14話 少しずつ
ジュネーブが近くなってきたら名物の大噴水が見えた。
140メートルなんていう高さまで噴きあがる噴水がライトアップされていて、とても綺麗。けれど、風向きが悪かったのか、水が飛んできて濡れてしまった。
すぐに乾きそうだったから私はいいのだけど。
ベリザリオは眼鏡のレンズにしぶきが飛んでいて、少し困った感じで眼鏡をジャケットのポケットに入れていた。今拭いてもまた濡れてしまうだろうから、正しい判断だと思う。
フェリーを降りたらジュネーブ中央駅へ向かう。
「このままだと学校の夕食時間に間に合わないな。こっちで食べて行こう」
というベリザリオの指摘で、通りがけにあったお店に寄り道。
例によって、ベリザリオの物を少し貰って私のをおすそ分けした。腹八分までささっと食べたら街歩きを再開する。
大きな街の中心部だから建物しかない。だけど、途中で遊歩道みたいな公園があった。
「公園があるね」
「気になる?」
「どうせ歩くならあっちの方が好きかな。木がある場所って、空気が澄んでる感じしない?」
「それじゃあ公園を突っ切るか」
ベリザリオが公園の方に足を向けてくれる。わーいと私は喜んだ。
けれど、いざ近くまで行ってみた公園は、思ったより街灯が少なくて怖い。そんな事を考えていたのがベリザリオに伝わったのか、
「暗いな。やっぱり道を行こう」
あっさり公園案を却下された。そうして進路を変えようとする。そんな彼の服の裾を私は掴んだ。
「大丈夫だよ。このまま公園を行こう?」
「でも、知らない暗い場所は怖いんだろう? それに危ない」
「怖くないよ。私だってもう13歳だもん。いつまでも子供じゃないの」
本当は怖かったのだけど、ベリザリオに少しでも大人に見てもらいたくて強がった。彼の服から手を離して率先して公園に足を踏み入れる。でもやっぱり怖いから、早足になってしまうのは仕方ない。
「待てアウローラ。そんなに雑に歩くと絶対に転ぶ。視界が悪いんだから、もう少し慎重に」
後ろからついてきてくれるベリザリオから注意が飛んできた。
でも、転ぶってなんだろう。まるっきり子供扱いされている気がする。
それを認めたくなくて私は小走りになった。うん、これなら暗い場所をあまり見なくて済むし、公園も早めに抜け出せていい。
怖くない。怖くない。やっぱり怖いけど、怖くない!
と、感情を誤魔化すことに注力していたら。
前方にあった小さな茂みが見えていなかったらしく、見事に私は転んだ。急ぎ足で勢いがついていたせいで、そのままコロンと前に1回転。と、もう少し転がった。
ようやく落ち着いて、周囲を見回してみたら暗い。街灯の灯りは見えはするけれど遠い。暗いのが怖くて周囲をよく見ずに進んでいた私は、そもそもが道を逸れてしまっていたようだ。
「ふぇ」
自分の馬鹿さ加減が認識できたら泣きたくなった。涙が目に滲んでくる。
「転んで頭が冷えたか? なんでまたこんな時に限って意固地になったんだ」
ガサガサと茂みを抜けてベリザリオが私の横に来てくれた。しゃがんで「痛い所は?」と尋ねてきてくれる。
親切でありがたいことなんだけど、やっぱりどこまでも子供扱い。
このまま泣いてしまったら子供扱いされることから抜け出せない気がして、私は目元をごしごしとぬぐった。
「私、子供じゃないもん」
「そんなのを気にして私の言うことを聞かなかったのか?」
「大切なことだよ!」
「どうしたんだ急に? まぁ、それだけ元気なら怪我も無いな。ほら、帰ろう」
ベリザリオが立ち上がった。私が立つのを促すように手を出してくれたけれど、その手を私は弾いた。
怖いのに無理やり感情を捻じ曲げたりしていたせいか、気がたち気味だ。
怖いとか、怖くないとか、子供扱いは嫌とか、ベリザリオが好きとか。色んな感情がどれもこれも強く主張してごちゃごちゃで、堰が切れたかのように言葉があふれてくる。
「ベリザリオはいつもそう! 優しいしこまめに面倒も見てくれるけど、私のことはずっと子供扱い! そんなの嫌なの。私もディアーナみたいに同等に見て欲しいの。だって私、誰にも負けないくらいベリザリオのことが好――」
最後まで言い終わる前に私の口をベリザリオの手が塞いだ。困ったように私を見てくる彼の顔にはいつもの眼鏡が無い。
そういえば、フェリーで眼鏡を外してからずっとベリザリオはそのままだ。
食事の注文ができていたくらいだから、困らない程度は見えているのだろうけれど。なんで? という疑問が湧いてくる。
そんな注意力散漫な私をベリザリオが茂みに押し付けた。私に身体をかぶせた彼は、顔も近付けて言ってくる。
「ではアウローラ。私がお前にこの先をして、お前はついてこれるのか?」
耳元で艶っぽい声でそんなことを言われて私の身体に震えが走った。そうしたら、ベリザリオはすっと身体を引いてくれる。
「無理だろう? それに、お前は勘違いしているようだが、私は別にお前を子供としては見ていない。性格に合わせているだけだ。確かに、成長を待っている事もあるにはあるが――」
「え?」
しまったというように口元を押さえたベリザリオがあらぬ方を向いた。私は彼を見つめる。ベリザリオは一瞬だけ私に視線を向けたのに、すぐにあらぬ方向に視線を逃した。
しばらくそうしていると、彼は諦めたように溜め息をつく。
「アウローラはズルい。そうやっていつも素直にぶつかってくるから、たまに、私の隠し事を隠し事のままにしておけなくなる」
そうして私に優しい眼差しを向けてきてくれた。
「言いたい事があるんだが、聞いてくれるか?」
言われて、たぶん私はぽかんとなったと思う。
これって、あれなんじゃないですか? って、なんとなく予感がしたから。
頭がぽーっとなって思考が止まる。さっきまでも怖くてドキドキしていたけれど、今は別のドキドキが凄い。
それでもしばらくすると我に返るもので。
返事をしていないのに気付いた私は慌てて小さくうなずいた。
ベリザリオは柔らかく笑ってくれる。
「好きなんだ。だから、良ければ本当に私のものになって欲しい」
緊張をはらんだ極上の笑顔。それを向けられて欲しかったセリフを言われたのだけど、私には刺激が強すぎる。それに、私みたいな小娘を彼が本当に好きになどなるのかという不安も少々。
感情は相変わらず混線していて頭がくらんくらんした。
顔が真っ赤になっているのだけは間違いない。暗いから、ベリザリオからは見えていないだろうけれど。
「返事は急がない。気が向いたらでいい。で、こんな事を言った後であれなんだが帰ろう。門限を破ると反省文が面倒だし。それで、嫌かもしれないんだが、また転ばれると困るから手を繋いで欲しい。公園を出たら放すから」
そう言って彼は手を差しだしてくる。気持ち、気弱げに。
私はその手を素通りして彼の胸に飛び込んだ。
背に手を回してジャケットをぎゅっと掴む。厚い胸に顔をうずめたまま尋ねた。
「ベリザリオ、私が大きくなるまで告白するの待っていてくれてたの?」
「ああ。色恋に興味が無い時に言われても困るだろうし。私だって振られたらへこむ。だから様子をみていた。どうにも待ち過ぎたみたいだが」
「私なんてディアーナみたいに美人じゃないし、勉強も普通だし、運動もできないよ? なのに私なの?」
「アウローラがディアーナに負けるとは思わないな。私にはお前の方が可愛く見えるし、別段、デキのいい奴を求めているわけじゃない」
ベリザリオにとってのディアーナはエルメーテと同じなんだって。将来3人の戦場は教皇庁になるから、そこで一緒に剣を持って戦う仲間なんだって。
「でも、あいつは私を癒してくれない。羽を休める場所をくれない。でも、アウローラの側でなら力が抜けるんだ。それにお前は抜けてるから、見ていると心配になる。守りたいと思うんだ」
ベリザリオの腕も私の背に回った。そのまま優しく包んでくれる。それがとても心地いい。だからか、素直に今の自分を受け入れられた。
「私、お子様だよ?」
「私だって子供だ。アウローラのことになると感情が先走って失敗ばかりしているような」
「私の返品はできないよ?」
「しない。むしろ逃がさない」
「今って目、見えてるの?」
「コンタクト。今日の眼鏡に度は入っていない」
「オシャレしたんだ?」
「どっちかというと、こういう展開になった時、眼鏡があると顔が近付けにくいかなーと」
若干ごにょごにょとベリザリオが言った。ということは、あれ? 最初から何か狙っていたっていうこと?
「まぁ、はい。そろそろいけそうな気がしたから、告白できそうなタイミングをずっと探っていた。でも難しいもんだな。いざとなると尻込みしてしまったりで、このグダグダっぷりだ。恥ずかしくてエルメーテには言えない」
ベリザリオが苦笑した。私も笑う。
「ここぞとばかりに「だせぇ」とか言いそうだよね。その上、自称愛の伝道師の講義が始まりそう」
「受講は全力で拒否だな」
2人で笑っているとベリザリオが腕を緩めた。私が見上げたら彼もこちらを見ている。顔が近付いてきて、キスですか!? と思って目を閉じたらおでこに柔らかい感触があった。
ゆっくりと目を開ける。唇を離したベリザリオが見つめてきた。
「付き合ってくれる?」
「……うん」
うなずく。とたんにベリザリオがぎゅっと抱きしめてきた。そうして本当に嬉しそうに笑う。そんなに喜ばれると私も嬉しい。
ひとしきり2人で笑ったらなんか疲れちゃって、どちらからともなく「はぁ」と息を吐いた。
「帰ろう」
もう確認はしないでベリザリオが手を握った。「あれ? あれ?」と思いながら私は手を引かれる。こういう告白の後って、口にチューして貰えるものじゃないんですか?
「しない」
ベリザリオの答えは一言だった。とても期待していた私は明らさまに落ち込んだ。でも、言葉に続きがある。
「けど、少しずつアウローラのどこかを貰っていく。今日はどこを奪われるんだろうとドキドキしながら大人になっていってもらえれば実に結構」
そうして、若干イタズラ心っぽいものが混ざった視線が向けられてきた。
この人、こちらの状態をしっかり把握した上で焦らしている。
「いじめっ子!?」
「そうだよ? 知らなかったのか? だけど、我慢に我慢した上でのご褒美は快感だと思わないか? 私はアウローラが好きだと認識してから告白まで1年我慢した。お前も体験してみるといい」
そう言われたけれど、私がベリザリオを意識しだしてからかれこれ3年経っている。これ以上お預けをくらわなくても十分な期間だと思うの。言わないけど。
彼もそれだけ想ってくれていたという事実が嬉しいから。
ゆっくりと私達は歩く。
特に会話はないのだけど、もうなんかいいかな、とも思う。
でも、思ったことがあって、彼の手をくいっと引いた。
「1つお願い聞いてくれる?」
「うん?」
「私ね、眼鏡をしてないベリザリオの方が好きなの」
だって、そちらの方が感情がダイレクトに読める気がするから。それに、素顔の方が格好いい気がする。勢いよく飛びついたときに眼鏡を割っちゃう心配もなくなるし。
伊達眼鏡をかけようとしていたベリザリオの手が止まった。
「善処しよう」
眼鏡は再びポケットの中に収まる。
次の日からベリザリオは眼鏡をかけなくなった。