の名前がなかなか出てこなくて疑問形になってしまった。
でも、それも仕方ないと思うの。普段の接点が薄すぎるから。
ル・ロゼの生徒は全員合わせても精々が400人。だから、名前も歳もほぼほぼ覚える。
けれど、例外というのは出てしまうものだ。その貴重な1人が彼である。
エアハルト・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。黒髪に眼鏡の、1つ年上の男子だ。というか、それだけの情報しか持っていない。
「ふさわしくない」
そんな彼にそれだけ言われたものだから、何のことやらさっぱりだった。私が頭の上にはてなマークを浮かべていると、彼はさらに言葉を投げてくる。
「ベリザリオ先輩にあんたは相応しくない。彼の事を考えるなら別れるべきだ」
真顔でそんな事を言われた。
たぶん、私の顔は強張ったと思う。
――ベリザリオと私は釣り合っていない。
それは自分でも思っている事だったから。
人間、図星を指されると短気になるもので。問題から目を背けたいだけなのかもしれないけど。
カチンときて、思考もせずに私は言い返していた。
「なんでそんなことエアハルトに言われなきゃなんないの――」
「あんたがいるとあの人は勉強しない。才能を殺す」
「? 勉強、してるよ? ベリザリオ」
何を言われているのかわからなかった。
私の知る限りベリザリオの勉強時間は落ちていない。成績も主席を維持している。それどころか成績が良すぎて、将来が有望だと、ディアーナやエルメーテも含めて稀代の三傑なんていう二つ名まで最近はついている。これ以上何があるのだろうか。
答えを求めてエアハルトを見てみたのだけれど、彼は答えをくれない。黙ってこちらを見ている。
そんな2人の間に別の人物が割り込んだ。
「浮気をするのは構わないが、できれば私にバレないようにして欲しいんだが?」
笑顔でベリザリオは私の横に座る。
「ああ、私は気にしないでいい。続けてくれ」
そんな言い方をするものだから、エアハルトが何も言わずにいなくなった。難癖からは逃れられたけれど、なんとなくもやもやする。
こういう時は名前が出てきた人に聞くべしだ。
「ベリザリオ、私と付き合いだしてから勉強してないの?」
「今も私は勉強しにきたんだが。どこからその言葉が出てきたんだ?」
げんなりとベリザリオは持ってきた教科書を指す。うん、いつもの通り、私にはチンプンカンプンな代物だ。
「エアハルトが言ってたから」
「エアハルトがねぇ」
シャープペンシルをカチカチさせながらベリザリオは教科書を開く。しばらくカチカチして芯を押し戻してまたカチカチする。そんな手遊びをしながら彼は言う。
「あいつと同じレベルで勉強しろと言われれば無理だな。あいつ四六時中勉強してるから。私には遊び時間が必要だ」
「エアハルト、そんなに勉強してるんだ?」
「よく図書室にいるだろう? 気付いてなかったのか?」
気付いていませんでした。なのでうなずく。
「まぁでも、頭は良いと思うよ。この前ノートを覗き見してみたら面白い理論を考えていた。粗はあるけれど才能ありそうだったな。うちの研究所に就職してくれれば面白そうなんだが」
それでエアハルトへの感想は終わりなのか、ベリザリオが静かになった。私も自分の勉強に戻る。
入学してちょっとした頃。飛び級しようと頑張ってみたことがあった。
ベリザリオ達と同じ学年になりたかったから。
でも認められなかった。この学校で得られる本当に大切なものは、将来大物になる人物との人脈だから。
みすみすその機会を減らす行為を学校は許さない。
そんな、飛び級したいと言い出した私にベリザリオが勉強を教えてくれたのが、私達が近付く1歩目だった。
休みの日に4人でダラダラしている時、彼は本を読んでいる事が多くて、それでも私が尋ねれば読書の手を休めて教えてくれていた。そんな優しさが心地よくて、気付いたら首ったけだった。
「アウローラ、だいぶ字が綺麗になったね。よく練習している」
ぽそっとベリザリオが言った。顔は自分のノートに向いている。いつの間にやら私のノートを覗き見したのだろうか。
昔、字が汚いから練習しなさいとも言われたのだ。まだまだだと思うのだけど、成長していると言われると嬉しい。
「先生が良いからね」
「私は教本をあげただけだよ。結果が出てきたのはアウローラの頑張りのたまものだ」
その上、この人は謙虚で、人を褒めるのが上手いのだ。だから、調子に乗った私はもっともっと頑張れる。