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3DAYS  作者: 来生尚
19/20

3DAY・4

「腐らせたくない」

 胸の奥に眠っていた小さな欠片が目を覚ます。




「私は、巫女になりたい」




 驚くほど自然にその言葉が出る。

 でも一度言葉にしてしまうと、ずっと自分がそれを望んできたような気がしてくる。

 今しか選べない、たった一度の美味しいお菓子。

 腐ってから食べなかった事を後悔したくない。

 後悔したくないから食べてみようっていう選び方でいいのかはわからないけれど、それでもいい。

 ずっと誰かに巫女になってもいいんだよって、言って欲しかっただけなのかもしれない。

「そっか。頑張れよ」

 ウィズが優しい顔で笑う。

 その笑顔が、背中を押してくれている。


 きっとウィズがいなかったら、私はずっと迷ったままで、何も選べないでいたままだったと思う。

 それでも流されるままに巫女になって、不満なまま数年をこの神殿で過ごすことになっていたかもしれない。

 もしくは重圧に耐え切れなくて、楽なほうへと、ルアに依存して生きていこうとしたかもしれない。


 でも、私は自分の足で歩く。


  ちゃんと今は自分で選んだって言えるから、だから背筋を伸ばして自信をもって巫女になろう。

 水竜に選ばれたから、なんだけれど、今は自分で選んで巫女になったって胸を張って言えるから。


 ウィズに笑い返すと、ウィズが目の前に手を差し出す。

 その手を取って握手をする。

 手のひらから伝わる体温が心の中にも伝わって、満ち足りた気持ちが広がっていく。

 これで良かったんだって、ウィズの笑顔が教えてくれる。


「これからよろしくお願いします。祭宮様」

「こちらこそお願いします。水竜の巫女様」

 半ば冗談、半ば本気で切り出すと、ウィズも芝居がかった仕草で一礼する。

 その仕草がおかしくって声を出して笑うと、つられるようにウィズも笑い出す。

 心の中の枷が外れたみたいで、笑い声と共に、どんどん気持ちが軽くなっていく。

 こんな風に笑ったの、いつ以来なんだろう。


「今度会う時は、巫女様だな」

 笑いが収まると、感慨深げにウィズが呟く。

「そっか。そうなんだね。そうしたら、こうやって話したりするのも最後だね」

「ま、一応そういうことになるな。二人きりで話している時はともかく」

 二人きりという単語に鼓動が早くなって、顔が熱くなっていく。


 それで初めて気がついた。

 いつの間にか、ウィズが心の隙間に入り込んでいたことを。

 まるで今全ての事がわかったかのように、心の中の霧が晴れて、色んなことが見えてくる。

 だからルアを選ぶって口に出した時に、違うって警鐘が鳴ったのかもしれない。

 巫女になりたいっていう気持ちが眠っていたせいかもしれないけれど。

 ふいに、今までしてきたことが恥ずかしくなる。

 情けないところばっかり見せていた。


「なんでそこで止まるわけ」

 見透かされたような気がしてはっとする。

 絶対にこの気持ちに気付かれないようにしないと、ダメ。

 だって、昨日会ったばっかりなのに、おかしいもの。

 ウィズだっておかしいと思うに決まってる。

 とにかく、わからないように誤魔化さないと。

「ううん。二人で話すことなんてあるのかなって思っていたの。だって、ご神託をウィズに伝える時だって、誰かしらは同席しているわけでしょう」

「まあな。でもそれはお前次第じゃないのか、巫女なんだし」

 ご神託を伝える時に、誰も同席させなくっても良いって事なのかな。

 イマイチ言っている意味がよくわからない。

 頭悪いのかな、私。


「だから、お前が望めばいつでもこうやって会えるってことだよ」

 ドキっと鼓動が高鳴る。

 一度自覚すると、意識しないで言っているのかもしれないけれど、どんなことにも反応するようになって困る。

「あ、うん」

 それだけで精一杯。

 なんかこれ以上喋ろうとすると、ボロが出そう。

「あ、うんじゃなくって、どうせまた悩んだりするんだろうから、その時にはいつでもこうやって話聞くからって言ってんの」

 ポンポンと頭を叩かれる。

 やっぱりダメな奴なんだって思われてるんだなってその仕草で思う。

 きっと妹姫に接するのと同じように接してるんだろうけれど、でもこうやって何気なく触れられることが嬉しい。


「その時は呼びつけるから、覚悟しておいてね」

 心の中を見せないように、冗談で交わして笑う。

 そうやって笑えば、きっと自然に出てしまう笑みも隠せるから。

「おー。いつでも呼べよ」

 服の汚れを軽く払いながら、ウィズが立ち上がる。


 裾をぱっと皺を伸ばす程度にはたき、何も無かったかのような顔で、目の前に手を差し出す。

 服の汚れなんて大した事じゃないように振舞うのは、やっぱり育ちの良さなんだろうかとか、くだらないことを考える。

 そういうことを考えていないと、ウィズの動作に見惚れかねない。

「ありがとう」

 手を取り立ち上がり、裾の皺を伸ばし、服の汚れを払う。

 これから神殿に入るんだから、草や土で汚れたような服で入るわけにはいかない。

 入念に確認して、失礼が無いように、草一本でも服に付いていないようにする。

 元々粗い生地で出来ているから、どうしても細かい草が取りにくい。

 一つ一つ丁寧に取って、それから顔をあげるとウィズが真顔で立っている。


「成長して戻ってこいよ」


 まるで別れの言葉みたい。

 たまたまウィズは祭宮様だから顔を合わすことはあるけれど、そこで会うのは「巫女」と「祭宮」なんだから、「ササ」と「ウィズ」はもう当分、もしくはもう二度と会うことはないかもしれないから、別れといえば別れになるかもしれない。


 もう「ササ」が「ウィズ」に会う最後かもしれない。


「戻ってこないかもしれないよ」

 ふっとウィズが笑う。

 たった一言で、全てがわかったかのように。

「戻ってきたくなったら、いつでも戻ってこいよ」

「うん、でも頑張るよ。成長したでしょって胸張って言えるように」


 またウィズに会う日がくるのだろうか。

 でもその時にはちゃんと、今よりももっと成長していないといけない。

 くじけそうになったら、その言葉がきっと助けてくれる。

 なんとなくそんな予感がする。

 この先の道は決して平坦ではないだろうと思う。

 何年後までこの神殿で巫女を務めるのかは、全て水竜の御心次第。

 その間、一度も悩まないなんてことありえないし、逃げたくなるときもくるかもしれない。

 その時ウィズと約束した「成長して戻る」っていう言葉がきっと、自分を奮い立たせる源になる。


「じゃあ、俺は行くよ。またな、ササ」

「ありがとう。ウィズ」


 本当に感謝している。

 ありがとうなんて言葉では言い尽くせないほど。

 もしウィズがいなかったら、眠っていた自分の気持ちにさえ気がつかずにいたような気がする。

 そして、ウィズがいなかったら自主的に巫女になろうなんて思えなかったと思う。

 今、こんな風に清々しい気持ちでいられるのは、ウィズがいたからこそ。

 そういった感謝の気持ちを、うまく言葉にする術がない。

 だから、精一杯の笑顔をウィズに向ける。

 安心したような顔をして、神殿の入り口に繋がる小道へとウィズが歩き出す。



「最後に一つ聞いてもいいか」

 小道へ歩き出してから、思い出したようにウィズが振り返る。


「お前の幼馴染に、俺はなんて伝えたらいい」


 ルアに、伝える言葉。

 本当は今日の朝までという期限付きで返事をするはずだったのに、結局返事もしないままになってしまった。

 なんて伝えたらいいんだろう。

 でもちゃんと伝えなきゃいけないことがある。

「ルアは、私が水竜の巫女に選ばれたことは知っているの?」

「さあな。俺は言わなかったけれど、感付いているだろうな」

 きっと知っているってことだろう。

 村にいる間に、同じ村出身のルアには誰かしら伝えたかもしれないし、直接聞かなくても漏れ聞いたかもしれない。


 ルアはどう思ったのだろう。

 そして、今、何を思っているのだろう。

 でもルアがどう思っているかを知る術はもうない。

 一方的に伝えることしか出来ない。


「待たないでと。それだけ伝えて」

「それはどういう意味?」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと落ち着いてウィズの顔を見つめる。

 それから一度息を大きく吐いて、空を見上げる。


 空は、村を出たときにはまだ薄闇の中だったのに、今は抜けるような青空の中に、夕暮れの足音が近づいてきている。


 どんな努力をしても、ルアに会うべきだったのだろうか。

 本来ならルアに伝えなくてはいけなかったことなのに、こうやって人を介してしか伝えられない。

 ウィズに「ルアに会わせて」って言えば、会わせてくれたかもしれない。

 もしかしたらウィズは許してくれても、次代の巫女候補としての立場が、それを許さなかったかもしれない。

 ごめんなさいっていう気持ちと、しょうがないっていう気持ちが入り混じる。


「私は、ルアが村を出る時に言った、二年経ったら迎えに来るっていう言葉を信じ続けた。でも約束の日が過ぎて、忘れよう忘れようとしているうちに巫女に選ばれた」

 待っていたあの日々の思いが、胸の中に蘇る。


 今日帰ってくるかもしれないと思い続けた朝。そして明日はきっと戻ってくると思いながら床についた夜。

 言葉に出さなくても、ずっと帰ってくる日を待ち焦がれていた日々。

 そして、約束の日が過ぎた後の落胆。

 ルアの事を考えれば考えるほど、苛立たしさが募っていき、忘れようと努力をしていたこと。


「平気なフリをしていても、待ち続けるのは辛かったの。だから、そういう思いはさせたくない」

「あいつ自身が、待ちたいって言ってもか」

 ウィズの言葉に頷く。

 本当にそう思ってくれる訳が無い。

 仮にそう思ってくれていたとしても、決して待たせる事は出来ない。


「うん。人は変わるものだから、先の見えない約束なんてしたくない。そんなもので束縛したくない。それに巫女の任期は期限付きって言っても、明確な期限はわからないでしょ」

「まあ、そうだな」

「きっと、巫女として過ごす数年間で、価値観や考え方も変わると思う。三年前の私と今の私が違うように、巫女の任期を終えた後の私も違う」

 数度頷き、ウィズは納得したように「わかった」と言う。



 三年前の私は、ずっとずっと子供で、勝気で意地っ張りで、ルアのことが好きだった。


 一年前の私は、ルアが約束の日を過ぎても帰ってこないこと、連絡もしてこないことに腹を立て、そして忘れられてしまったのだと悲観していた。


 半年前の私は、水竜の巫女に選ばれたことに驚き、ただ神殿での暮らしに馴染めるように努力して、挫折して、日々に終われていた。


 今の私は、与えられたチャンスを生かそうと、ウィズに道筋を作ってもらったけれど、巫女になろうと選んでいる。そしてほんの少しだけ、ウィズのことが気になりだしている。


 三年前、水竜の巫女に自分が選ばれるなんて考えてもいなかった。半年前ですら、こんな風に自分から望んで水竜の巫女になるなんて考えてもいかなった。

 ほんの数日前だって、誰かが新しく心の中に住むなんて、考えられないことだった。

 巫女を終えた時、何がどう変わっているかとか、どんな未来が訪れるかなんてわからない。

 待っていてというのは簡単なことかもしれないけれど、その時に必ず戻るって言い切れないなら、中途半端な約束はしないほうがいい。

 もしもウィズの事が今だけの熱病みたいなもので、巫女を辞めた時にまだルアの事が好きだったら、今度は自分から捕まえにいけばいい。

 もしも巫女を辞めた時にウィズが好きなら、それはその時考えればいい。

 先の事ばかり考えすぎると、ここから一歩も動けなくなる。


「じゃあ、俺は行くよ」

「ありがとう、ウィズ」

 ウィズをウィズと呼ぶのも、きっとこれが最後。


 手を伸ばせば届くところにいるけれど、絶対に手は伸ばさない。

 元々生まれも育ちも違う雲の上の存在なんだし、優しくしてくれたのは次代の巫女だからであって、勘違いしちゃいけない。

 それに今手を伸ばしたって、それは自己満足にしか過ぎないから。

 でも、こうやって話すことが出来なくなるのかと思うと、淋しい気持ちでいっぱいになる。


 それでも笑う。泣いた顔だけ覚えられるのは嫌だから。

 後悔しないと伝えるためにも。

「頑張れよ」

 出来る限りの笑顔をウィズに返す。

 ウィズも同じように微笑み、そして木の間に姿を消す。


 徐々に、落ち葉を踏む音が遠ざかっていく。

 遠ざかっていく足音と共に、ササが消えていく。

 ササが消えて、ウィズが消えて、次代の巫女だけが残る。


 本当にこれでよかったのかな。

 巫女にならなかったら、絶対に後悔するって思ったから巫女になるって決めたけれど、なんだか一人になると頼りなくって言いようのない不安が湧き上がってくる。

 広い世界に取り残されたみたいに。

 巫女になるよってウィズに言えたのが嘘みたいに。


 だけれど、不思議と後戻りしようという気持ちにはならない。

 成長して戻って来いっていうウィズの言葉が、巫女になろうという気持ちを支えてくれている。

 その約束を果たせるようになりたいから、凛として前を向いていこう。

 今巫女様のようには、なれないかもしれない。

 それでもほんの少しずつでも巫女らしくなれるように頑張ろう。

 私が、私自身で決めた道なんだから。



「次代様」

 小さな声で、木立の間から神官の呼ぶ声が聞こえる。

 程なく、ウィズと入れ替わりで、使者役の神官が姿を現す。

「神官長様がお待ちです」

 余計なことは一切言わない聞かないという姿勢が、その言葉から窺い知れる。

 やはり心を開いて話せる相手では無かったのだと、改めて強く認識させられる。

「わかりました」

 ホッとしたような表情を一瞬浮かべ、それからまた無表情に戻ると神官が一礼する。

「こちらへ」

 促されるように、木立の間の道へと足を進める。


 数歩歩いてから、一度広場の方を振り返るけれど、もう視界に捕らえることは出来ない。


 まるでその場所は存在しない場所だったかのように。

 ウィズと話した時間さえ、幻の時間だったかのように。

 切り取られた日常は、非日常へと変わっていく。


 もう一度ササに戻るその時、ここに足を運んでみようと思う。

 そして、もう一度日常に戻ろう。

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