3DAY・1
3DAY
「サーシャ。準備は出来たかい」
村長の部屋に行くと、村長は緊張した面持ちで椅子から立ち上がる。
昨夜の喧騒が嘘のように村は静まり返っていて、村長様の後ろの窓には鮮やかな朝焼けの空が広がっている。
「はい」
「そうか。では行こうか」
部屋を出る村長の後についていく。
半年前に村を出たときと同じような服装だけれど、その時よりもずっと落ち着いている。
トクン、トクンという心臓の音はあの時と同じように早く、手にはやっぱり汗をかいているけれど、今は全てを受け入れられている自分がいる。
巫女に選ばれたこと。
ルアに結婚して欲しいと言われたこと。
決して不安や迷いが消えたわけじゃないけれど、今は自分が自分でいられる気がする。
今巫女様が、ウィズが、ルアが、カラが教えてくれた。
その全てを考えて、たった一つの結論を自分なりに出せたからかもしれない。
屋敷の玄関に出ると、敷地の外に王都からきたウィズと兵士たち、そして神殿からきた神官が出発の準備をして待っている。
「ありがとうございました」
これでこの村にはもう帰ってこないかもしれない。そういう感傷がないわけではないけれど、振り切るように村長に挨拶をする。
「待ちなさい」
お辞儀をし、神殿へと向かう人たちに近づこうとすると、後ろから静かに村長様が語りかけてくる。
「きちんと別れの挨拶をしなさい。今度いつこの村に帰ってくるのかわからないのだから」
村長への挨拶の仕方が悪かったのかと思って振り返ると、ママとカラが玄関か出てくるところだった。
「ママ。カラ」
涙を浮かべ、それでも笑顔で立っているママに駆け寄って抱きつく。
背中に回された手が、トントンとあやすように背中を叩く。
「行っておいで、ササ」
「一人にしてごめんね。パパが死んでからずっと、育ててくれてありがとう」
もっと言いたいことがあるのに、涙が止まらなくて、それ以上言葉にならない。こんな風にママに抱かれたのは何年ぶりなんだろう。あったかくて、余計に涙が出てくる。
一緒にいるときに、もっともっと色んな話をしたり、色んなことをしてあげればよかった。
「泣くんじゃないよ。一生の別れじゃないんだから」
ママの肩に頭を擦りつけるようにしながら頷く。
明るく振舞おうとするママの声も震えていて、耳元で鼻をすする音がする。それが余計に辛くて涙が出る。
「ほーら。ササ。あんまり泣くとみっともない顔になるよ」
体を離し、ママが手で涙を拭ってくれる。ママの目が真っ赤になっている。
溢れ出る涙は、拭っても拭っても零れ落ちていく一方で、パチンと軽く頬を叩かれる。
「パパが死んだ時に約束しただろ? 強い子になるって」
体の奥からどんどん涙が出てくるけれど、歯を食いしばって、目に力を入れて、涙が出てくるのをなんとか止めようとしてみる。
「うん。……約束し、た」
「じゃあ、行っておいで」
今出来る精一杯の笑顔でママに笑いかけると、ママも泣くのを堪えたくしゃくしゃの顔で笑う。
「行ってきます」
下を向いて、服の裾で涙を拭いて、カラの前に立つ。
カラもやっぱり泣いている。
「あたしには、手紙くらい書きなさいよ」
「当たり前じゃない」
抱き合って、お互いの髪に顔を埋める。
これが一生の別れになるかもしれない。もう会えないかもしれない。お互いにそれはわかっているけれど口には出さない。それを言ったら余計に辛くなる。
「どこに行っても、カラは一番の友達だよ」
「当たり前でしょ」
カラの背中に回す手に力を込めて、それからゆっくりと体を離す。互いの肩に乗せられた手を離しがたくて、でも何も言うことが見つからなくて、立ち尽くす。
しばらくして、カラの手が体を押すようにして遠ざかる。
「祭宮様が待ってるよ」
「うん」
唇を噛みしめ、袖で涙を拭い、カラとママにゆっくりと頭を下げる。
「ありがとう。行ってきます」
二人に背を向けて、努めて綺麗に歩くことだけを心がけて、一歩一歩遠ざかる。
振り返っちゃいけない。
別にこれは悲しいことじゃない。
「よろしいですか」
ウィズの傍に近づくと、静かな声で聞かれる。
「はい」
見上げたウィズの瞳の表情は読み取ることが出来ない。
もう何も言わない、と言ってからは何も聞いてこなかったし、核心に触れるようなことは何も言ってこなかった。
きっと本当は色々言いたいこともあるんだろうけれど、祭宮の仮面を被って、表情の全てを押し隠してしまっている。最初から最後までこういう顔をしていたら、近寄り難い人としか思わなかっただろう。
ウィズが手に持っていた薄い布を、突然頭の上から掛けられる。目の前が見えなくなるわけじゃないけれど、視界がうっすらと遮られる。
「これで顔を隠してな。そうすれば、泣いていても他の奴に気が付かれないから」
布を整えてくれながら、他の人には聞かれないような小さな声で囁く。
ウィズの優しさに、また涙が出てくる。
「神官殿。サーシャ殿をお願い致します」
通る声で、傍にいた神官に告げる。
「こちらへ」
神官に促されて兵士たちの脇を抜け、村長の屋敷から遠ざかる。
一度振り返ってみたけれど、兵士の姿で隠されて、村長もママもカラも見つけられない。
半年前とは違う。
本当にもう帰ってこられないかもしれないという切なさで、胸が締め付けられる。
別にこの村が好きだったとか、そういう気持ちがあったわけじゃないのに、全てを目に焼き付けておきたいと思う。
忘れないように。全てを思い出せるように。
神殿に向かう道中、一緒にいる神官は一言も口を開かず、何時間も黙っていて睡魔に負けそうになっていると、やっと見慣れた水竜の神殿が見えてくる。
この国を縦断する大河の、ちょうど水源地あたりにある湖のほとりに建てられた水竜の祠は、まるで水に浮いているお城のようにも見える。
遠くから見ると、ちょこんと小さく見える水竜の神殿も、その中に入ると入り組んだ迷路のようになっていて、決して外部の人間が水竜の座す「奥殿」には近づけないようになっている。
その奥殿に入ることが許された、たった一人の人間が水竜の巫女。
そういえば奥殿も広そうだけれど、巫女が一人で掃除しているんだろうか。それはまた大変な重労働なんだろうな。
なんだか昨日の夜から、そんなことばっかり考えている。
どうでもいいようなことばっかり真剣に考えていて、でも結論を出すわけでもなく、ただなんとなく考えている。
昨日の夜は、どうして王家からしか祭宮を選ばないのかってことを考えていた。
ウィズが言うとおり、王家が国を統治する正当性の為に、祭宮は王家の人間からって決まっているとしても、それは王家側の言い分でしかない。
本当のところ、水竜はどうして祭宮を王家から選ぶんだろう。
水竜からしてみれば、別に巫女みたいに誰がなってもいいはずなのに。
王家と水竜の間に密約でもあるんじゃないかってところで、考えが行き詰まった。
元々答えなんかわからないことだし、教えてくれる人もいないんだから、どうやったって結論が出るわけがない。
考えても答えが出ないことばっかりが、目の前に並んでいる。
本当に考えなきゃいけないことも、結局は答えなんて出せそうにない。
お祭りが終わった後、ウィズや村長様と一緒に村長様のお屋敷に戻り、自分の与えられた部屋に戻ると、ほとんど崩れ落ちるようにベッドに横になり、天井を眺めながらそんなことを考えていて、気が付いたら眠りについていた。
水竜の巫女になろうとすればいいって言っていたウィズ。
確かに一理あるなって思う。
外側の見せ掛けからだけでも巫女らしくなれば、自然と自分が巫女として扱われることに慣れてくるのかもしれない。
考えてみれば、村で人前に出ている時は、いかにして巫女候補らしく振舞うかってことをまず念頭においていたような気がする。
だから、その延長で巫女「らしく」なることは可能のような気がするし、いつの間にか巫女が板につくのかもしれない。
巫女は水竜が選ぶけれど、巫女を作るのは水竜じゃなくて、周りの人なのかもしれない。
結婚して欲しいと言ったルア。
ここ半年の間、ルアのことなんて思い出しもしなかった。
でもその前、ルアがいなくなる前、ルアの事どう思っていたんだろうって考えると、出る答えは「好き」
ずっと忘れようと思っていた。忘れたら楽になれると思っていた。
なのに、忘れることなんて出来ないでいた。
三年という月日は、一人の人を待つには長すぎたけれど、気持ちを忘れるには短かったのかもしれない。
そこまで考えたら、考えることすら嫌になって、あとはどうでもいいことばっかり考えていた。
巫女になったってルアと結婚したって、どっちにしたって後悔する。
どっちにしたって後悔するなら、より後悔が少ないほうを選べばいいってことに決めた。
全ては神殿に着いたその時に決めればいい。その時が一番自分の気持ちがわかる時のような気がするから。
考えるのを放棄して、ずっとくだらない、どうでもいいことばっかり考えていた。
何もかも投げ出せたらどんなに楽なんだろう。
いっそどっちも選ばないっていう道もあるし。
巫女にもならない。ルアとも結婚しない。
全てを放棄して、そうやって生きていけたらどんなに楽なんだろう。
でもその両方を投げ出して、私はどうやって生きていればいいんだろう。
明確なビジョンなんてない。
もう村には中途半端な形では戻れない。
そうしたら、どこか違うところで生きていくしかないんだろうけれど、何をするとかっていう当てもない。一人で生きていくだけの、生活力もない。
ウィズがどうやって守ってくれるつもりか知らないけれど、誰かの庇護の下でしか生きていけない。
そんなみっともない生き方は嫌だ。
私は、私として、一人の自立した人間として生きていきたい。
そんな逃げるような事をするのは、きっとウィズの納得する答えなんかじゃないと思う。
別にウィズに納得してもらう為に答えを出すわけじゃないけれど、私は、ちゃんと自分で選び取っていきたい。自分の人生なのだから。
物思いに耽っていると、神殿との距離はどんどん近づいてきて、あっという間に神殿の入り口に着いてしまう。
神官に促され神殿の入り口に立つと、半年前、初めてここに来たときのことを思い出す。
ママと村長様と三人、初めてここに来たとき、足はすくんで震えていたし、緊張して声も出なかった。
それに何よりも、自分が水竜の巫女に選ばれたことを信じてはいなかった。
今は、なんとなく巫女に選ばれたことを受け入れている。
それは半年の見習期間のおかげなのか、それとも村で巫女候補として扱われているうちに、そう思えるようになったのか。
そのどちらも、巫女に選ばれたことを受け入れるために必要なことだったのかもしれない。
水竜の神殿を近くで見ると、白い神々しい光を放っているかのようにも見える。
この国を統べる、本当の支配者である水竜。
その威光をあらわしているかのように、入り口も荘厳な雰囲気がし、自然と気持ちが引きしまる。
ふと見回してみると、近くにウィズたちの姿はない。
先に神殿の中に入ったのか、それとも後からくるのかはわからないけれど、一昨日ここを出たときと同じように、神官と二人っきり。
横に立つ神官の表情を伺うと、神官は小さく頷く。
「次代様。神官長様がお待ちです」
「はい。私もご挨拶をしたいと思っておりますので、連れて行って頂けますか」
「かしこまりました」
これもまた、決められた儀式の中の一つ。
二人っきりで誰もいないのに、決められた言葉を決められた通りに言う姿をウィズが見たら、笑い飛ばすかもしれない。でもあの人なら笑わずに神妙な顔をして見ているかもしれない。