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3DAYS  作者: 来生尚
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3DAY・2

 神殿の敷地に入ろうとするところで、思わず足を止めてしまう。

 神殿に入る時の気持ちでその先をどうするかを選ぼうと決めていた。

 なのに、自分がどうしたいのかわからない。


 水竜の巫女になる。

 ルアと結婚する。

 そのどちらも選ばない。


 神殿の前に立ったときの気持ちで、どうするか決めようと思っていた。

 水竜の傍に、神殿の前に立てば、おのずと自分の気持ちが見えてくると思っていた。

 水竜の巫女になりたいのか、わかるような気がしていた。

 なのに、今はもやもやした気持ちしかない。

 今朝のすっきりしたような感覚はどこかへ消えてしまっている。

 先をどうしたらいいのかわからない不安が、胸を締め付ける。


 ううん、不安じゃない。

 遂にこの時が来てしまったのだという、どうしようもない焦り。

 自分の中に答えがあるような気がしていたのに、ただ神殿に行くまで考えるのやめようって逃げていただけでしかなかった。



 私には「自分」がない。

 空っぽだ。



 不意に、そんな言葉が頭をよぎる。

 水竜の巫女に「選ばれたから」巫女になるとか、ルアに結婚して欲しいって「言われたから」結婚するとか、そんなの自分がない。

 まして、どちらも選ばないという選択だって、選べないから逃げているだけでしかない。

 私がどうしたいのかが無い。

 体中の血の気が失われ、寒気に襲われる。

 崩れそうな崖の端に立っているかのような、恐怖さえ感じる。

 わからない。

 自分がどうしたいのか全然わからない。

 ウィズが話してくれたことを聞いて、漠然と巫女になってもいいかもしれないって思ったり、ルアに結婚して欲しいって言われて悩んでいたけれど、結局のところちゃんと考えることをしなかったからだ。

 どうしよう。

 目の前にそびえる、白く輝く水竜の神殿に、その敷地に入ることを拒まれている気がする。

 ちゃんとした答えを持っていない者が、入ることを水竜は許してくれない。

 あの日、神殿を出る日、水竜は教えてくれていたのに。

 悩むことがあっても、自分で道を選び取らなきゃいけないことを。


 考えなきゃ。

 自分が本当にどうしたいのか。


 逃げたくない。

 巫女からも、ルアからも、自分自身からも。 だから、決めなきゃ。

 巫女になるのか、ルアを選ぶのか。

 ふっと何かもやもやしたものが湧き上がってくる。

 ルアを、選ぶ……。


「ルアを選ぶ?」


 口に出してみて、胸の中に何かひっかかるような違和感に気がつく。

 ちくり、と刺が刺さった時のような感じ。

 大きなケガじゃないんだけれど、気になってしょうがないような。

 何かを見落としている。

 何を?

 わからない。何が引っかかっているのかもわからない。

 一度違和感に気がつくと、頭の中に、ぐるぐると同じ言葉が回り続ける。


 違う。

 違う。

 違う。


 小さいけれど、確かな声が、違うと言い続ける。

 何が違うのかわからないけれど、その言葉に心さえも支配される。



「次代様?」

 はっとして声のするほうを見ると、伺うような顔で、神殿の敷地から神官が声をかける。

 連れて入っていくはずの私が神殿の前に立ち尽くしているのを見て、怪訝そうに戻ってくる。

「どうかなさいましたか。神官長様がお待ちですので、どうぞお早く」



 促すように言われるけれど、まだここには入れない。どうしたらいい。

 だって、まだ決めていないもの。

 巫女になるかどうかを。


 怪訝そうな顔をする神官に、首を横に振る。

 それだけで意図するところを察したのか、さーっと神官の顔は蒼ざめていく。

「何があったというのです。つい先程、神官長にお会いになられるとおっしゃられたのに」

 言おうかどうか一瞬躊躇うものの、でもどんなに非難されても、神殿には入れないことを伝えなくては。

「まだ決めていないんです。だから入れません」

「決めていらっしゃらなくても結構ですから、お姿を見られる前に神殿にお入り下さい」

 決めてなくても構わないという神官の言葉にひっかかる。

「いいえ。神殿が、水竜が拒んでいるんです。ここに入ることを」

「それは次代様の思い過ごしです。水竜様はあなたをお選びになられました。それを疑うのは水竜様を疑うことになります」

 叱責するかのような言葉に、神官の強い信仰心が伺い知れた。

 水竜に対しての信仰心がないわけではない、むしろ逆に決めていない中途半端な状態で神殿に入ることのほうが、水竜に対し、申し訳ないと思う。

「申し訳ございません。言葉が過ぎました」

 困ったような顔をしていたのだろうか、神官が頭を下げる。


 こんな風に気を使われるのに相応しい人間じゃないのに。なのに、こういう風に接しられることに慣れてきている自分がいる。

 そんな自分がとても嫌だ。

 目の前の神官を含め、神官たちは次代の巫女に選ばれたからという理由で、敬意を払ってくれているのに、自分自身が特別なんじゃないかとさえ錯覚してしまう。

「そんな風に頭をさげないで下さい。私はまだ巫女じゃありません」

「次代様……」

 困惑の表情で、神官が立ち尽くす。

 真実を表しているけれど、きっと神官の期待を裏切るような事を言ってしまったんじゃないかと思う。

 これじゃ、まるで巫女になることを拒絶しているように見えるかもしれない。

 でもなんて伝えればわかってもらえるのか、どうしたらいいのかわからなくて、神官と同じように立ち尽くすしかない。



 どのくらいそうしていたのかわからない、元来た道のほうから砂煙があがるのが視界に入る。

「次代様、お願いです。どうか中にお入り下さい」

 慌てた声で、神官が懇願する。

「お姿を見られてはなりません。どうか中へ」

「どうして、どうして姿を見られてはいけないの?」

「次代様は今日より巫女となられるお方です。神殿の者以外にそのお姿を見られてはなりません」

 その言葉に反射的に怒鳴り返す。

「だから、私はまだ決められないから入れないのよ! どうしてわかってくれないの」

 哀しげな顔をし、神官が頭を下げる。

 それを見て、怒りに任せて怒鳴ってしまったことを後悔する。

「決めていらっしゃらなくても構いません。もし神殿の建物に入るのがお嫌でしたら、入ってすぐ左に小さな広場がございます。そちらなら誰にもお姿を見られることはございません。どうか、どうかお願い致します」

 その切羽詰った、哀願するような声が申し訳なくて、小さく頷く。


 目の前の神官にとっては、とにかく姿を見られない事が大事で、巫女になるかどうか悩んでいる気持ちなんてどうでもいいみたい。

 神官も村の人と変わらない。

 サーシャという入れ物を通して、水竜を見ている。

 誰もちゃんと私のことなんて見てくれない。私の気持ちなんてどうでもいいことなんだ。

 そんなこと、わかっていたことなのに、どうしてこんなに傷つくんだろう。

 最初から神官はずっと「次代様」としか呼んでくれなかった。

 なのに何を期待していたんだろう。


「急いで下さい」

 神官の焦る姿が、余計に心を冷やしていく。


 例え巫女になる意思がなくても、神官には次代の巫女にしか見えないんだろう。

 それでも私は、自分の気持ちを大事にしたい。

 自分が水竜の巫女になりたいと思えない限り、巫女になりたくない。

 それは我儘なことなのかもしれないけれど、でもそれが私の望むことだから。

 今巫女様を通して水竜が教えて下さった事を、気がつくのは遅すぎたかもしれないけれど、きちんと大事にしたい。

 私が私の意思で、巫女になるのかを選ぶ。


 ――意思無き者がその敷地に入ることをお許し下さい。

 神殿の敷地に入るとき、水竜にそっと小さく呟く。


 神官は気がつかなかったようで「お早く」と言うと、神殿の前殿へと繋がる並木道の三本目と四本目の木の間に姿を消す。

 そこに通路があるなんて、今日初めて知った。

 ありとあらゆるところが迷路のようになっていて、外部の者が奥殿に辿り着くのを拒んでいると、昔神官長様に習ったことを実感する。

 前殿に入っても、神官長様が外部の方とお会いになる時にお使いになる「謁見の間」以外、部屋らしい部屋は見つけられないようになっているし。

 それで引き返した侵入者が、奥殿へと繋がる道を探したときに迷い込ませるように、こういった仕掛けが色々施されているのかもしれない。


 並木道の木々の間に入ると、左右に雑然と木々が並んでいる。

 それが意図して作られたものなのか、それとも自然のまま手付かずなのかはわからないけれど、もう外の様子は伺い知ることが出来ない。

 しばらく歩くと行き止まりに辿り着き、そこだけ切り取られたように木が植えられてなく、小さな空き地のような広場になる。

 振り返ると細く続く道があるだけで、入り口のほうの様子は伺うことは出来ない。

 ここなら、ゆっくりと誰にも邪魔をされずに結論を出すことが出来る。


「次代様。後程お迎えに参ります。それでよろしいでしょうか」

 気持ちを何となくは汲み取ってくれたらしく、神官が提案してくれる。

「はい、ありがとうございます」

 綺麗なお辞儀をして神官が背を向け、元の並木道へ戻ろうとする。

「待ってください」

 咄嗟に声を掛けると、表情を変えずに神官が振り返る。

「我儘を聞いてくださってありがとうございます」

 その言葉を聞き、ふっと神官の顔がほころぶ。

「いいえ。私は次代様の望むことをしたまでです」

 さっき酷いことを言ってしまったのに、そうやって言ってくれるのが嬉しい。

 例え、私の先にいる水竜を見ているのだとしても。


「もう一つだけ、我儘を言ってもいいでしょうか」

 眉根を少し歪め、でも顔色を変えずに何でしょう、と神官が問い掛けてくる。

「祭宮様にお会いしたいんです」

 少し考えるような仕草をしてから「わかりました」と言い残し、神官は木々の間に消えていく。



 どうしてウィズに会いたいと思ったのかわからない。

 ただ、次代の巫女としてではなく、ちゃんとササとして見てくれる人がウィズしかいないように思って、咄嗟にウィズの名前を出してしまった。

 迷っています、なんてとても神官長様には言うことが出来ない。

 神官長様にお会いするのは、ちゃんと結論を出してからじゃないと。

 でも、一人じゃうまく気持ちがまとめられない気がして、誰かに話を聞いて欲しい。

 もしも村にいる時に、ちゃんと真剣に考えて悩んだのなら、カラに相談できたのに。

 こんなところまで来て、まだ答えが出せないって言ったら、ウィズは呆れるだろうか。

 立っていることに疲れて草の上に座り込み、木に切り取られた空を見上げる。


 そうだ、ルアのことを考えていたんだ。

「ルアを選ぶ」

 さっき引っかかった言葉をもう一度口に出して言ってみる。

 やっぱり同じように、心のどこかが引っかかる。

 最初にルアに結婚して欲しいって言われた時、巫女になるから結婚出来ないとは、どうしても言えなかった。

 巫女になるって言ったら、自分の気持ちに嘘をつくことになるから、あの時言えなかったんじゃないかなって今は思う。


 巫女にならないことは、ルアと結婚するっていうことと同じことじゃない。

 ルアの顔を見た時、三年前にルアが村を出たときの気持ちを思い出した。

 でもカラが言うような後悔とはちょっと違って、行き場のなくなった気持ちがふわりふわりと漂っているような感じがした。

 生まれたときから一緒だったから、いなくなるってことが心に穴がぽっかり空いてしまったようで、物足りないような気持ちだったと思う。

 今思うと、自分の一部を切り取られたような喪失感に近いもので、恋焦がれるとかそういう気持ちじゃなかったようにも思える。

 それでも幾度となく夢にその姿を見たし、会いたいと何度も思ったのも事実だけれど、今はルアを選ぶということに躊躇いを感じる。

 それは、離れていた時間のせいなのかもしれない。


 ルアの事が嫌いなわけじゃない。嫌いって言ったら嘘になる。

 好きかってカラに聞かれた時、咄嗟に言葉が出てこなかったのはどうしてなんだろう。

 好きだと思う。うん、好きなんだと思うんだけれど。


 でも、そう思った次の瞬間に、また胸がちくんと痛む。

 そうじゃないって、心が反乱を起こす。

 ルアを好きってことにさえ、違うって心が警報を鳴らす。


 顔を見たら、絶対に気持ちが揺らぐのにどうして。

 ルアと祭りの前に会った時あんなにも動揺したのに、みっともない泣き方するくらい辛かったのに、どうしてこんな風な違和感を感じるんだろう。

 あの時の気持ちと今の気持ちが違うっていうんだろうか。

 本当は自分の中に答えがあるはずなのに、まだ、うまく形にならない。

 言葉にすればするほど、自分に言い訳しているような気がしてくるのはなぜだろう。


 考えることに煮詰まって立ち上がり、一度深呼吸する。

 はーっと大きく息を吐き、頭と気持ちに風を吸い込む。

 巫女になりたいのかどうか。

 ルアのことよりもまず、それを今すぐ決めなきゃいけない。

 神官長様も、今頃神官からの報告を聞き、重たい溜息をついているかもしれない。


 巫女になりたいの?

 それとも巫女になりたくないの?


 自分自身に問いただすけれど、答えが出てこない。

 心の中にその答えはあるはずなのに、どうしても躊躇いばかりが出てきてしまう。

 本当に私でいいのかな。

 でも、村の水竜の祠で水竜に問い掛けたとき、気持ちが軽くなったんだから、水竜が「いいんだよ」って伝えてくれたのだと信じたい。

 本当に水竜の声が聴こえるようになるのかな。

 もしも巫女になっても水竜の声が聴こえなかったら、その時はどうしたらいいんだろう。

 巫女に相応しい振る舞いが出来るようになるのかな。

 さっき、あんな風に神官にあたってしまった私が、誰もが認める巫女になれるとは到底思えない。


 その短気は直しなよ。強がってばかりいると損するよ。

 そう言っていたカラの言葉を思い出す。

 カラに言われたように、自分の感情に走り、神官の事も考えず、どうしてわかってくれないのかと腹を立ててしまった私は、やっぱり巫女には相応しくないのかもしれない。

 なりたいとか、なりたくないとかじゃなくて、自分のダメなところばかりが目に付く。


 教えて、誰か教えて。

 本当に私でいいのか、教えて。

 ああ、ダメだ。

 誰かに頼ったりしないで、自分で考えてちゃんと答えを出さなきゃ。

 なのに焦りがどんどん芽生えてきて、どうにも落ち着かなくて、うろうろと、決して広いとは言い難い広場を歩き回る。

 歩いていたからって何も変わらないんだけれど、立ち止まってじっとしているのは到底無理で、こうやって動いていないと気持ちが押し潰されそうになる。

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