16話 波乱の出来レース
4人合流してから更に山を登って、随分と高い所まで来た。私は1度も来たことのないエリアだ。
「ねぇ。このレースにアウローラも参加って本気? この傾斜滑れる気がしないんだけど」
Tバーリフトから降りてすぐにディアーナが言った。
「あはは。最初さえ乗り切れればなんとかなる……と、思う」
むしろなってくれないと困る。一抹の不安を感じながら、私は視線を雪原に向けた。
上級者コースは滑る人がいなくて雪がとても綺麗。初級者コースと中級者コースもこの雪なら、もっと滑りやすいのにって思うくらい。
けれど。
傾斜が凶悪過ぎる。
何度くらいあるんだろう。30度くらいかな? コースの先が見えない場所があるから、そこはもっと急なのだと思う。
さすが別名ブラックコース。初心者は見ただけで心が折れるようになっている。
でも、心を折られている場合じゃない。頑張ってエルメーテとディアーナをひっつけないといけないから。
なんとも心配そうに見てくるベリザリオには笑顔を返しておいた。
エルメーテはスキー場のコース案内看板に指を立てている。
「んじゃ。コース102終点のロッジにトップで着いた奴が優勝な〜」
「わざわざこんな長いコースを選ばなくても良かったと思うんだけど?」
ディアーナが面倒くさそうに雪原に視線を向けた。
「長ければ、お前の体力が途中で切れてスピードが落ちる。俺に有利だ」
「姑息過ぎるんじゃない?」
「獅子は兎を捕えるにも全力を尽くすって言うだろ?」
「はいはい、そうね」
「よし、あとはやるのみだ! 全員並べ!! 文句無しの1発勝負な!」
エルメーテが大声で号令した。妨害役の私とベリザリオでディアーナを挟む。エルメーテは私の隣にいた。
「んじゃ行くぞー。よーい」
どんと言われる前に私は滑り出す。うっかりバランスを崩した風を装ってディアーナにしがみついた。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
「どんっ!!」
そんな(意図的)ハプニングなんて無視して男子2人は滑り出す。もちろんディアーナは止まったまま。
「ちょっとあなた達、スタートやり直しなさいよ!」
「1発勝負だって言っただろうが! 運の悪いお前が悪い!」
エルメーテの高らかな笑い声はあっという間に遠くに消えていった。
「あ、い、つ、ら〜」
ディアーナからは明らかによろしくないレベルの怒気が漏れ出ている。こそこそと私は彼女から離れた。ごめんエルメーテ、これ以上の妨害は無理。
「ご、ごめんね、ディアーナ。私もやり直し要求してみるから」
「いいわ。この状態から追いついて、あいつら完膚なきまでに潰すから」
そう言って彼女は滑って行った。潰すと宣言した対象が、あいつ「ら」になっていたから、間違いなくベリザリオも怒られる。関わりたくないと言っていた彼の意見が正解だったわけだ。
ごめんねと胸の中でベリザリオに謝って私は立ち上がった。ボードをコースと横にして斜めに降りる。
私ではこの斜面をまっすぐ下れない。けれど、スピードさえ落とせば滑れないほどでもない。
コース102は、降りないといけない標高だけでも1千メートルを超える長いコースだけれど、いつかは下りきれるだろう。スパルタな練習だと思えばそう大変でもない。
明日は筋肉痛になりそうだな〜と思いつつ、マイペースに進んだ。
何度も休みながらだったけれど、どうにか上級者コースを滑りきった。
ロッジの前にはディアーナとエルメーテがいる。エルメーテ、椅子みたいにディアーナのお尻に敷かれているのだけど、告白は上手くいったのだろうか。
「勝負の結果どうだったの?」
「バッチリ俺が1番」
エルメーテの笑顔にディアーナの肘鉄が落ちた。これは、よほど不服な負け方をしたに違いない。
エルメーテの顔を肘でぐりぐりしながらディアーナが私を見てくる。
「ねぇアウローラ。ゴール直前になって、ベリザリオがやたらと私の進路を遮ってくれたのよ。そのせいでスピードが落ちてこの馬鹿が1位になったんだけど、ベリザリオ、コレから変なお願いとかされてないわよね?」
「うん? どうだろう? わかんない」
笑顔を浮かべた私は目を細めた。ディアーナの視線を直視できなくて。
あらぬ方向を向けばプレッシャーは消えるけれど、目をそらした時点で私とベリザリオの運命も終わる。それは嫌だから、極力見ないように努めるという方向に私は逃げた。
寒いはずなのに背中に汗が滲んでいる気がする。運動して熱くなったのだろうか。
「まぁいいわ。余計なことをしたのがわかったら、この馬鹿に責任は取らせるから。つまらないことを聞いたわね」
ディアーナが視線を外してくれた。圧力がなくなって私は息を吐く。
そうして気付いた。ベリザリオがいないことに。周囲を見回してみても彼は見当たらない。
「ベリザリオは?」
「あー。お前が中々降りてこないから、途中で何かあったんじゃないかって見に行った」
「え? 逆走?」
「そりゃ無理。上からもう1度滑るんじゃねーかな」
「ええ!? もう1度!? それって大変だよね。迷惑かけちゃったな」
「あの人にとってはお茶の子さいさいでしょうから、何とも思ってないと思うわよ。それに、原因を作ったのはこの馬鹿だし」
ディアーナがエルメーテの頭をペシペシと叩く。最後にゲンコツを落として立ち上がった。私の方にくると優しく手を握ってくる。
「ベリザリオが降りてくるまでしばらく時間があるでしょうし、アウローラも疲れたでしょう? ロッジでちょっと休んでましょう。エルメーテはそこでベリザリオが来ないか見てるのよ」
「差別がヒドイ!」
「区別よ」
そう言ってディアーナは歩きだす。エルメーテは文句を垂れ流しているけれど、その場を動く気配は見られない。ベリザリオを待っていてくれるのだろう。
なんやかんや、責任は感じているのかもしれない。
と、思ってみたのだけど。
可愛い子が通った途端にエルメーテが跳ね起きて声をかけた。ぱっと見にはナンパに見える。
それに、私に見えている=ディアーナにも見えているわけで。
「殺人って、いくら積めば隠蔽してもらえるものかしら」
ディアーナ、怒ってもいいから私の手は握りつぶさないでね。
ディアーナとのお茶を終えてもベリザリオは帰ってこない。暇つぶしにエルメーテを雪だるまに埋めてみたりもしたのだけど、まだ駄目。その後は男子対女子で雪合戦を始めた。
けれど、陽が傾いてきてもベリザリオは現れない。
「山岳救助隊に連絡しましょう」
ディアーナが言った。エルメーテの反応は早い。「行ってくる」と言ってロッジへ走って行った。ディアーナは私の背に腕を回してくる。
「建物に入りましょう。ずっと外にいると風邪をひくわ」
ロッジの方に軽く押された。私の足は動かない。ディアーナの押す力に逆らってその場に留まって、首をふるふると振った。
「ベリザリオ大丈夫かな? バックグラウンドに落ちて怪我して動けなくなったりとかしてないかな」
想像しただけで怖い。
「私のせいだよね? 私が遅かったから、ベリザリオ、私を探しに動いちゃったんだから」
「あなたは悪くないわ。帰ってこないのは彼の問題よ。さ、移動しましょう。ほら泣かないで。あなたが泣いてたらベリザリオも困惑するわ」
ディアーナがスノーウェアの袖で私の目元を拭ってくれる。
あまり泣きたくはないのだけど、どうにも私の涙腺は弱い。もうちょっと頑張れ涙腺。泣いても何も解決しないのはわかっているのだから。
「私、何をしていればいいのかな?」
「まずは泣き止むことね。そしたら一緒に神様にでもお祈りしてましょう。早く帰ってこい馬鹿って。あなたの彼氏は何でもできるスーパーマンなんでしょう? ケロッと帰ってくるわよ」
冗談めかしてディアーナが私のおでこをついた。気遣ってくれているのがわかるから、私はこくんとうなずく。2人で歩きだした。
ねぇディアーナ。私を落ち着けるために、ベリザリオは何だってできるって言ってくれたのだろうけれど、彼にも出来ない事はいっぱいあるよ。ボロを出さないように努力しているだけで。
ディアーナもいつも一生懸命勉強しているよね。
だから私は心配なんだ。努力家なだけの普通の彼だから、いつかはどうしようもない事態に陥ることもあるんじゃないかって。