2DAY・13
つられて眼下の水竜の祠のほうを見ると、祭りのために焚かれた火が、鮮やかに見える。
「ルアが王都に行った時、確かに引き止めても無駄だったかもしれないけれど、それでも言うことがあったんじゃないかな」
「何で、そんなこと急に……」
ルアが村を出てから、一度もそんなこと話したことなかったのに。
「あんた人前じゃ絶対泣かないし、あたしにもあんまり自分のことは話したがらないからよくわからないけど、でも後悔したんじゃないのかなと思ってたんだ」
後悔、か。
この三年間のルアに対しての想いとかが、じわじわと湧き上がってくる。
待っていたのに。どうして戻ってこなかったの。
もうどうでもいい。
嘘つき。
もしもあの時に、色んな事を話していたら。
そんな風に考えた事もあったけれど、あの時はそう言うしかなかったと思う。今でも。
「ちゃんと話せば、ルアだってムキになることなかったのに」
どういう意味なのか、さっぱりわからない。
私の知らないことを、何かカラは知っているの?
「あんたに認められたくって、立身するまでは連絡しないなんて決めちゃって、ルアも強情っていうか馬鹿っていうか」
「何それ。何でそんなこと、カラが知ってんの?」
口元を歪め、笑ったのか判断がつかないような顔をし、カラは溜息をつく。
「相談係だから」
呟くように、消え去るような声で、祭りの喧騒にかき消されそうなくらい小さな声だった。
カラは目線をあげることなく、ずっと祭りのほうを見ていて、決して顔を見て話そうとはしない。どんな表情をしているのか全くわからない。
「もしもちゃんと連絡取ってて、近衛兵に選ばれた時に王都に来て欲しいって言っていたら、きっとササを水竜にとられずに済んだんだろうね」
まるで独り言のように、もしくはここにいないルアに話し掛けているかのような話し方をする。
「……でも、私まだ何も決めてないよ」
「巫女になるんでしょ」
まるで念を押すように言う。目線はずっと祭りのほうから離さないままで、カラはこっちを見ようとはしない。
「ううん、巫女になるか決めてない。」
「巫女になる儀式だってしてるのに、何言ってんの?」
驚いたような顔で振り返り、カラが身を乗り出して聞き返す。
「カラ、呆れるとは思うけれど、聞いてくれるかな」
真剣そのものの表情で、カラがうなずいた。
「あのね。どうしたらいいのか、わからないの」
「巫女を? それともルアの事を言ってんの?」
間髪いれずに聞いてくるカラに、思わず溜息をついた。
「両方」
「両方? ちょっと待って。一つだけ確認させて。あんた、今でもルアのこと好きなの?」
返す言葉が浮かばない。
好きだとも言えない。でも嫌いだとも言えない。言葉が喉に張り付いたまま、何も言えずにカラを見つめ返す。
でも、ルアの声を聞くと胸が締め付けられる。
この気持ちは何て言ったらいいのか、私には上手い言葉を見つけられない。
カラが聞こえよがしな溜息をつく。
はあっと大きな声で。
「じゃあ、好きじゃないのね」
呆れたように言うカラを見て、力一杯首を横に振る。
そうじゃない。
「わからないの。自分の気持ちが」
「何で? 好きか、そうじゃないか。単純な事じゃない」
イライラした様子で、カラが言い捨てる。
「そんな簡単な事じゃないよ。ルアの為に巫女を捨てられないよ」
「何でよ。好きならそれでいいじゃない。世界中を敵に回したって、好きなら一緒にいればいいじゃない」
怒鳴るカラに、同じように怒鳴り返す。
「捨てられないよ! 生まれて初めて、やってみたい事が見つかったのに」
「それなら、なればいいじゃない、巫女に。捨てなきゃいいじゃない。それだけの事じゃない!」
カラのその言葉に、勢いを失って俯く。
私が今どれだけ情けない事を言ったのか、そして自分勝手なことを言ったのか。カラの言葉が痛いくらい胸に突き刺さった。
「何でならないのよ、巫女に」
「自信がないから」
それを言うのすら、とても情けないような気がしたけれど、言わずにはいられなかった。
「自信なんて関係ないじゃん。巫女なんて、誰でもなれるわけじゃないんだよ」
信じられないようなものを見るような顔をする。
「それは、そうなんだけれど」
「じゃあ、何。自信がないから巫女から逃げて、ルアと結婚するとでもいう気? あんたって最低」
「何でそうなるの。それにカラに何がわかるのよ」
二人ともどんどん声が大きくなっていって、明らかにお互いが怒っているのが伝わる。でも何で最低だなんて言われなきゃいけないの。
そんなことカラに言われる筋合いじゃない。
「わかんないわよ! だけど、あんたがしようとしてることは最低だよ。好きで、好きで諦められないからルアと結婚するっていうんだったらわかるけれど、あんたは巫女になるのが怖いからルアに逃げようとしてるんじゃない」
「だから! ルアと結婚するなんて一言も言ってないじゃない! 何でそうなるのよ。いつ、私がルアと結婚するなんて言ったのよ。それに私は、約束も守らないような人とは結婚なんてしたくない」
どんっとカラが地面を叩く。
「手紙の一通も書かないで放っておいたくせに、何言ってんのよ。あんたが変な意地張るからいけないんでしょ。バカじゃないの」
ふんっと鼻を鳴らし、カラはそっぽを向く。
「馬鹿って何よ! カラに何がわかんのよ」
イライラはどんどん募ってくるし、売り言葉に買い言葉で、どんどん声が大きくなっていく。
ホントに、何でカラにいちいちこんなこと言われなきゃいけないの。
大体、いつ誰が意地張ったって言うのよ。手紙を書きもしなかったのはルアのほうじゃない。
「もう一度聞くけど、あんたは今も好きなの? ルアのこと」
まるで叫び声のような怒鳴り声を上げる。
「私は、私は……」
咄嗟に言葉が出てこない。
言葉に詰まっていると、カラが見下すような顔をする。
「ほら、何も言い返せないじゃない。ルアの事を言い訳にして巫女辞めるなんて言ったら、あたしが許さないからね」
「だから、わ……」
「ルアが、可哀想だよ。あんたのこと本当に好きなのに」
私はルアのことを言い訳にしようなんて思ってないって言おうとしたのに、カラは聞く素振りも見せず、さっきまでの怒りがどこに行ったのか、淡々と話し出す。
「あんたは、私が望んでも手に入れられない色んなものが手に入るのに、そのどれもが気に入らないなんて、むかつくわ」
カラは手元の草を抜いて、丘の下のほうに投げる。
「いいじゃない。水竜の巫女。何が不満なわけ?」
「不満なんてないよ。本当に、自信がないだけなんだって」
ふーんと、納得いかないような顔をして、カラはまた草を抜き始める。
「だって、水竜の声なんて、聴こえないんだよ、私には。明日になったら水竜の声が聴こえるようになりますって言われて、信じられる?」
「水竜がそう言うなら、そうなんでしょ」
興味がなくなったようで、手元の草をバラバラと足元に落とし、カラは膝を抱える。
「王子様は、何だって」
「王子様? ウィズのこと?」
「そういう名前なの? 知らないけれど、あの祭宮」
ウィズに言われたことを思い出す。
巫女になるのは、必然ではない事。
女の子はみんな巫女に憧れるんじゃないのかって聞かれたこと。
俺は向いていると思う、と言ってくれた事。
どんな道を選んでも、守ってくれると言ったこと。
「自分で選べって」
「で、ササは迷っている最中なわけね」
興味なさそうにカラが呟く。
「突然あなたは特別だって言われて、信じられる? 私は信じられない」
「何で?」
「だって私には特別なものは何も無いんだよ」
カラは膝の上に乗せた顔を、こっちに向け、困ったような顔をする。
「これだけは言っておくよ、ササ」
眼下に松明の灯りの列が登ってくるのが見える。
誰かが来るのかもしれない。
身構えるようにカラが立ち上がり、振り返りもせずに呟いた。
「ちょっとでもなりたい気持ちがあるなら、巫女になんなよ」
カラの言葉の意味を聞き返そうと立ち上がると、恐らくウィズが連れてきた近衛兵と思われる兵士の姿が目に留まる。
思いのほかその距離が近いので、カラに問い返す事はできなかった。
「サーシャ様。こちらにいらっしゃいましたか」
確かギーと呼ばれていたウィズの部屋の前にいた兵士が、松明を掲げて近づいてくる。
その後ろに何人かの兵士がいて、その中にはルアの姿もある。
咄嗟にルアから目を逸らし、先頭の兵士だけを見るようにする。
「お姿が見えないので、祭宮殿下がご心配しておいでです。我々とお戻り下さい」
仰々しく頭を下げる動作は無駄が無い。
祭宮の名前を出されたら、断ることも出来ない。それにあまりこうやって迷惑をかけるのも、好ましくないだろう。
「わかりました。みなさんにもご迷惑をおかけし、申し訳ありません。すぐに戻ります」
「いえ。何かあるといけません。我々と共においで下さい」
もう少し話をしていたいから、というのは到底聞いてもらえなそう。
気が付かれないように溜息をついて、カラのほうを振り返る。
「話、途中になっちゃった。ごめんね。戻ろう」
カラは何も言わず、ただ頷く。その遣り取りの一部始終を見ていた兵士が、手を元来た道のほうへ指し示す。
「足元が暗くなっています。お気をつけ下さい」
兵士の松明を頼りに丘を降り、水竜の祠のほうへと向かう。
歩いている間中、誰も口を開こうとしないので、草を踏む足音だけが耳に入ってきた。
「サーシャ殿、ご無事で良かった」
兵士と共に、祭りの真っ最中の広場に行くと、ウィズが小走りに近づいてくる。
本当に、ほっとしたような顔をする。
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
ウィズの顔を見てたら、本当に申し訳ないような気がしてきて、神殿で習ったように丁寧に頭を下げる。ウィズに心配をかけて、兵士の人たちにも迷惑をかけて、本当にごめんなさいって思ったから。
「そんなに気にしなくていいですよ。ただ気が付いた時にお姿が見えなかったもので、驚いてしまっただけですから」
「いいえ。私の思慮が足りませんでした。殿下にも兵士の方にもご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」
水竜の巫女候補が、突然祭りの最中に姿を消したらどういうことになるか、ちょっと考えればわかることだったのに。それなのに、黙っていなくなって、自分のことしか考えていない証拠だ。
もう一度、気持ちを込めてウィズと兵士たちに頭を下げる。
「あなたがそんな風に恐縮すると、お友達はもっと困ってしまいますよ」
ウィズのその言葉で振り返ると、カラの顔は真っ青に蒼ざめている。
「あなたのせいではありませんから。サーシャ殿にあなたを追うように言ったのは私です。どうかお気になさらないように」
「ごめん、なさい」
消え去りそうなくらい小さな声で、カラがウィズに謝罪する。
深々と頭を下げる姿は、見ていて辛い。それに、本当にカラのせいじゃないのに。
どうやったらわかってもらえるんだろう、カラに。このまま、カラに罪悪感を抱かせたままになるのは嫌。
「祭宮殿下。すぐに参りますので、あと少しだけお時間をいただけますか」
ウィズは全てを理解してくれたような顔をして頷く。
「私は戻っていますから、ゆっくりとお話しされて構いませんよ。ただ、兵士を何人かつけますがよろしいですか」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
返答を聞くと手早く兵士たちに指示を出し、数人の兵士を引き連れてウィズは人波の中に消えていく。
何人かつける、と言った兵士もすっと人波の中に紛れてしまって、どこにいるのかはわからなくなってしまう。
ウィズの姿が見えなくなり、兵士たちの姿も見えなくなると、やっとカラの表情が和らいでくる。強張っていた肩の力も抜け、ほっとした顔をする。
次代の水竜の巫女の姿が見えなくなったら、周りがどんな風に思うのか、そんな簡単なことにすら気が付かないほど、自分のことばっかり考えていた。
「迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんて思ってない。あたしがササと話したかっただけだもん。あやまんないでよ」
「でも……」
「いいんだって。早く行きなよ。それじゃーね」
片手を挙げて、ウィズが消えたのと逆の方向に背を向けて、カラは走り出す。
何か言う間もくれないで、カラの背中は雑踏の中に紛れていく。
「言い忘れた。あんたは十分特別だよ、ササ。自信を持って!」
「ありがとう」
笑顔で手を振るカラに、その言葉は届いただろうか。
精一杯の笑顔で、カラに手を振り返した。