12話 花の村
デートの日。
特に悪いことをするわけではないのだけど、ディアーナとエルメーテに見つからないように学校を抜け出てきた。
まずは電車に乗る。
私達の学校ル・ロゼは、旧スイス領の中でも旧フランス領にほど近いロールという町にある。レマン湖という三日月型の大きな湖に面していて、湖を渡った先は旧フランス領といった場所だ。
行きたいイヴォワールはすぐ対岸にある村なのだけど、ロールからだと定期航路がない。だから、まずはフェリー乗り場がある街に移動する。
フェリーに乗ってしまえば目的地はもうすぐそこだ。移動の全所要時間は1時間と少しくらいで、10時過ぎには着く予定。花の村とも言われているとても綺麗な所らしい。
「でね、こじんまりしていて可愛い村だから、絶対私が好きだと思うってクラスの子が言ってたの。だからいつか行きたいなって思ってて」
「なるほどね。確かにあそこはアウローラが好きそうだ。ああ、もう着くな」
ベリザリオが船の進行方向に目を向ける。そちらには船着場があって、たくさんの鉢植えで飾られていた。
でもそれだけで結構普通。
フェリーを降りて歩いてみても道路はアスファルトだし、建物も小ぶりなだけでコンクリート。中世っぽい感じだと聞いて期待していたから、いろいろ残念だ。
しょぼんとした私にベリザリオが言ってくる。
「アウローラ。ちょっと目を閉じて、私に手を引かれてみる勇気はあるか?」
「え?」
何を言われたのか私はすぐに理解できなくて、まばたきした。自分の手に視線を落として、ベリザリオの手を見て、また自分の手を見る。
手繋ぎのお誘い……とか?
気付いたら頭から湯気が出た気がした。
けれど、手だけはしっかり前に出す。
小さく笑ったベリザリオが私の手をゆるく握った。
「それじゃぁ目を閉じて。どこに連れて行かれるかは着いてからのお楽しみだ」
そう言って彼は歩き出した。普段よりもゆっくりで、お互いの身体が付くか付かないかの距離で歩いてくれているのは私が転ばないようになのだろう。
目を閉じているせいで彼の存在だけがいつもより強く感じられて、すごくドキドキする。
あと、たまーに、ふわっといい匂いがするの。爽やかな、気持ち柑橘系なのかな? 周囲の花の匂いのような違うような。でも、とても好きな香り。目を開けて歩いている時は気付かなかったから、こんな体験をできたのは少し嬉しい。
そんなこんなで目隠しを楽しんでいたら、ベリザリオが止まった。目的地に着いたらしい。
「目を開けてごらん」
言われたので目をあける。
目の前には石造りの小さな家が並んでいて、それに蔦や花や果物が絡み付いていた。道はアスファルトやコンクリートなのだけど、狭くてなんとなく風情がある。近代的な建物なんてもちろん無い。中世っぽいという形容そのままの村がそこにはあった。
それはもう私の想像を十分にこえるもので、「うわぁ」と言いながら身体が前のめりになった。
「花の村イヴォワールにようこそ、アウローラ。といっても、旧市街に来ただけなんだが。行こうか」
ベリザリオが歩き出した。手はもう離れている。もっと繋いでいたいのだけど理由がない。諦めて私は横に並んだ。代わりに話しかける。
「ベリザリオはイヴォワールに来たことあるの?」
「昔1度来た。あんまり興味が無かった上に小さかったから、よく覚えていないけど。だから、ほとんどここの事を知らないっていうのはアウローラと同じだな」
「そうなんだ? じゃぁ、何があるかドキドキしているのは私と一緒だね!」
「そうだな」
ベリザリオが微笑む。嬉しくなって私も笑った。
どんなことであれお揃いは嬉しい。普段だと、ベリザリオと同じ条件にいれることなんてほとんど無いから。
ご機嫌なまま話を続ける。
「あ。ねぇねぇ、ここに来るのになんで目隠ししたの?」
「ん?」
ベリザリオの笑顔が一瞬固まった。視線があらぬ方向に向いて、ようやくこちらを向いたと思った時には普通の笑顔に戻っている。
「気付いたら全然違う世界にいる方がアウローラが喜びそうだなと思って」
そうして、言った言葉がこれ。
その予想は間違いない。あの時の感動はすごかった。でも、なんだか違和感が拭えない。
「本当に?」
どさくさに紛れて彼の腕を掴んで接近する。下から上目遣いで見上げたらベリザリオが目をそらした。そのまま、あらぬ方向を向いたままボソッと言う。
「ちょっとしたイタズラ心も少し。目が見えなくて怖いよーとか怯えたら、ちょっと可愛いかな? って」
「ヒドイ!」
「悪い悪い。ほら、そこのクレープ奢るから許してくれ」
全く悪いと思ってない様子のベリザリオは私の頭をぽんぽんと叩いて、道の少し先を指した。
そこには小さな喫茶店があって、私達みたいな観光客がテラスでくつろいでいる。食べているクレープはとても美味しそうだ。
けれど、これで誤魔化されてはいけない。前例を作ったら後々まで同じ目にあうのが目に見えている。でも――。
「許……します」
誘惑に勝てなかった。
フィレンツェにいるお父さんお母さん。あなたの娘はまだまだ恋より食い気のようです。
心の中で泣きながら、現実ではうなずく。笑顔のベリザリオは満足そうに喫茶店の方へ私の背を押した。
テラス席に通されて、注文したクレープが出てくる。ベリザリオはメイプルシロップをかけたもの。私のは砂糖をかけた生地にレモンを絞るタイプ。
レモン汁をかけてひと口食べて見ると、口の中に酸っぱさと甘さが広がる。いつ食べてもクレープは美味しい。
「美味しい?」
ベリザリオに尋ねられた時には全力でうなずいた。「それは良かった」とベリザリオもナイフとフォークを動かす。その様子を見ていたら、メイプル味の物も食べてみたくなってきた。
「あの、あのね、ベリザリオ」
「うん? これも食べたくなった?」
そう言った彼は、私が何も言っていないのに自分の皿を出してくる。うっかり「エスパーですか!?」と叫びそうになったけど、口を手で押さえる。
「エスパーじゃない。休みの日に外で何か頼むとよくやってるだろう、ディアーナと。誰でもわかるよ」
小さく笑っているベリザリオにそんな事を言われた。そう言われれば納得だけれど、心を読まれたかと疑問に思った事は口に出していない。私の考えはそんなに表に出やすいのだろうか。
釈然としないながらもベリザリオのクレープを一部分もらう。そこで気付いた。食べすぎると太るんじゃないかと。
うんうん悩んでいたら、
「食べきれない分は私の皿に入れればいい」
ベリザリオから声がかけられてくる。
考えていることが完全に筒抜けで恥ずかしいけれど、まさに天の救い。私のクレープの半分をベリザリオの皿に入れて返した。
カロリーの問題がなくなったので、あとは美味しくいただく。
でもね、その後でベリザリオが買ってくれた屋台のアイスを食べてしまったし、お昼ご飯も食べ過ぎたし。クレープを減らした意味を感じられない。
それに、満腹すぎて眠い。これはやってしまった気がする。