2DAY・12
「カラ! カラ!!」
後姿が見えたので大声で呼び止めると、ビックリした顔でカラが振り返る。
気が付くと周りにはポッカリと空間が空いたようになり、少し距離を置くようにして人垣ができている。
「あんた何やってんのよ」
人波を掻き分けて、カラが呆れた顔でやってくる。
「何って」
「ホント世話が焼けるんだから。こっち」
伸ばされた手を握ると、ぐいぐいと人垣を掻き分けて喧騒から離れていく。
黙々と歩き続けるカラの後ろ姿を見ていたら、なんだか子供の頃を思い出して頬が緩んでくる。
昔っから、カラってこうやってお姉ちゃんみたいだった。
変わらない日常が、ここにはある。
カラの手から伝わってくる温度に、心の中の凝り固まった気持ちがゆっくりと解けていく。
祭りの喧騒がだいぶ遠くに聞こえるようになり、村と街道との境くらいまでくると、カラが立ち止まって手を離す。
「あんた、本当に何やってるの。バカじゃないの」
キョロキョロと周りを見回し、声を潜めて小さな声で囁く。
「次代の巫女だってわかってる?」
巫女ってところで、声が一段と小さくなる。やっぱり巫女のことについては緘口令が引かれているみたい。
ウィズの徹底ぶりを改めて感じる。
「わかってるけど、カラと話したかったから」
はあっと大きく溜息をつき、カラが頭を抱える。
「だって、カラとゆっくり話すことなんて、もう無いかもしれないから」
巫女になったら、カラとこうしてもう一度話せるようになるのは、きっと何年も先になってしまう。
仮にルアについていったら、村にはもう戻ってこないかもしれない。
それに、こんなに盛大にお祭りをして儀式をしているのに、巫女にならないなんて言ったら、村の恥にもなるし、この村にはもういられなくなる。
私、どっちにしても、この村にはもういられない。
もう日常なんて戻ってこない。
そう思ったら気持ちが沈みこんできて、とても口を開く気にはなれなかった。
何か考え込むように、カラは口を閉ざして立ち尽くしている。
その長い沈黙を破るように、突然笑い声が聞こえてくる。
祭りの中心、水竜の祠の方から何人かが歩いてくるみたい。多分、他の村の人だろう。
「ササ。こっち」
カラに促され、水竜の祠があるほうに繋がっているのとは別の、水竜の祠を見下ろす高台に繋がる道に歩き出す。
「ねえ、神殿でどんなことしてたの?」
興味津々といった感じだけれど、別に嫌な感じはしない。
昨日同じように村の人たちに「巫女様。巫女様」と言われながら聞かれた時には、すごく嫌な気持ちになったのに。
村を出る前と同じように、ごく普通に話しかけてくれるからかもしれない。
「うーん。行儀作法ばっかりだよ。話し方とか歩き方とか、そういうのばっかりだったな」
「そうなんだ。なんかもっとすごいことしてるのかと思ってた」
「すごいことって?」
すごいことっていうのが、どんなことなのかがわからない。
修行に近いような気はするけれど。
朝は陽が昇る前の起きてお祈りして、食事が終わったら神官長様から行儀作法についてだとか、儀式のこととかをお昼頃まで教えていただいて、午後はずっと神殿の掃除で、夜はまたお祈り。
その繰り返しで随分朝には強くなったし、体力は付いた気がする。
「だって巫女になるんだよ。ほら、水竜の声の聴き方とかさ、そういうのを巫女様から習ったりしてないの?」
「カラが言うような事は教えてはくれなかったな。いかにして巫女らしくなるかしか習ってないよ。あと掃除三昧」
いっそ、どうやったら水竜の声が聴こえるか教えてくれたらよかったのに。
そういうことは誰も、巫女様も神官長様もお教えくださらなかった。
「掃除三昧って? あんた巫女になりにいったんじゃなくて、掃除しにいったの?」
驚いた顔で、カラの足が止まる。
「ある意味そうかもしれない。腕、たくましくなってない?」
袖を捲り上げ、右腕に力瘤を作って見せると、カラが声を出して笑う。
「あはははは。ホントだ。筋肉ついてる、ついてる」
二の腕とその上についている筋肉を指でつついて、カラはおなかを抱えて笑う。それにつられて、一緒になって大声で笑った。
こんな風に心の底から笑ったの、本当に久しぶり。なんかやっと村に帰ってきたんだなって気がする。
笑いが収まると、息が苦しい。
二人して肩で息をしながら、丘の頂上に登った。
上から見ると、広場に焚かれている火も小さくて、喧騒も随分遠くに聞こえてくる。
「座ろうよ。笑いすぎて疲れちゃった」
草の上に座り込んで、隣に座るようにカラに促す。
「神殿で鍛えてきたくせに、よく言うよ」
笑いながら、カラも草の上に腰を降ろす。足を伸ばして、腕を背中の後ろについて体を伸ばす。
夜の、少し冷たくなった空気が気持ちいい。
「ところで、もう話せなくなるってどういう意味。全然わかんないんだけど」
祭りのほうに気を取られていると、突然そんなことを切り出される。
何て答えるのがいいのかわからない。言った時には、そんな深い意味があって言った訳じゃない。
巫女にならなかったとしたら、村中の人が巫女に選ばれたって知っているのに、辞退してのうのうとこの村で暮らしていくなんてきっと出来ないって言えばいいんだろうか。それとも巫女になったら、巫女の血を欲しいという誰かに嫁ぐことになって、この村には帰ってこられなくなるって言えばいいんだろうか。
そのどちらも違う気がする。
「あんたが巫女になるからなの?」
ついさっきまで笑っていたのに、カラの声からは、苛立ちが手にとるようにわかる。
「そうじゃない」
「じゃあなんだって言うの。あんたもルアみたいに、この村にはもう帰ってこないって言うんじゃないの?」
その言葉にはっとする。
「……聞いた、の?」
「聞いたよ。近衛として、一生王宮に仕えることにしたから、もう村には戻ってこないってね」
聞いたのはそれだけなんだと、ほっとする。
足元の草をぶちぶちと抜きながら、カラは祭りのほうに目をやる。
草を抜く手を止め、手を払い、それから月を見上げカラがまた溜息をつく。
「あんたに結婚して欲しいって言ったこともね」
あの、おしゃべりめ。
なんで、誰それ構わず話すんだろう。
自然と溜息が漏れる。いてもいなくても、どうして人の気持ちを引っ掻き回すんだろう。
「そんなことはとりあえずどうでもいいから。あんたと話せなくなるってどういうことか教えてよ」
「どうでもいいって」
「今はルアの事を話してるんじゃない。あたしとあんたのことを話してるんだから」
ルアの事をどうするかとか、どう思っているのかとか、わざと聞かないようにしてくれているのかもしれない。
それに、今はカラとちゃんと話さなきゃ。
「巫女になるとね、私は私じゃなくなるんだって」
「何それ」
ササはササでしょ、と苦笑する。
「うん。そうなんだけれど。周りはそうは見てくれなくなるんだって」
「それは、なんとなくわかる気がするけれど、別にあんたが変わるわけじゃないでしょ」
何も変わらないけれど、価値が変わるってウィズは言っていた。
「巫女の血が欲しいって言う人は、沢山いるんだって。だから、もしかしたらこの村に帰ってこないで、王妃にでもなるかもしれない」
きょとんとした顔をして、それからカラは声を出して笑う。
何がおかしかったのかわからないけれど、カラは笑い続ける。
「ちょっと、何でそんなに笑うのよ。真剣に話してるんだから」
「だ…、だって、ササが王妃だよ。王宮でパン焼くってんだったら、納得するけれど……王妃っ」
身を捩って、さらに大きな声でカラが笑い出す。
「カラ、笑いすぎだよ。もう」
真剣に話して損した。王妃になるっていうのは大げさだけれど、本当に、本当にもうこの村に帰ってこられなくなるかもしれないのに。
笑っているカラを横目で見ながら、何でこんなこと話しちゃったんだろって、馬鹿馬鹿しい気分になってくる。カラに話すんじゃなかった。
「そんなむくれないでよ、ササ。ごめんごめん」
笑いながら言うので、更に気分は最悪になってきた。
ホント、わざわざカラ捕まえて、何を話したかったんだろう。
もうなんか、どうでもよくなってきた。
「ササー。そんなに怒んないでよ」
「怒ってないよ」
別に怒ってなんかないのに、もう。
「怒ってる。だって眉間に力入って、皺出来てる」
言われておでこを触ってみると、くっきり縦に皺が入っている。
「あ」
「ササ、巫女になるんだから、その短気は直しなよ」
諭すように言われるのが、また勘に触る。
「短気じゃないよ。別に」
語気が強くなるのは、相手がカラだからに決まってる。
「そうやって強がったりするの、損するよ」
普段しないような真面目な顔をするので、イライラしていた気持ちがどこかにいってしまった。




